黒子のバスケ

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〇WC海常対福田総合〜WC誠凛対海常(第170Q〜第204Q)


会場の外に出て、少し薄暗くなった空に溜め息を吐く。
試合を終え、次の海常の試合までの時間。少しだけ与えられた時間に、真司は会場の外を一人で歩いていた。

「やっぱ無理か…」

思わずぽつりとそう零したのは、会いたい人がいたからだ。
陽泉の氷室辰也。彼と火神との微妙な関係をこのままにしておきたくなくて。

「…諦めよう」

それなのに、すぐに足を止めたのは、それがお節介だとも分かっているからだ。
しかも紫原との試合の熱も冷めないのに、次は黄瀬の、海常の試合。

高まりっぱなしの胸を押さえて、「よし、大丈夫だ」と言い聞かせる。
それから会場に戻ろうと踏み出した真司は、またすぐに足を止めることになった。



「おい、待てよ」

後ろから聞こえてきた声。
聞いたことのない声だ、けれど明らかに声の方向が自分に向けられている。
確認も兼ねて恐る恐ると振り返ると、やはり声をかけただろう男はしっかりと真司に視線を向けていた。

「…?」
「あー、やっぱり。真司クン?」
「…えっと」

名前を知られているのに、やはり真司には全く覚えのない男がそこにいた。
ドレッドヘアでいかにも悪い顔をしている。出来るのならば関わりたくないタイプだ。

「はは、わかんねぇよな?ほぼ初対面みたいなモンだし」
「はあ…」
「アイツら異常だったぜ、お前の話するだけでスゲェ剣幕」

何やらよく分からず、真司はもう一度「はあ」と曖昧に返した。
内心早く解放してくれと祈りながら、視線の置き所もわからずチラとその人の服装に目を向ける。

「って君…そのジャージ、福田総合学園じゃ」
「あ?そうだけど?」
「次海常と試合、ですよね?」

その男が着ている服は真司達と同じようなジャージで、しかも福田総合だとローマ字で書かれていた。
次の試合は海常対福田総合。確かにそれを確認した。

「あの…早くコートに行った方が…」
「お前、リョータが勝つって思ってんだろ」
「…はい?」
「アイツ、オレに勝ってスタメンになったんじゃねーの、知らないんだろ?」

リョータ。
ドレッドヘアの男に突然放たれた名前に、真司は暫く首を傾げた。
次試合するのが海常なのだから、黄瀬涼太のことだろうか。

「お前が見てる前で、アイツ泣かせてやっから、楽しみにしてな」

口角を吊り上げ、ハッと吐き出すように笑う。
黄瀬を馬鹿にしたような態度をとったその男を、真司はキッと上目で睨み付けた。

「ちょっと君、失礼な」
「は、しっかり色気づいてっけど、まだアイツ等とヤッてんだ」
「……は?」
「そんな気持ちいんだ、女役って」

ずいと近付いてきた顔に、思わず体を逸らす。
どういうことだ。どうしてそんなことを。
真司は数歩後ずさり、男の顔をじっと見つめた。

「君…」

どんなに見たって連想される顔はない。
けれど、真司のことを知っていて、しかもこんなことを言ってくる人間。

「帝光の…」
「ん?」

帝光にも一人いたのだ。
明らかに真司を嫌悪する目で見てきた、元バスケ部の男。

「卵の人だ…!」

思い浮かんだまま叫ぶ。
いつだったか、帝光中のバスケ部に入部してすぐの頃だ。
赤司に会わせるわけにいかないと言わしめ、結局鉢合わせた際に絡んできた男。卵ってのは緑間が彼の顔面に投げつけたもののことだ。

