思いの丈

□Episode02
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「―珀亜…そろそろ起きて」



目蓋を閉じていても目に刺さる日の光。
それは夕方でも変わらず刺激を与えてくる。

あまり時間を置かずに、夢と現の間でまどろんでいた私の意識が覚醒した。



『一条、まだ眠い』



シーツを被ったまま、窓際に立つ一条に拒否の言葉を投げた。
彼はそれでも遮光のカーテンを閉めようとはしない。
きっと、あのにこやかな顔で私の方を見ているだけだろう。

…意地が悪いにも程がある。



「慣れてないのに昼更かしするからでしょ」



僅かな沈黙の後、彼はため息をついてカーテンを下ろした。
やんわりと私を非難しながら。
非難、と言っても口調は普段通りに柔らかいものだけれど。



『……わかった、着替える』



一条の苦言を無視するようにそう言い放ち、ベッドから出て床に素足を下ろす。
これ以上抵抗する意味もないので、素直に従うことにしたのだ。
髪を手櫛で梳きながらそろそろとクローゼットに向かった。

未だこの場に留まったままの彼を振り返って、"外に出ろ"という言葉を掛けるのを忘れずに。





「おはようございます、珀亜様」



月の寮のロビーに行くと、そこには既に夜間部の生徒全員が揃っていた。
口々に挨拶を述べる彼らに微笑み、中心にいる寮長兼クラス長―玖蘭枢の元へ足を向ける。



「今日は遅かったね、珀亜」



枢は、私と直ぐ後ろにいる一条を一瞥すると、かすかに目を細めた。
わかってはいたが、やはり寝坊とその原因の昼更かしのことは気付いているようだ。



「聞いてよ枢、珀亜ってば寝ぼ…むぐっ」



およそ吸血鬼らしくない無邪気な体で、彼に先ほどの件を告げようとした一条。
私はそれを察知して直ぐさまその口を掌で覆う。



『なんでもないから気にしなくて良い』



もう枢は気付いているのだからわざわざ報告する必要はない。
それに、枢と一条以外の生徒たちに"寝坊した"などと言ったとして。
"純血種"への幻想が打ち砕かれるだけなのだ。
ならば彼らのためにも口にしないほうが得策というものだろう。



『………』



枢には笑顔でそう言って、一条に対して無言で足に踵を振り下ろす。



「っ……!?」



手加減して踏んだつもりが、意外と威力があったらしい。
彼は声に出ない呻きを漏らして、その顔は徐々に蒼白になっていった。



「…そういうことにしておいてあげるよ」



ダークレッドの瞳に呆れの色を浮かべた枢は、含みを持たせた言葉によってこの雑談を終わらせた。







月の寮と校内を隔てる門が近くなっていくにつれ、騒がしさが増す。
いつもの事ながら、普通科女子生徒の黄色い悲鳴に耳が痛くなった。
頭の中で反響してうるさい。

よくもまあ、毎夕ここまではしゃげるものだ…。



ガシャン



「きゃあっ…」
「あれ…!」



門扉を開く時に立つ音に、ざわめきが一瞬だけ収まり、その後すぐに元の喧騒を取り戻す。



ギィイイイ…



「おはようーっ、女の子たち!今日も元気でかわいいねぇ」



「きゃっ…」
「「「きゃあああああああっ!」」」



先頭を行く藍堂が声を掛けることで、ひときわ大きい歓声が上がった。
もう耳を塞ぎたい気分だ。
内心げっそりしていると、風紀委員を務めている女子生徒が他の女子に押されて転んでいた。



『あ…』



あのままだと人だかりに飲み込まれてしまいそうだ。
私はちょうど彼女の近くを歩いていたので、助けようと早足で寄って行った。

狙っていた通り、私が割って入ることで群がる生徒たちは距離を取ってくれる。
それでも、向けられる好奇の眼差しはなくならないけれど。



『優姫ちゃん…大丈夫?』



転んだ衝撃でどこかを打ったのか、そのままの体勢で痛がっている彼女の傍に行って声を掛ける。



「あっ、珀亜先輩!はい、大丈夫です」



その言葉を聞いてほっとしながら、立ち上がらせる為に手を差し出した。
すると彼女はきょとんとした表情になる。
だが、次の瞬間には私の意図に気付き、遠慮がちに指先を重ねてくれて。
その手を軽く引いて持ち上げる。



「すみません…、あの、ありがとうございます」


『どういたしまして』



照れたように笑いながらお礼を言う優姫ちゃんに微笑みを返す。
それは、彼女の可愛らしさに思わずこぼれたものだ。



「大丈夫かい、優姫」


ちょうど私の背後から掛けられた声に、彼女は頬を赤らめた。
その声の主―枢が、唯一彼女にだけ向けるあの穏やかな微笑でも浮かべているのだろう。



「いつもご苦労様」



私の隣に並ぶように立った彼は、先ほど予想した通りの風体で優姫ちゃんを労った。
今の彼の眼差しや声音、表情には、普段の枢からは想像出来ないほどの甘さがある。
それこそ彼にとって彼女は無二の存在だという証だ。

