Neptune

□第二章
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遠くから、鳥の鳴き声が聞こえる。
それと共に、まぶたの裏に光が差し込んで。

深いところに沈んでいた意識が浮上していく。

朝だ。

今日は入学式。

高校生活の、1日目だ。


布団にくるまったままぎゅっと目をつぶって、開く。
頭も覚醒してきたようだ。
のそりと起き上がって、支度に取りかかった。



玄関に立ち、全身を鏡でチェックする。

真新しい制服は、糊が効いていてパリッとしていた。
私立のお金持ち学校だからか、やたらに凝った可愛いデザイン。
黒いタイツを合わせて着ると、気分だけ高校生になれる。

よし、準備は完了。

壁に立て掛けておいた鞄を取って、扉を開いた。


外に出ると、ちょうどSS用の部屋の扉も開く。
中から出てきた狗堂の制服姿は、すらりとして格好良かった。

『おはようございます、狗堂さん。』

「おはよう。昨日は良く眠れた?」

狗堂はこちらに近付きながら聞いてくる。

『はい、7時間ほど寝ました。入学式ですからね!』

よろしい、と言うかのように頷く彼をエレベーターに促す。
狭い空間でのちょっとした沈黙も、心地良いものになっていた。



妖館に来てから数日、ここの住人と知り合った。

凛々蝶と御狐神と私の歓迎会も開いてもらい、かなり打ち解けたと思う。

何より、狗堂が敬語を止めたことがそれを表している。
実際は私がそうお願いしたからだけど。

おとといくらいに、狗堂の砕けた敬語を反ノ塚が笑い、御狐神がダメ出しした。
そこで年上の人に敬語を使われることが苦手な私が便乗。

結果、狗堂だけが敬語を止めることになったのだ。

その分距離も縮まった気がする。

凛々蝶とも大分言葉のキャッチボールが出来るようになった。

反ノ塚に至っては、もうお兄さんのような存在だ。


環境に適応するのが早すぎるかもしれないが、それが私の性格だ。
実は初日から色々動き回った。

そういうわけで、春休みは毎日が充実していた。




「制服に黒パンスト…っ、メニアック!」

ラウンジに入るなり、叫び声が聞こえた。

雪小路野ばらだ。
野ばらはとても独特な世界観の持ち主で、絡まれるとたびたび貞操の危機を感じる。

『野ばらさん、おはようございます。』

綺麗なのになあ、と思うのと一緒にあいさつする。

「おはよう。…ねえ、白刃ちゃん、太もも撫でてもいい?」

後半の野ばらの息が荒い。
丁重にお断りして、朝食を摂ることにした。



それから、御狐神の運転する車に狗堂共々乗せてもらい、学校に行った。
見送りさえも期待を裏切らない仰々しさだ。



そして生徒用の玄関に至る。
目の前には数人の男子生徒。

「女が主席なんておかしい。」

「家の金で入った。」

品性の欠片もない言葉で凛々蝶を中傷する彼らに、彼女も負けじと悪態で返す。

気にする様子もなく、すたすたと歩き出した凛々蝶。
そんな彼女を横目でちらっと見て、彼らに向き直った。

「な、なんだよ…。」

眉をひそめる彼らに、これだけは言いたかった。

『お金で入学することがそんなに気になるの?』

疑問符をつけたが、それはほぼ確認の言葉だ。

「当たり前だろ。あんな奴が主席で、しかも女なんて…。」

『あなたが積んだお金が彼女より少なかったから、主席にしてもらえなかったの?』

感じが悪いのを承知で、話を被せる。

「はあ?」

意味が理解出来たのか、盛大に顔をしかめた生徒がひとり。
その生徒を見て、

『お金、お金って絡んでくるから。だからあなたこそ賄賂で主席を取ろうとしたのかなって…思わない?』

首をわずかに傾げると、後ろから笑い声が聞こえた。

この声は、狗堂だ。

「確かにそうかもね。…さ、どうする?まだ言いたいことはあるかな?」

狗堂が穏やかに問うと、男子生徒たちは悔しそうにして去って行く。
先輩だとわかって遠慮したのだろうか。

振り返ると、困った表情の狗堂がいた。

『狗堂さん?』

どうしました、と聞いても、彼は難しい顔のまま私を見ている。

「友達のためにああやって言い返すのは良いことだよ。だけど、下手に刺激するのは駄目だ。最悪の場合、白刃ちゃんが危険にさらされることになる。」

私をさとす狗堂からは、とても複雑な感情が見てとれた。
申し訳なく思って、うなだれる。

『すみません、考え無しに…。』

「ふん、全くだ。僕のために余計なことはしなくていい。…ほら、行くぞ」

反省の意を伝えようとしたところに、先に行ったはずの凛々蝶が現れた。

私を促して歩いて行こうとする彼女と狗堂を交互に見る。
少しだけ考えて、狗堂に会釈をしてから凛々蝶を追いかけた。

「…ありがとう。」

彼女の隣に並ぶのと同時に、微かな呟きを耳が拾う。

はっとして凛々蝶を見る。
顔は黒髪で隠れていたものの、そこから覗く耳がほんのり赤かった。

