ぬら孫
□深川突入
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空を覆う黒い影。地に蔓延る妖怪の群れ。
あまりにも浸食された人間達の世界、そこにリクオは降り立った。
敵の妖怪を倒しながら、一人でも多くの人々を避難させる。その状況に戸惑うのは人間達の方だった。
「…どうなってるんだ?」
「レスキュー隊なの?」
「いや…妖怪と妖怪が戦ってんだよ」
情報はネットの掲示板を使って早く広く回って行く。
未だ多く存在している“リクオを殺せ”という文章の他、リクオが味方であるという文字もあるが、それは清継によって回されている数少ない情報だ。
しかし、それによって少しずつリクオに逆らう人間は減ってきている。
リクオは狐ノ依を傍らに置きながら、目の前に現れた無数の妖怪に刀を向けた。
「鏡斎…これで終いだ!」
二本の刀で妖怪達を切裂く。
鏡斎によって生み出された妖怪達は、墨となって姿を消して行った。
リクオの一刀で騒がしかった辺りに静寂が訪れる。
どうやら、鏡斎に描かれ生まれた妖怪は全て倒し尽くしたらしい。
「はぁ…」
「リクオ様、少しお休みになって下さい」
「いや、そうも言ってらんねぇよ」
狐ノ依はリクオの刀を握り締める手を掴んだ。
リクオは鏡斎のとの戦いによって負った呪いの跡を残したままで、普段よりも疲労が大きいように見える。
「では…せめて、触らせて下さい」
「狐ノ依?」
「気休め、でしかないのですが」
リクオの体に手を回して、少しでも回復するようにと妖気を巡らせる。
それを戸惑いながら見下ろしたリクオは、やんわりと狐ノ依の手を自分の体から剥がした。
「お前の体が汚れんだろ」
「…」
汚れる。その一言に、狐ノ依は自分の手を見つめたまま動かなくなった。
汚れるなんて、今更気にすることではない。既にこの体は汚れている。
「(そうだ…この汚れた体でリクオ様に触れるなんて…)」
「…狐ノ依?」
「いえ、すみませんでした」
狐ノ依はぱっと手を引っ込めて、一歩下がった。
リクオは狐ノ依に何があったのか気付いている。それでも気丈に振る舞っているのは、狐ノ依以上に大事なものを今抱えているからだ。
「こっちの道は安全ですよー!」
つららの、人々を誘導する声。
「ホラ、出てこい。もう大丈夫だから」
イタクの人々を救出する声。
今、リクオが望んでいるのは、一人でも多くの人間を救い出すこと。ならば、狐ノ依もそれに応えなければ。
「ボクも行ってきます」
「あ、おい狐ノ依…」
ぱっとリクオに背中を向けて人のいる方へ向かおうとする。
「助けて下さい、総大将様!」
「毛倡妓!?」
しかし、その直後聞こえて来た声に、狐ノ依は足を止めて振り返った。
外れた道から飛び出してきたのは毛倡妓。ふらふらと近付いてきた毛倡妓は、リクオの方へと倒れ込んでいた。
「あたしの追っていた幹部が、向こうの街でも人間を襲って…!」
「何、本当か!」
どうやら、手が足りない為に助けを求めに来たらしい。
早く援護に行かなければ、そう判断したリクオの目が毛倡妓から離れる。
瞬間、毛倡妓の手に何か光るものが見えた。
「リクオ様!離れて下さい!」
「狐ノ依?」
それが小刀であることに気付くまで時間はかからなかった。
しかし、油断しきっていたリクオは咄嗟に避けることが出来ず、毛倡妓の手に握られた小刀はリクオの懐へと突き出されていた。
「リクオ様!」
思わず飛び込んでリクオの体を押す。
その狐ノ依の背後を、大きな術が飲み込んでいた。
「え…?」
毛倡妓は悲痛の声を上げてそこへ崩れた。
何が起きたのか。目を見張った狐ノ依の視界の先に降り立った人影。
それは、陰陽師の花開院竜二だった。
「どういうことだ…?」
「そいつ、よく見てみろ」
竜二の視線は、今倒したばかりの毛倡妓に向けられている。
リクオも狐ノ依もその言葉に従い、毛倡妓に視線を落とした。
「狐ノ依様、これは…」
「ニセ物…」
毛倡妓の顔は崩れ、別の妖怪の顔がそこに見えている。
「ここに来る道すがら、何人かの毛倡妓を滅したよ…」
「何?」
「こいつの能力なんだろう。オレを撒いてなんとかお前に近付こうとしたようだ」
つまり、この敵の狙いはリクオを殺すことだった、ということか。
狐ノ依は戸惑いながらもリクオを見上げた。
「…何しに来た…」
「お前に、ちょっと伝えないといけないことがあってな…」
竜二の真剣な目がリクオに向けられている。
陰陽師の方からわざわざ出向くとは、“ちょっと”と言わず、余程大事な用なのだろう。
狐ノ依は二人の邪魔をしてしまわないようにと後ろに下がった。
「若!ご無事ですか!?」
「ったく、雑魚に油断してんなよ、リクオ」
しかし、その意図に反してたたっと駆け寄って来るはつららとイタク。
その二人の目は、ニセ物の毛倡妓に向けられていた。
「さっき奴良組の妖怪に聞いたんです。毛倡妓もこの変装妖怪にやられたって…」
「え…でも、これ雑魚なんじゃ…?」
つららの言葉に、狐ノ依は首を斜めに傾けた。
いくらなんでも毛倡妓が雑魚にやられるわけがない。とするとつまり、それが本体で。
では何故大将の元に雑魚を送ったのか、という疑問が生まれてしまう。
「じゃあ、こいつの本体は誰を狙ってんだよ…?」
当然の疑問をリクオが口に出す。
漂う嫌な予感は、一体何なのか。
予想の出来ない予感に、誰もが口を閉ざした。
・・・
「ありがとうね、毛倡妓ちゃん。お供してくれて」
「いーえ、いつでもお流ししますよ」
奴良組本家、そこにいるのはリクオの母である若菜と毛倡妓。
まだ濡れる髪をタオルで拭いながら、若菜は後ろを歩く毛倡妓に目を向けた。
「今日は皆ピリピリしちゃって…お風呂に入っていいのかどうか…」
「まぁ、今日は仕方ありませんよ〜…三代目を筆頭に皆出入りに行ってますから」
ぼんやりと庭を眺めて、若菜は目を細めた。
いつの間にか大きくなってしまったリクオ。心配でないと言ったら嘘になる。
「でも…あの人に似てきたってことだから…」
知らない間に育っていく。それもまた誇らしいものなのだ。
まだ春でないのに咲き出している梅の花。若菜は庭に降りると、ちらほらと咲いている梅を見上げた。
「きっと…リクオ様も…若菜様を大事にしているんでしょうね…」
「毛倡妓ちゃん?」
ふと、辺りが暗くなった。
ついさっきまで後ろにいたはずの毛倡妓の姿がない。
「毛倡妓ちゃん…?どこ行ったの…?」
きょろきょろと見渡しても毛倡妓がいないどころか、暗闇に梅の木が立っているだけ。
もはや別の空間に飛ばされたかのような景色。
薄らと、若菜の背後に現れた毛倡妓の手には、小刀がしっかりと握られていた。
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