約束のとき

□伝わる温度
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私が熱を出してから二日経った。


その間、沢山の人が私を見舞いに訪れた。
ヤムライハを始め、ピスティや仲の良い女官たち。
他にも、シンドバッド王やマスルール、シャルルカン。

私がこちらに来てから、良くしてくれている人々だ。

そして、ジャーファル。
忙しいだろうに、彼は一日に二回も様子を見に来てくれ、その上色々と世話を焼いてくれた。
私の具合をしきりに心配し、体調管理がなっていないと叱る彼。
思わず、母親かと言ってしまいそうになったのは秘密である。

しかしそのおかげもあって、こじらせることもなく完全回復を遂げた。
ずっと横になっていたせいで身体にはだるさが残るが、動けば良くなるだろう。

寝台の上で半身を起こし、ぐっと腕を伸ばす。
気持ちの良い朝だ。

今日は、先日先伸ばしにしてしまったヤムライハの用事に付き合おう。
それと大勢に心配をかけた詫びを入れたい。
そう心に決めて、私は支度に取りかかった。




「セフィリア!もう起きて大丈夫なの?」


いつも通りの時間に朝食を摂っていると、向こうから元気の良い声が聞こえた。
外見と実年齢が不釣り合いな少女が、駆け寄って来る。

うん、その様子は見た目相応だ。


「ピスティ。心配かけてごめんなさい、それとお見舞いありがとう。もう全快だよ」


調子の良さをアピールするように笑うと、彼女もにこりと微笑んだ。
とても可愛らしい笑顔だった。


「良かった、セフィリアがいないとつまんないんだもん。あ、一緒していい?」


そう聞きながら既に向かいに座る彼女に、少し吹き出しながら承諾する。
私が笑ったことについて特に咎めず、食事に手をつけ始めた。

と、思えば。

ピスティはその顔一杯に怪しい笑いを浮かべていた。


「ど、どうしたの…?」


わずかに身構える。

すると、どうしたもこうしたもない、と言って彼女は身を乗り出す。
その際、彼女のまとう衣服の形状ゆえに、かなり際どいことになった。


だが私は次の一言で、それさえ気にならなくなるほどの恐慌状態に落とされる。


「ジャーファルさんだよ、ジャーファルさん!部屋まで抱っこして運んでもらった上、頻繁に様子見に来てたんでしょ!?」


今の私にその人の名前を突きつけるのはタブーだった。
何故って、思い出すだけでも羞恥に悶えそうになるから。

瞬時に赤くなった頬を押さえると、ピスティは含みのある笑顔で迫る。


私が真相を語る羽目になったのは言うまでもない。






それは昨日のことだった。

私は薬を飲んで眠っていたのだが、一度意識が浮上した。
ぼんやりと部屋を見回していると、扉が音もなく開く。
光の入り具合でそれがわかった私は、戸口へ視線を向けた。

入って来た人物は、ジャーファルだった。
多忙であるはずのこの政務官は、時間が空いたと言って訪ねて来るのだ。


「ジャーファル…さん」


私が小さく呼ぶと、彼は静かに寝台の側にやって来た。


「すみません、起こしてしまいましたか」


その申し訳なさそうな表情に、私はまともな思考をしない頭をゆるゆると横に振る。


「ちょうど、起きたところ…」


敬語を使うことすら忘れ、後先考えずに言葉を発した。
幼さを感じさせる口調であったからか、ジャーファルはくすりと笑みをこぼす。

ゆっくり私に手を伸ばすと、額にかかる髪を分け、その冷たい手のひらを当てた。
ひんやりとした心地よい温度に、私は目を閉じる。


「…まだ熱がありますね」


心配、という気持ちがにじむ声が聞こえて、手が離れる気配がした。
でも私にはそれがとても惜しいことに思えて、目を開けてむう、とふくれる。


「セフィリア?」


不思議そうなジャーファルの手をむんずと掴み、私は大胆にも自らの頬に押し当てた。
握っている手首から緊張が伝わって来るが、それもつかの間のこと。
苦笑いをした彼は手に込めていた力を抜き、私の好きにさせてくれる。


「冷たい…」


うっとりとしたように呟けば、ジャーファルは笑う。


「体温が低いですからね。熱があるあなたからしたら、気持ちの良いものなのでしょう」


そして、もう片方の手のひらで、私のもう片方の頬を包む。
ふわりと香った穏やかな香りを感じながら、私はその手の甲に自分の手をそっと添えた。
端から見たらまるで恋人同士だ。


「うん…ジャーファルさんの手、すき」


私がぼそっと告げると、彼の呼吸が一瞬止まった気がした。
でも最初よりも意識が薄れ、ほわほわとした感覚しか残っていなかった私に、それを確認することは出来ない。

ため息が聞こえた。
ジャーファルだろうか。
この部屋には彼しかいないはずなのに、まどろみ始めた私にはそれが誰のものか判断がつかなかった。


「…あまり私を煽らないでセフィラ…」


何か言っているような気がしたけれど、聞こえない。
聞き返そうとして開いた口からは、音にならない空気だけが逃げていく。

それと同時に、私の記憶も途切れた。






「…と、言うことなのだけれど」


好奇心と悪戯心が旺盛な彼女のことだ、とからかわれるのを覚悟の上で白状した。
しかしその反応は私の予想の斜め上を行っていて。


「ジャーファルさんが最後に言ったことはわからないのよねぇ…」


残念。
ふう、と息を吐き出した彼女が浮かべる表情は、やっぱり悪戯っ子のものだけれど。
どこか形容し難い複雑な感情が混ざっているようだった。


「ピスティ…?」


訝しく思って彼女の名前を口にすると、はっとして私に向き直る。


「セフィリアは彼のことをどう思うの?」


ややあってためらいがちに発された質問に、私は意味もなく視線をさ迷わせる。

考えたことはない。
だけど、気になってはいる。
それが何故かははっきりしないけれど。

シンドリアに来て、ジャーファルに会った時に感じた違和感が今も胸につかえて取れなかった。
それが原因で、妙に彼を意識しているのかもしれない。


「気にならない、訳ではない…」


どうしようもなく曖昧な答えだった。
これでピスティが許してくれるなんて考えていなかったが、上手く言えないのだ。


「…そっか」


意外にも、彼女はそれだけ言って追及をやめた。
さすがに驚いて凝視すると、彼女は何もなかったかのように途中で止まっていた食事を勧めた。

ピスティは私の様子から何かを感じたのか。
これも彼女なりの気遣いなのか。
どちらにせよ、ありがたいことに変わりはない。

私はどうもこの経験豊富な年下の少女には敵わないらしい。
ほろ苦い笑みを隠さず、表に出した。


「ありがとう、ピスティ」


小さな声で伝えると、


「ん?何が?」


彼女は知らない振りをして首を傾げる。
そんな彼女に微笑み、なんでもないと否定した。


女の子の友人は本当に心強い。
改めてそう感じた日だった。




 

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