しかし、それを聞いた目の前の男の顔は徐々に険しくなっていった。

「あ、えっと、は、灰崎くん…」
「お前さ、何、オレを怒らせてぇわけ」
「いやその…っ」

灰崎の手が真司の胸倉を掴む。
そのまま軽く体を持ち上げられ、真司は慌てて灰崎の腕を掴んだ。

「ほんっと、むかつくんだよお前」
「なん…っ」
「ちやほやされていい気になってんじゃねえよホント。きめぇよ」

真っ直ぐ向けられる嫌悪の視線は、閲して珍しいことではない。
けれど、この灰崎という男は本当に真司に殴りかかるような、そういう雰囲気があって。

「そうだ、一個聞いてみたかったんだよ」
「は、放せ…」
「一人選ばなきゃ全員お前から離れるって言われたらどーすんの?」
「はあ…?」

唐突の質問は、今の状況に何ら関係ない。
それどころか、内心心底焦っている真司の頭には、そんな難しい質問考える余裕もなかった。

「いつまでもそんな気持ち悪い関係でいられっと思ってたんだ?すげぇな真司くん」
「ちょっ、と、何…」
「何股もかけてて罪悪感ねーの?」

その最後のシンプルな質問だけ頭にすっと入ってくる。
真司は、更に真っ白になった頭で、茫然と灰崎を見上げた。

「リョータに優しくされていい気になってても、いざとなったら赤司んとこ行くんだろ?」
「そ、んなこと」
「オレも大概だってわかってっけど、お前もっと最低だぜ」

言い返せない。
悔しいけれど、灰崎の言っていることは間違っていなかった。
分かっていたとはいえ、人に突き付けられた衝撃に、真司の顔は真っ青になっていた。

「は、イイ顔」

それでも、弱ったところをこの男に見せたくなくて、歪む視界の向こうの灰崎を睨み付ける。
そんな視界でも見えるくらい近付いて来た顔は、あろうことか真司の頬を舐めていた。

「…!?は、な、何してんの」
「オレさあ、人のモンって奪いたくなんだよ」
「し、知らないよ!オレのこと嫌いなんだろ、ほっといてよ!」
「うっせーな、大人しくしねーとマジ殴んぞ」

ぐっと目の前に見せつけられた拳に、思わず口を閉ざす。
素直に大人しくなった真司に、灰崎の顔がまた近付いてきて、首を噛んだ。
痛みに顔をしかめ、同時に服の隙間に入り込む手に慌てて足をばたつかせる。

「…は、案外匂いは悪くねぇな」
「へ、変態…」
「どっちがだよ」

こういう時、力では勝てっこないこの小さい体が憎い。
結局涙を浮かべて、この野郎と心で叫ぶことしか出来なくて。
テツ君はそんなに悪い人じゃないですよなんて笑ってたけど、やっぱり嘘だ。最低だ。

「お前がオレに手ェ出されたって知ったら、アイツ等どんな顔すっかなァ」

服の下に入り込んだ手が腰を撫でる。
冷たい手のひらの感触に、ぎゅっと目を閉じた時、視界の外でバシンと鋭い音が聞こえた。

「させねぇっスよ」

思わず聞き惚れてしまう程の格好良い声。
目を開くと、灰崎の手はどこからか飛んできたボールを体の横で受け止めていた。

「オイオイ、いーい度胸だな。リョータ」

灰崎の目線は、真司から逸れている。
そしてその視線の先には、鋭い目をした黄瀬が立っていた。

「…やってくれたっスね、ショーゴ君」

チラと真司を見た黄瀬が、ゆっくりとこちらに近付いてくる。

「つかどーいう風の吹き回しっスか?バスケ辞めたんじゃねーの」
「ただのヒマつぶしだよ」

二人の関係は、真司も知らなかった。
何せ二人が揃って部にいるところを見たことがないから。けれどやはり、良好というわけにはいかないらしい。

「オレが辞めてから「キセキの世代」とかやたら騒がれるようになったからよ。またその座を奪っちまおうと思ってなァ」
「…そんなことで」

見たことがないくらい、黄瀬が怖い顔をしている。
細めた目と吊り上った眉。

「キセキの世代」なんて名にこだわりはないっスけど、あんたみてーのにホイホイやるほど安く売ってねーよ」
「はっ、買わねーよ、欲しくなったからよこせっつってるだけだバァカ」

