黒子のバスケ

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〇プール練習、決勝リーグ対桐皇(第38〜52Q)



決勝リーグまで二週間。
誠凛高校バスケ部は、それまでの間今まで以上にハードな練習をこなしていた。

そんな決勝リーグをひかえた、休日のこと。



「本当に、プールで練習するんですか…?」
「えぇ。ここまで来て何言ってるのよ」

誠凛高校から歩いて10分程の場所にあるスポーツジム。
そこはリコの父親が経営している場所なのだが、今日はどうやら休館になったらしい。
午前中は学校ではなくここで練習することになったのだが…。

「なんでプール…」
「水中は浮力があるから体を痛めにくいし、抵抗もあるからすんごくキツいのよ」
「…」

誠凛高校バスケ部に、そんな厳しい伝統があったとは。
ここに来ての難関に真司の頬を冷や汗がつたう。今から死を覚悟する程だ。

「烏羽、なんか顔色悪くないか?」
「そ、そうです、よね。体調悪いのかもしれません…!」
「…そうなのか?今日、多分かなりキツいぞ?」

心配そうに見下ろしてくる伊月に、罪悪感が募る。
それでも、この練習は意地でも避けなければならない。言われた通りに水着を持ってきてしまったけれど。

「烏羽君、まだ泳げないんですか?」

そんな真司の思いを、黒子があっけなく壊してくれた。

「なんだ、烏羽お前、泳げないから嫌だったのか」
「…っ!!」
「大丈夫だよ、泳ぐわけじゃないから」

何てことを言ってくれたんだ。
黒子にじとっとした視線を向ければ、黒子は不思議そうに首を傾げて。
そもそも黒子を責めること自体間違っているのだから、真司は何も言えずにがくりと項垂れた。

「俺が死んだら…バスケットボールを備えて下さいね…」

ぽつりと呟いた諦めの言葉に、伊月は大げさだと言って笑うだけだった。



・・・



「じゃあ、まずスクワットからやるわよ!プールに入ってー」

準備運動、ストレッチをそれぞれ済ませ終わった頃。
リコの一声で、一人また一人とプールへと体を沈めて行く。
躊躇って入り損ねた真司は、既にプールに入っている黒子を見て唖然とした。

「…結構、深くないですか…?」

プールに入った黒子の体は、胸あたりまで水に浸かった状態になっている。

「ここで、本当にスクワットなんて、出来るんですか?」
「出来るわよ。皆去年だってやったんだから」
「で、すか…」

スクワット、とは膝関節の屈曲・伸展を繰り返す運動のことだ。
何が言いたいかって、胸まで浸かった状態から膝を曲げたらどうなるか。

「沈みますよ…?」
「沈まないわよ」
「顔…水につきますよ…?」
「そんなの、その瞬間息止めればいいじゃない」
「…」

リコの目は、さっさと準備しろと言っている。
そもそも真司はスクワット以前にこの深さのプールに体を入れることすら問題なのだ。
それでも、リコの視線が怒りを含み始めた為にプールへと近付き、片足を入れる。

「…」
「烏羽?早く入れよ、どうした?」
「日向先輩…」

眼鏡、外さないんですか。
と多少気になることを呑み込んで、真司はおずおずと口を開いた。

「助けて下さい…」
「はぁ?」

一番近くにいる日向に向けて両手を広げる。
全く意図を察していない日向は怪訝そうに眉を寄せて、それから真司の真似をして両手を左右に広げた。

「もうちょっとこっちに来てもらえると…」
「いやだから何?」
「……入るの、手伝って下さい」
「…」

何故、皆が見ている前でこんな恥ずかしいことを言わなければならないんだ。
恥ずかしくて、じわじわと真司の頬が赤くなっていく。
とはいえ、日向はようやく真司がどうして欲しいのか察してくれたようだ。

「ほら」

ざぶざぶと真司のいるプールサイドへ近付いて来た日向の手は、真司の方へと伸ばされた。

「すみません…」

日向の首に手を回し、恐る恐る体をプールの中へ入れていく。
怖くないように、という配慮なのか、日向も手を真司の背に回してくれて。それでも残念ながら、怖くないわけがなかった。