優姫ちゃん本人は気付いているのか定かでは無いが―。



「枢先輩!はい…大丈夫です!」



彼女は枢に平気だと告げながら慌てて居住まいを正していた。
二人の付き合いはかなり長いものだと聞くが、それでも慣れない優姫ちゃんの初々しさが微笑ましい。

…ここは邪魔をするべきではないだろう。


彼らが会える時間には限りがある。
少しでも会話をしたいはずだ。
実際優姫ちゃんと接触した時の枢の機嫌はとても良い。

挨拶をする必要はないと判断して、先に校舎へと歩き出した。


しばらくして、わずかな殺気が後方から伝わってきた。
大方、もう一人の風紀委員である錐生零が枢に食って掛かっているという所か。

―全く、血気盛んなことだ。

目立たないように肩をすくめ、嘆息した。




―翌日、宵の刻

入れ替わり後の教室で行われる授業。
そのどれもがハイレベルな水準だと言われているが、私たち自身は特にそうだとは思っていない。
元々長寿な吸血鬼は時間が有り余る為に、身に付ける教養は数知れず。

私にとってそれらは、要するに"暇つぶし"だ。
そんな身も蓋もない話は他人にはしないけれど。



「―我がナイト・クラスが新たに開発した血液錠剤の効果が世界中で認められた」



厳格な印象の教師が、教室に響き渡る声で報告する。

生徒である吸血鬼たちは机に腰を掛けたり、教師の声に耳を傾けつつ談話している。
枢は立ったまま厚い本に目を通している。
私はというと、枢の本を覗き込むようにして見ていた。



「諸君は我が校の…そして我ら"夜の一族"の誇りだ」



飾りの付いた片眼鏡の奥の瞳を光らせて僅かに口を上げた教師。
表にはあまり出していないが、本当に誇らしげにしている。



「大したことじゃないわ」



生徒の一人、瑠佳が髪に手をやりながら薄く笑った。
それに同調したように、もう一人が自身の手元に視線を落としたまま、なんでもなさそうに言う。



「"人間"と共存できるこの環境が、開発の大きなヒントになりましたわね…枢様、珀亜様」



女子生徒が軽く首を傾げて枢に話を振る。
彼はそれに対して顔を上げることをせずに、くす、と小さな笑い声をこぼした。
同時に本のぺージをめくる。



『そうだね』


「この学園で学べることを、理事長に感謝しているよ…」



それから数回の授業を経た後。



『そういえば、藍堂と架院が見当たらないけれど』



どこに行ったのだろう、と呟く前に、流れてきた血臭に気が付く。
微かに香る甘い匂い。
これは…優姫ちゃんの血…?

感覚が他の吸血鬼と比べて特別鋭い私や枢ならわかる"それ"。
きっと誰かが彼女を軽く噛んでしまったのだ。


ここはまず枢に声を掛けるべきだろう。
閉じていた目蓋を開けて教室内を見回すと、枢が廊下に出て行こうとしていた。


それだけで彼の意図が汲める。
"犯人"にお灸を据えるのだろう。


―優姫ちゃんを噛んだことへの処罰を。


一番怪しいのは、姿が見えない彼ら二人。
もっとも、架院はそのようなことに関してはきちんと弁えているので、容疑がかかるのは藍堂だ。



折角先日優姫ちゃんとの会話で保たれていた機嫌も急降下してしまうだろう。
仕方がない、私は藍堂に対する罰則が重くなりすぎない為にフォローしよう。

枢の逆鱗ポイントである優姫ちゃんへの吸血行為をしたのなら、相当大変なことになるなずだ。



『気が重い…』


「珀亜?どうしたの、そんなにだるそうにして」



ため息と一緒に吐き出した台詞を一条に聞かれていたようだ。
不思議そうにされたが、首を左右に振ってなんでもないと告げた。



月の寮に戻り、自室へ行った後に枢の部屋を訪ねた。
扉をノックして返事が返ってきてから中に入る。

最初に目に付いたのは右の頬に切ったような傷を付けた藍堂だった。
血が流れていることから、それが出来たばかりのものであるとわかる。

枢を前にして禁句でも言ってしまったのだろうか。



『それで、藍堂の処分は?』



適当な見当を付けてそう尋ねた。
それが、私が彼の部屋に訪れた理由だから。



「停学十日間、だそうです」



律儀にも架院が答えてくれた。
十日か…もう少し日にちが多ければ減らすように進言したが、充分な日数だろう。
理事長の判断か枢の判断かは知れないが、適切な処分だ。



『そう。…藍堂、今後はこれに懲りて二度としないようにね』



項垂れている彼の姿を見ると反省はしているようだし、私が注意することはない。
ただ、それだけを言って安心させるように微笑んだ。



「珀亜様…、はい…お気を使わせてしまい申し訳ありませんでした…」



本格的にしゅんとした藍堂は主人に叱られた犬を彷彿させる。
笑ってしまわないように頬を引き締めた。
流石に笑うのは可哀相だ。



『ああ…それは別に構わないよ』



じゃあ私は戻って寝るから、と就寝と退室の挨拶をして枢の部屋を後にした。



 

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