黒子のバスケ

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〇夏合宿(第58〜62Q)




夏休みが始まってすぐ、それは突如起こった。



「日向先輩?どうかしたんですか?」

真司は大きなため息を吐いた日向を見上げてそう問いかけた。
練習が終わり、じゃあ解散と告げた直後だ。

「お疲れですか?」
「いや…。そうだな…これに関しては皆に言っておく必要があるか…」
「先輩?」
「監督は…いないな」

額を押さえながら再び重いため息を吐いて、日向は先程去って行ったリコを目で探した。
顧問に呼ばれていたらしいリコは当然もう体育館にはいない。
それが確認出来ると日向は「よし」と小さく呟いて、すっと息を吸った。

「お前等!もっかい集合!」

日向の声に、一度解散を告げた為にバラバラになっていたメンバーが不思議そうに戻ってくる。
どうやら二年生は何を言われるのか理解しているらしい。心なしか表情がかたい。

「さっき監督が言っていたように、合宿は二回。一回目はもう直なわけだ…が。オレ達は危機に瀕している」
「危機…!?」

今年の合宿は海と山。
何故片方に絞れなかったんだという疑問は抱いても、そこまでとは。

「今回、安い民宿にした為に食事は自炊だ。つまり、監督が飯を作る」

しかし、続いたどの内容にぽかんと口を開いた。
真司だけではない。火神も、黒子も目をぱちぱちと瞬かせている。

「それが、何か問題なんですか?」
「大問題だ」
「リコ先輩の手料理が?」
「一言で言えば、…ポイズンだ」

その瞬間、ぽかんと開かれた口から「あぁ…」と声が漏れた。

「誰が別の人が作ればいいんじゃないですか?」
「いや…練習メニューがきつ過ぎて無理だ」

予想は出来ているが、それはさぞ地獄のような練習なのだろう。
とすればリコの料理から逃れることはほぼ不可能に近い。
そしてそれは更なる死を意味している。

「…というわけで、試食会を開こうと思う」


直接練習しろ、とは言えない。
そんな優しさを持ったが故“試食会”という形で行われることとなったリコの料理をなんとかしよう作戦。

リコの料理の酷さを知る由もない真司は、なんとなく面白そうだなんて悠長な事を考えていた。



・・・



目の前にどんと置かれた皿に、真司は言葉を失った。

やると決めたらすぐ。
そんな勢いで、日向の提案あった翌日、彼等は家庭科室を借りて例の試食会を行っている。

「さ、食べてみて!」

これは地獄か。ここで死ねというのか。
真司は隣にいる日向を見上げて、小さく首を振った。

「烏羽、これが現実だ」
「…こんな現実…知りたくなかったです…」

ぼそぼそとリコには聞こえないくらいの声で言う。
リコは皿を置きながら「カレーよ」と言ったはずだ。
しかしそこにあるのは、茶色い沼に沈む切られていないにんじん、そのままの形をしたたまねぎ、じゃがいも。挙句に肉は生焼けだ。

「なんでまるごと!?」
「え?あ、ちょっと食べにくかった?ま、見た目はともかく味は平気だから!」
「そう、なのか…?じゃあ…」

リコの言葉を信じて、日向、小金井、伊月と次々にスプーンを差し込む。
それを見ていた真司もごくりと唾を飲んでから同じようにそのカレーを救い上げた。

「い、いただきます…」

小さな口には大きすぎる具の塊をなんとか口に含んで。
その感想は、言うまでも無かった。


「…っ、」

思わず「まずい」と言いそうになって、カレーごと呑み込む。
いや、これはカレーではないだろう。というか、どうしたらこうなるというのか。
食べにくい具は何故か噛みきれないし、ルーには妙な苦みがある。

