氷菓(原作沿い)
□19.古典部温泉旅行B
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「まだ8時前か。」
『そうだね。……あれ…?』
「太鼓の音…だな…。
確か、梨絵ちゃんが近くでお祭りをやってるって言ってたっけ?
「……本当はわざわざ別館を建てなくてもやっていけたのよ…」
ちょうど頭に思い浮かべていた梨絵ちゃんの声が、窓の方から聞こえてきた。
どうやら、隣の部屋の窓も開いているのか、外を通って隣の声が聞こえてかたみたいだ。
「秘密があるの。」
「秘密?」
おそらく、みんなでやろうと言っていた怪談をもう始めているのだろう。
怪談だとわかった途端に、背中に嫌な汗が流れたけれど、何だか怖いもの見たさで、つい話に耳を傾けている自分がいた。
「昔陰気のお客さんが泊まりに来て、本館の7号室にお通ししたんだけど、食事はいらない、布団も敷かなくていい。とにかく近づくな!って。
でも前金払ってくれたし、忙しい時期だったから丁度いいってなったんだって。
ところが、その晩、凄い悲鳴が聞こえたの。」
悲鳴!?
ドキッと脈拍が乱れる。
しかし、話のネックはここからだ。
耳を塞ぎたいと思う自分と聞きたいと思う自分とがせめぎ合っている。
折木君もどうやら隣の声に耳を傾けているようだし、このまま聞いていることを選んだ。
「7号室に首を吊った人影がボーッと浮かび上がってユラユラ揺れてたんだって。
そのお客さん、会社のお金を使い込んで逃げてきたんだってさ。」
「待ってました!」
「やめなさいよ。」
明らかに楽しんでいる様子の福部君と、それを窘める摩耶花ちゃん。
声だけでも、その様子が目に浮かぶようだ。
「そんなことがあってから、7号室に泊まったお客さんがね、この部屋には何かいる。夜中に影が浮かんでくるって。
そして…9人目に泊まったお客さんがね…」
そこまで聞こえて、さっきまで私と同じように隣に意識を集中させていた折木君が、私の顔を伺いながら、「大丈夫か?」と小声で聞いた。
私は多分引き攣っているであろう笑顔で、大丈夫という旨を伝えるべく頷いた。
「…のうちに、急な病気で死んじゃったの!」
死んじゃったという言葉に肩が小さく跳ねた。
やはりというか、ありがちではあるが、それが事実となると感じ方も変わって来る訳であって…。
「その7号室って?」
「窓から見える真正面の…あの部屋よ。」
その言葉を聞いて、私も折木君も自然と窓の外に見える向かいの建物を見た。
あそこで人が…。
そう思うと、何だか一気に怖くなってきた。
私がギュッと浴衣の裾を握りしめたのと同じタイミングで、寝転んでいた折木君がのっそりと起き上がって、窓の方へ足を運んだ。
「実に古典的だ……だから、その…なんだ…、気にするな。」
そう言って折木君は窓を閉めた。
閉め切る前に一瞬、窓の外の何かを凝視していたが、すぐに窓を完全に閉めた。
『あ、ありがとう…折木君…。』
怖いもの見たさで怪談など、聞くべきではないなと、身を持って経験させられた。