「ひゅ、日向先輩…っ、足、着かないです…!」
「そりゃそうだろ。んな俺にしがみついてたら」
「っ、う…でも」

ぎゅっとしがみ付いたまま、手を放すのが怖くて動けない。
そんな真司に呆れたのか、耳元で日向がため息を吐いた。きっと目を瞑り眉を寄せているのだろう、見えない日向の表情が何となくわかる。
困らせている。時間も無駄だ。

「…うぅ」
「仕方ないな」

それでも動かない真司に、日向はゆっくりと膝を曲げていった。
少しずつ、真司の体を埋める水の位置が上がってくる。そのまま暫くして、水が胸の位置まで来た時、真司の足が床に着いていた。

「つ、きました!」
「なら、さっさと離れろ」

背中を抱いていた日向の手は、言葉通り真司を剥がそうと肩を押す。
そこでようやく、真司は自分がどれほど恥ずかしいことをしていたのか気付いてしまった。

「う、わ!すみませんでした…!」
「だからって慌てんな。ゆっくり」
「は、はい…」

体を離していけばわかる。あまりにも近過ぎた日向との距離。
いや、距離も何も完全に密着していたのだが。
真司は日向から離れると、おずおずと周りを見渡した。

「…」
「…」
「…す、すみません、でした…」

誠凛高校バスケ部メンバーしかいないプールに冷え切った空気が滞っている。
真司は恐怖の対象である水の中、誰の手も借りずにざぶざぶと歩き出した。
胸まで浸かりそうな勢いだ。背が低いのをこの日程呪ったことはないかもしれない。

「烏羽、大丈夫か?」
「は、はい…」

差し出された優しさあふれる伊月の手を取らずに一人で歩く。
水が鼻に入る感覚や、足がもつれる感覚を思い出して、寒さとは違う鳥肌が立つ。

「待たせたついでに変な空気にしてくれた罰。烏羽君は5回プラス。日向君は10回プラスね」

あ、死んだ。
真司と日向は寒さとは関係なく顔を真っ青にした。



・・・



「烏羽、無事か?」

頭上から降り注いだ声に、真司はぐったりとした状態から顔を上げた。

「あ…すみませんでした…」
「いやオレのことはいいから。苦手なこと無理にさせて悪かったな」

プールサイド、壁に寄りかかって休んでいた真司の横に日向も座る。
とんとんと真司の頭を叩く日向の手が優しくて、真司は照れ隠しから顔を伏せた。

「日向先輩、優しい」
「お前はそういう…。いいから、ホント」

頑張った甲斐があった、そう思わせてくれるところが何とも。
言葉に出来ない感覚に頬が緩んで、それでももう少し日向に優しくしてもらいたくて、真司は伏せたまま小さく笑った。

「おい、何笑ってんだ?」
「あ、いえ別に…」
「ったく、心配して来てやったってのに」

日向の手が真司から離れて、少し残念に思いながら顔を上げる。
すると、日向は何やら複雑そうに真司を見下ろしていた。

「…日向先輩?」
「いやお前さ、あれから火神とはどうしてる?」

あれから、とは数日前、テストの結果が戻ってきた日のことを指しているのだろう。
真司はその日のことを思い出し、きゅっと唇を噛んだ。

「…」
「まだ喧嘩したままなのか?いい加減仲直りしてくれねーと」
「分かってます、けど…」
「自分は悪くない、とか面倒なこと考えてねーだろうな?」
「それは…むしろ悪いのは俺の方ですし」

火神に悪いところは恐らくなかった。
青峰のことが好きで、気付かないうちに火神の前で何度も名前を出していたのだろう。覚えてはいないが。

「でも、どうやって謝ったらいいか…。俺、嫌いとか言っちゃったし…」
「別に謝り方なんてこだわる必要ないだろ。火神はお前のこと相当…なぁ?」
「なぁ?って言われましても…」

今日火神がいないのは、秀徳戦での無茶が響いて、万全な状態でないからだ。
しかし、来週からは火神も練習に参加出来るようになる。決勝リーグでも火神との連携は必須。

「…そうですね、来週までには」
「頼むぞ」

今度は優しく、ぽんっと肩を叩かれた。
主将に心配かけているようでは駄目だろう。立ち去って行く日向の背中を見て、真司はぶんぶんと頭を振った。

別のことを考えている余裕も無い。まだ、プール練習は始まったばかりだ。




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