「やっぱり…あんまり美味しくない、かな…」

リコの呟きには、どう返したら良いやら。
真司は涙目になるのを堪えながら、助けを求めるように日向を見上げた。

その日向は、何を思ったかお皿にどどんと乗っていたカレーを全て食べ尽くして。

「それ、寄こせ」
「え…」

そして、真司の皿と入れ替えると更にそれを食した。

「日向先輩…!?」
「ごっそさん」

とん、と真司の前に空になったお皿が置かれる。
驚いて顔を上げると、日向は何も言わずに立ち上がり、扉の方へ向かっていってしまった。

「美味かったけど、ちょっと辛かったから、飲み物かってくるわ」

その背中は何とも言い難い凛々しさがあって。
思わずキュンとしかけた真司の前に、今度は木吉の影がかかった。

「味は個性的だけどイケるよ。料理に一番大事なものは入ってる。愛情が、な」

木吉は鍋に向かうと、自らおかわりをしている。
クサい台詞も気にならない程の男前な行動に、リコは潤んだ瞳を見開いた。

「鉄平…」
「だけど、作り方がどっか間違ってるかもな。もう一回、作ってみないか?」
「うん…!」

そんな二人を見ていた真司含め他全員は絶句、いや感動して言葉を失った。
いくらリコが頑張って作ったものとはいえ、完食、ましてやおかわりなど出来るはずもない。

とはいえ、彼等が無事かというとそんな事もなく。


「…つーわけで、誰か…リコに作り方教えられねーか…?」
「てゆーか木吉変な汗出てるけど!?」
「おかわりはやりすぎた…」

ぷるぷると震えて汗を流す木吉。日向は廊下で息絶えていた。
ポイズン、いや完全に“デス”だ。

「…」

ここは、名乗り出るべきなのだろうか。
普段から自分のご飯は自分で作っている真司にとって、カレーは朝飯前だ。
しかし、迷うのは今のリコに自分で対応できるか…というところ。

そんな真司の考えを知ってか知らずか、火神が調理場へ移動して行った。

「あの…ちょっとこの辺の残りモンでメシ作っていいすか?」
「え!?火神料理出来んの!?」
「出来るっつーか…腹減って」

手際よく料理を始める手付から、火神が慣れていることは一目瞭然だ。ちゃっかりエプロンまで着込んでいる。
真司は思わず立ち上がり、火神の横に移動していた。

「火神君、いつも自分で作ってるの?」
「あぁ、一人暮らしだから」
「そーなんだ」

高校生で一人暮らしなんて、さぞ大変だろうに。
とはいえ大して驚かなかったのは、真司も似たような境遇だったからか。

「烏羽君」

突然、そういえば今までずっと黙ったままでいた黒子が真司を呼んだ。

「何?」
「そこに卵があります」

黒子の目は、確かにそこにある卵をじつと見つめている。
真司は黒子のいろいろ足りな過ぎる発言に、きょとんと目を丸くした。

「ある、ね?」
「久しぶりに、君の卵焼きが食べたいです」

淡々とそう言った黒子に、いち早く反応したのは真司では無かった。

「真司の、卵焼き?」

火神がぽつりと復唱する。それを切っ掛けに、じわじわと広がって行った。

「烏羽も料理とかするんだ?」
「え、あ、はいまぁ」
「えー!何それ食べてみたいんだけど!」

伊月と小金井が続けて言う。
すると、先程まで小刻みに震えていた木吉が急にばっと振り返った。

「黒子、お前は食った事あるのか?」
「中学の時に何度か。とても美味しいんですよ」
「おぉ…!烏羽!」

今度は輝いた目を向けて、真司の肩をがしっと掴む。
この後何を言われるかは、何となく予想が出来た。

「作ってくれ!」
「いや…いいんですか?」
「あぁ。頼む」
「ちょ、ちょっとー…私のカレーは?」

不服そうな声を漏らしたリコに、現実へと無理やり送還させられる。
木吉は暫く「んー…」と声を漏らし、それから火神の肩をとんと叩いた。

「…火神、お願い出来るか」
「はぁ、まぁいいすよ」
「烏羽にはこれな」
「あ、どうも…」

木吉から手渡されたのは青いエプロンだ。
火神やリコの着ているものと同じ種類らしい。
そのシンプルなエプロンを着込み、真司は邪魔な前髪を耳にかけた。

「おお…」
「なんか、ぽい!」
「烏羽、やっぱりうちの嫁に」
「木吉は黙ってろ」
「お、日向生き返った!」

それぞれの感想を聞いて苦笑いをしつつ。
真司は火神に負けないくらいの手際で料理に取り掛かった。




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