嬉しいような、くすぐったいような気持ち。
彼女も今、こういう気持ちを抱いてくれているのだろうか。

『うん。』

返事は、合わせるように微かに呟いた。



今夜のパーティーにて、凛々蝶の代表あいさつが行われる予定だ。

でも、何があったのだろうか。
4号室の住人たちは顔を合わせるどころか会話もしていないようだ。

昨日の登校時には何もなかったのに、夜からは一緒にいるところを見ていない。


でも、確かに言えることがある。


凛々蝶は謝って仲直りしたがっている、ということだ。

肝心の御狐神はどこにいるかわからない。
そう思っていたところに、当の本人が現れた。

『御狐神さん。』

声をかけると、彼はすぐにこちらへ来た。

「なんでしょう、海神様。」

心なしかやつれたような彼を見て、どうしたものか、と思案してしまう。

『ちよちゃん、向こうにいますよ。』

考えに考えた結果、あまり気の聞かない言葉が出てきた。
御狐神が短く息を吐く。

「…もう、凛々蝶様にあわせる顔はございません。」

意気消沈。
それが今の彼にぴったり当てはまる。

『諦める…のですか?あんなに尊敬して、学校の見送りの時は、離れがたそうにしている相手…なのに。』

言葉を一生懸命選んで話したせいで、所々詰まった。

「凛々蝶様が不要とされたなら…、僕はそれに従うまでです。」

この人、変に頑固なんだ。
唐突に理解した。

ああ、凛々蝶と御狐神はどこか似ている。

『…ちよちゃんの言動が、本音を伴ってないことなんて、私より御狐神さんのほうがわかりますよね?何があったのかは知りません。だけど…、だけど、ちよちゃんが本気で、あなたを不要だと思っていることはないです!絶対に!』

かみつくように話終えて、赤面した。

私、何言ってるの。
普段ならしない行動をしてしまい、恥ずかしさで一杯になる。

でも、伝えたいことは伝えられたはずだ。

「……そう、だと…良いです。」

御狐神は泣きそうな顔でポロッと呟く。

私に深い会釈をして、横を通り過ぎて行った。

思わず後ろを向くと、ここから離れた場所の壁に手をついて、うつ向く凛々蝶がいた。
彼女をあざ笑うようにその背後に立つ、今朝の男子生徒たちの姿も見付ける。

あの様子では、懲りずにまた彼女を中傷しているのだろう。

1歩足を踏み出そうとして、やはり止めた。


御狐神が、男子生徒たちにグラスの水をかけたからだ。


ぎょっとして見守っていると、凛々蝶が立ち上がった。
そして、男子生徒たちに何か言い放ち、右手に持ったグラスを頭上で傾ける。

彼女はグラスをテーブルに戻し、颯爽と立ち去った。
その後を御狐神が付いていく。


先ほどの出来事をきっかけとして、無事一件が落着しそうだ。



パーティーから帰宅し、部屋に戻ろうとエレベーターを呼び出す。
ちなみに、狗堂はすぐ後から来る予定だ。

「海神様。」

エレベーターが来る間、ぼんやりしていたら、後ろから話しかけられた。

『御狐神さん。…良かったです、仲直り出来たみたいで。』

帰宅時に凛々蝶から聞いた。
仲直り出来た、と。

それを伝えると、彼は微笑んだ。

「はい。海神様のお心遣いのおかげです。ありがとうございました。」

頭を深々と下げるので、かなり戸惑った。

『いえ、私はただ、ちよちゃんが仲直りしたいと言っていたから、だから協力しただけで…!』

あわあわ、と言って良いのか悪いのかわからないことを口にしてしまった。
言ったら不味かっただろうか。

「いいえ、海神様のおかげです。」

尚もこうして言い募る彼を、言い負かせる気がしない。

『…はい。お役に立てて、良かったです。』

なんだか照れくさい気分になって、早口で呟いた。

ありがとうございます、と言って、笑顔を浮かべたままの御狐神。


この雰囲気はなんだか居たたまれない、誰か早く来て。


「あれ?双熾さん。白刃ちゃんも。珍しい組み合わせだけど、どうかしたの?」

心の中で助けを求めてすぐに、本当に救世主が登場した。

『狗堂さん!いえ、なんでもないです。…あ、エレベーター来ました!行きましょう!』

焦る必要はないが、すぐにエレベーターに乗り込む。
用事があるらしい御狐神とはそのままそこで別れた。

「さっき、少し慌ててたけど…本当に何もない?」

ナチュラルに追い討ちをかける狗堂に、思わず1歩引いてしまう。

首を横に振って否定した。

「そう?」

なら良いけど、と不審がりながらも追及をやめてくれる。

隠す必要は特にないが、自分の手柄だ、という話を改めてするのは気が引けた。
だからその対応はありがたい。

『あ、そういえばちよちゃんは…。』

さりげなさを装おって話題を変える。
それに必死だった私は、気付くはずがなかった。



彼が微笑ましいものを見るような視線を向けていたことなど。






 

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