ぬら孫
□百鬼夜行
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最後に見た光景は、風で吹き飛んだ店と、倒れた店員…そして犬のように長い舌をもった妖怪と、真面目そうな青年の姿だった。
「ようやく起きてくれたね」
目を開けた狐ノ依は自分の状況を理解することが出来なかった。
腕と足が縛られていている状態で、見知らぬ青年に見下ろされている。
その表情は笑っているのに冷たくて、ぞっと背筋に嫌なものが走った。
「まさか君のような妖怪が奴良組にいるなんてね…笑いが出たよ」
「貴方は…誰ですか」
「四国八十八鬼夜行の組長、玉章(たまずき)…君のいた奴良組を潰す妖怪だよ」
「え…」
狐ノ依はあっさりと正体を明かされて玉章の言葉を流しそうになってしまった。
今、この男はなんと言ったか。
「…奴良組に、何かするつもりですか…!?」
「そう。奴良リクオを倒し、ボクが妖怪の主となるんだよ」
「では…何故、ボクを」
「妖狐は強い妖怪の元にいる、強い者の象徴。君がボクの元にいないのは筋違いだ」
玉章の手が狐ノ依の顎を持ち上げて、顔を近づけた。
近くで見つめられると嫌でもその者の感情や妖気が伝わってくる。視線をそらしたいほどの恐怖。
「わかるだろう?ボクの強さが」
「…はい」
「いい子だね」
狐ノ依が自分に畏れたということを確認したからだろう、玉章は側近である夜雀に合図し狐ノ依の縄を解かせた。
長く黒い髪、怪しげな雰囲気を纏う夜雀の手は細く綺麗だ。
恐らく女性であろう夜雀にも、狐ノ依の心は落ち着かなかった。
何より、逆らってはならない、リクオに匹敵するだろう力を持つ玉章がじっとこちらを見ている。
「玉章様、ボクを守ってくれますか」
「君がボクを主として認めるならね」
「認めざるを得ません。貴方が奴良組を倒すなら…ボクの居場所はそこにないのですから」
自分でも、よくこんなセリフが出てきたと思う。自分の言葉に吐き気がする。
それでも、玉章は満足気に笑っていた。
「こちらにおいで、可愛い狐の子」
「…はい」
すっと夜雀が後ろに下がり、狐ノ依はおずおずと玉章に近付いた。
玉章の前で膝をつけば、玉章の細く白い指が狐ノ依の顎を掴んで。
「っ!?」
唇をなぞる玉章の指が狐ノ依の口にねじ込まれた。
つんと鋭い犬歯に刺さった指から鮮やかな血が流れる。
「君はボクのものだ」
「っん、…」
妖気の強い玉章の血は、考えるまでもなく美味だった。
その気はなくとも玉章の妖気に頭がぼうっとしていく。
「玉章、それが妖狐か?」
「あぁ、そうだよ」
「ふーん…思ってたより普通ぜよ」
見たことのない妖怪ばかり、自分の頼れる存在がいない状況に、狐ノ依は目を閉じて時が流れるのを待った。
必死に深すぎる妖気に逆らいながら。
・・・
いなくなった狐ノ依。そして奴良組幹部の狒々が率いる組の壊滅。立て続けに起こる事件に奴良組は穏やかでなくなっていた。
「くそ…ボクが狐ノ依を一人になんかしなければ…」
「リクオ様、きっと事を起こしているのは同じ妖怪です」
「落ち込んでいる場合ではありませんよ」
こんな時こそ冷静に。奴良組が動揺していることを悟られてはならない。
最初は落ち込んでいたリクオだったが、狙われているのが奴良組全体である以上、動かないわけにもいかなくなった。
「しゃきっとせんか!狐ノ依のことを考えるのもいいが、周りを見る余裕を持たんでどうする」
「…でも、もし狐ノ依に何かあったら」
「狐ノ依は言わば人質じゃろ。そう簡単に殺されたりはせん」
ぬらりひょんの言う通り、いなくなったということは、人質として取られていると考えるのが妥当だ。人質を殺す意味などない。
そもそも、妖狐は命に敏感な妖怪であり、自分が死ぬとわかったときには主との間に子供を作ろうとするものだ。貴重な妖怪である妖狐が殺されたという話も聞いたことがない。
「狐ノ依は…大丈夫だよね」
そう信じる他ないことが、もどかしく、情けなかった。
それからも、奴良組以外の妖怪が浮世絵町で暴れ回っているという噂は絶えず、用心のためにつらら、青田坊の他にも首無、毛倡妓、黒田坊、河童と親しい妖怪たちを連れてリクオが学校に行った日、再び事件が起こった。
学校に一匹の妖怪が忍び込んでいたのだ。
味方を多くつけたリクオに敵わない相手ではなく、その妖怪、犬神はリクオたちによって弱らせることに成功した。
しかし、その妖怪を消したのは、リクオたちではなかった。
突然現れたもう一人の妖怪、隠神刑部狸(いぬがみぎょうぶだぬき)…玉章、それは犬神の主である男だった。
「奴良リクオ、君の“畏”を奪い、ボクの八十八鬼夜行に並ばせてやる」
自分の仲間である犬神を消したことに何も感じていない様子で、玉章はリクオに宣戦布告する。そして、リクオをあおるのに一番適した言葉を続けた。
「妖狐はボクを選んだ…この意味わかるだろう?」
「なんだと?」
「返して欲しいなら、ボクを倒すんだね。奴良リクオ…」
リクオに妖怪の姿を見せて、玉章はそこから消えた。
玉章の妖怪の姿はリクオよりも大きく、妖気も普通の妖怪のそれとは比べものにならないものだったが、リクオは笑っていた。
「狐ノ依の無事はわかった…十分だ」
「リクオ様…?」
「奴を倒す、必ずな」
リクオの目は、本気だった。
仲間を自分の駒としか思わない男、玉章。
リクオと境遇が似ている故にリクオと敵対し、更には天下を取ろうとしている玉章は、根本的な部分がリクオと大きく異なった。
自分のために戦う玉章に対し、リクオは愛しい狐ノ依と守るべき仲間たちを思って戦う。
リクオにとってこの戦いは、負けるわけにいかないものだった。
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