小説

□透明なこころ
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 投げ出されたジエンの足の先まで近づき、やつれてしまったその顔を見下ろした。
「シュラ」
「何」
「お前、でかくなったな」
「何を今さら」
「お前に見下ろされると気持ち悪いんだよ。しゃがめ」
「…………」
「……シュラ」
「今度は何」
「お前、いつもいつもどこに行ってたんだ」
「……別に」
「手塩にかけて育てた子が離れて行くってのは寂しいもんなんだな」
「……やめろよ、気持ち悪い」
 文句を言いながらも、聞き取りづらい囁きを一言も聞き洩らさないようにと、その表情に、口元に、淀んだ青い目に、意識を集中する。
「……シュラ」
「……うん」
「お前、ナイフか何か持ってるか?」
「うん、持ってるけど」
 いつもポケットの中に入れている折りたたみ式の小さなナイフを取り出した。
「……それでな、俺の胸のあたりを、ちょっと突き刺して欲しいんだ」
「…………」
「一突きでいいんだ。簡単だろ?」
「…………」
「……シュラ」
「……嫌だよ」
「……頼むよ。お前にしか頼めないんだから。今まで大事に育ててやったんだ。俺の息子なら、最期にひとつくらい、俺のわがまま聞いてくれたっていいだろう?」
「…………」
「頼むから」
「……嫌だ、よ」
 シュラ、と聞いたことのない優しい声でジエンはシュラの名を呼んだ。幼い子を諭すような、大きな手で頭を撫でられるような、安心するような、くすぐったいような、懐かしい感覚を思い起こさせる声。全身を植物に浸食されてしまった今となっては、子供の頃のように頭を撫でられることなどもうないのだけれど。
「俺はもう、こんな姿で生きていたくないんだ。お前に辛そうな目で見られながら生きるのは嫌なんだよ。それに、どの道もう長くはもたないって、見ればわかるだろう?」
「……そういうこと、いわないで」
 顔を伏せ、そう絞り出した。
 何もかもこの病気のせいだ。ジエンがこんな病気になってしまったから。
 いきなりの奇病にわけもわからず何もできず、せめて命だけでも助けようと思っても方法は誰も知らず、ただ人が醜く浸食され変貌し腐敗して灰となって行くのを見ていた。最初は、小さな小さな小指の先ほどの芽だった。それがいずれ全身を覆い尽くす奇怪な植物の繭になって人の命を奪うことが、恐ろしくて恐ろしくてたまらなかった。
 そんな混乱の最中、赤の領域から巫女の使者が来るという情報を小耳に挟んだ。「これは巫女の仕業だ」その頃、誰からともなくそういった噂が流れていた。イオとふたり、どうしようもない怒りのぶつけ所をその噂に求め、青の最大のコミュニティーの長たちと赤の使者との会談の場に忍び込んだ。ふたり息を殺して、天井裏の排気口の格子からかろうじて見える室内の様子と緊迫した会話に耳をそばだてていた。
 おおよその内容は、その原因不明の病に混乱する青に対しての援助の申し出だった。ただし青の領域の施設を全て開け渡し赤との共有物とすること、多数のコミュニティーに分かれた青を統一し昔のように巫女の統治下に戻ること、などを条件としていた。そして、流行病に罹ってしまったものは隔離し安らかに眠ることができるように手配をする。
「病を治す方法は巫女様もご存じないそうです。この病は自然の摂理を司る偉大なる存在の思し召し、魂の汚れを一掃するための自然淘汰なのだろうと巫女様はおっしゃっていました。健康に生存している者は汚れた血を持たぬ幸運な者、自分の運命に感謝するように、と」
 その言葉を聞いた瞬間に、シュラはイオの静止も無視して排気口を蹴り破り、室内に殴りこんでいた。





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