吐き捨てるようにそう言って、ようやく灰崎の手が真司から離れる。
ほとんど灰崎に引かれるまま体重のかける場所を失っていた真司は、そのまま後ろに下がって尻もちをついた。

「ってめ…!」
「あーそうだ、リョータ…こんだけ吠えたんだ。テメェが負けたらそいつもぐちゃぐちゃにしてやっからな」
「させねぇよ」
「ま、別にこんなのいらねーけどな」

口角を釣り上げて笑った灰崎が、ついでみたいな乗りで転がったままの真司を軽く蹴る。
大して痛くはなかったものの、驚いて咳き込んだ真司を見下ろし、灰崎はようやく会場の方へ去っていった。

嵐が過ぎ去ったような感覚。
灰崎の姿が見えなくなって、黄瀬は飛び込むように真司に抱きついた。

「真司っち、ヤな思いさせてゴメン!」

それからばっと肩を掴み顔を覗き込んできた黄瀬に、真司は首を横に大きく振って笑ってみせた。
しかしまだ表情を暗くしたままの黄瀬は、手を真司の頭にぽんと乗せる。

「大丈夫!?他に、何か変な事されてない?」
「えー…、っと」
「っ!!やっぱ一発殴っとけば良かったっス…!許せねぇ…!」
「だ、大丈夫だよ全然!」

本当に怒った顔をした黄瀬の腕を掴んで、真司はぶんぶんともう一度首を振った。

「黄瀬君が来てくれて、良かった。すっごく安心したよ」
「…ん、コートにアイツ来てねぇからって、様子見に来てよかったっス」

真司を心配そうに見つめる黄瀬の視線。
吸い込まれそうなくらい綺麗な瞳に一瞬気を取られて、軽く唇を奪われていた。

「ちょ、ちょっと黄瀬君」
「試合前に、真司っちパワーもらっとくっス」
「…そ、そういうの、外では…」

ぐいと黄瀬の胸を押して顔を逸らす。
本当は嬉しくて顔だって熱いのに、素直に黄瀬の方を向けない。

「ねぇ、もし、オレ達のこと気にしてんなら、大丈夫っスよ」
「え?」

横を向いた真司の頬を黄瀬の手が撫でた。
大きくて、暖かい手だ。

「きっと、ウインターカップ終わる頃には、はっきりしてるはずだから」

そうしながら耳元で呟かれた黄瀬の言葉に、真司は目を丸くして首を傾げた。
はっきり、とは何のことだろう。
茫然とする真司に、途端に隙ありと黄瀬が再び唇を奪う。

「っ!き、黄瀬君!」
「ふは、いつのも調子出てきたっスね」

黄瀬はニッと歯を出して笑って、ぱっと立ち上がった。
そのままこちらに手を伸ばした黄瀬の手を取り、真司も立ち上がる。

「だから、オレはぜってぇ負けないっス。誰にも」
「えっと…よくわかんないけど、頑張ってね?」
「当然!」

黄瀬の怒りも多少治まったらしい。
低い位置にある真司の頭をわしゃわしゃと大きな手のひらで撫で、黄瀬は小さく「よしっ」と呟いた。

「じゃあ、行ってくるっス」
「うん。応援してる!」

ぴょんと後ろに下がった黄瀬がじゃあね、と軽く手を振る。
真司は戦いに向かう黄瀬を見送って、それから振り返した手を静かに下ろした。


「黄瀬君…」

こうして全身で愛を伝えてくれる黄瀬が大好きだ。
笑った顔も、少し高い声も、細身なのに固くて分厚い体も全部大好きなのに。

「……、選ぶ…なんて」

あんな男の言葉を気にする必要なんてないはず。
それなのに、真司は灰崎の言葉を何度も頭の中で反芻していた。

「何股も…」

そんなこと、分かっている。
でも、きっと本当には分かっていなかったのだろう。
一歩小さく踏み出して、灰崎が触れた場所をぱしぱしと手で払う。

「っ!」

それからいろんなことを振り払うように、真司も会場に向かって走り出した。




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