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□act.7
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大病院ならいざ知らず、小さなクリニックであるそこは自動ドアが開けば視線が集中する。さすがに尾行者は踵を返し中まで入って来なかった。姿を消した事から裏手に回ったのかも知れない。
「あの…お手洗い貸して下さい」
「どうぞ。ここを右手に曲がった先にありますよ」
産婦人科だけあって個室は随分広かった。中に入って鍵を掛けると溜め息が漏れる。けれど裏口から尾行者が入って来ない保証はないのだから、さっさと逃げなければ。
「トイレに入った。今から念で姿を消すわ」
『はい。出る時は充分注意して下さいね』
ルナは雑念を払って意識を集中する。鏡で姿が消えているのを確認してそっとドアを開けた。
「テト、裏口があるけどどっちから出よう」
『尾行者は裏口を見張っている可能性が高いですね。正面は自動ドアのようでしたが、外から見えにくい作りでしたか?』
「え…っと覚えてない。裏口はすぐそこにあるけど、ドアノブを回して開ける非常口のような鉄の扉だわ」
『ならば正面に。なかなか人が出入りしないようならそのまま自動ドアを通って下さい。ドアが勝手に開く事くらい稀にありますから』
「わかった…!」
意外にも姿を消した時に一番苦労するのはドアだった。相手が一般人ならさほど警戒は必要ないが、念の知識がある相手に勘付かれれば命取りになる。
尾行者の念の有無は不明だが、鉄の扉がひとりでに開くのはリスクが高いとテトラは踏んだのだろう。
ちょうど自動ドアから人が入って来て、ルナは入れ違うように外に出た。センサーが二度反応し、開く時間が延長された事など誰も気付いていない筈だ。
「外に出たよ」
『油断せず、そのまま家までの最短距離を辿って下さい』
「うん、無線切らないでね」
『分かってますよ』
10分程でマンションが見えて来てルナは周囲を警戒して中に入った。尾行者は完全に撒いたようだ。
「ただいま〜怖かったあ…」
玄関にへたり込むと同時、力尽きたように念が解けた。
「大丈夫ですか?」
慌てて出て来たテトラに手を貸して貰って立ち上がる。張り詰めていた緊張が解け一気に脱力感に襲われた。
覚悟して出掛ける仕事の時とは違い、日常で突発的に強いられる念は身体中の力が持って行かれる感じがする。
「尾行者は…何とか撒いたわ。ここは絶対に知られてない…はず。疲れた…」
リビングのソファーに突っ伏して呼吸を整えていると、テトラが水を持って来た。
「相手は一人でしたか?特徴は?尾行されていた時間はどのくらいでした?」
「いっぺんに聞かないでよ〜何よもう…わたしが何したっていうのよ」
「色々してると思いますが」
「そうだけど…!」
仕事以外で尾行なんてされたのは初めてだ。盗品を持ち帰る時なら兎に角振り切って逃げるが、あんな風に距離を保って追跡されるのは心臓に悪い。
起き上がって水を飲んだルナはグラスを持ったまま話し出す。
「あんまりよく見てないけど、知らない人だった。帽子を目深に被って黒っぽい服装。わたしを捕まえるっていうよりは…監視してる感じだった」
「単なるストーカーや変質者…ってことはないですよね?」
「うん、そんな感じじゃなかったよ。病院に入るまで尾行も隙がなかったし、時々携帯で誰かと話してた。撒くのだって本当に大変だったんだから…!」
「プロ…だとしたら何が目的なんでしょう…」
テトラはパソコンのイスを左右にゆらゆらと回して考え込む。
「地図…ですかね」
「地図?!なんで?」
「今回尾行されたのは襲撃の為でなく恐らく住処を探る為。ここを荒らして何かを手に入れる為だとすれば、数日前に入手した地図だと考えるのが妥当です」
「そう言われれば…」
確かに闇の地図は今まで盗んで来た宝石や絵画とは異なる物だ。何故情報が漏れたのかは分からないが、狙われて当然とも言える。
「暫く様子を見ましょう。ルナも外出は控えて下さいね」
「うん…わかった…」
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