新テニスの王子様
□欲望
1ページ/2ページ
走り去った白石を見送った後、朔矢は一人暫く茫然とそこに立ち尽くしていた。
ほんの目先にあった整いすぎている容姿。額に触れた柔らかい感触。
そんなことをされた事実と、そんなことをした白石の思考を考えると顔に熱が集まって行く。
「……はぁ、帰ろ」
そしてそんなことに緊張している自分の童貞っぷりにため息が出て。
戻ろうと体の向きを変えて顔を上げた瞬間、再び朔矢の足は止まっていた。
「朔矢さん、お疲れ様です」
「…幸村くん」
階段の上に立っているのは、肩からジャージを羽織った状態で立っている幸村精市。
朔矢は以前から彼については引っかかることがあった為に一瞬身を固めてしまった。
それをなんとか態度に見せないようにして一歩踏み出す。
「こんなとこで、どうかした?」
「テニスをしている音がしたので」
「あ、あぁ…」
人が寄らない場所を選んだつもりだったのだが。
頭をがしがしとかきながら言葉を探す朔矢よりも先に、幸村が口を開いた。
「朔矢さん…テニス、してたんですか?」
「うん、まぁ」
「…白石くんと」
どう誤魔化すか考えるまでもなく、幸村には完全にバレてしまっていたようだ。
朔矢は潔く頷いて、幸村に近付くとその背中を押した。
「さ、もう終わり。幸村くんも部屋に戻ろ」
「俺ともして下さい」
「え、っと…ごめん。とにかく今日は終わりにしよう、な」
そもそも幸村とテニスはしたいと思えなかった。全ての中学生のデータを把握している朔矢は、当然幸村のテニスも知っている。
彼のテニスは、楽しむテニスではない。勝利の為のテニスだ。
そんなテニスと今の朔矢がぶつかれば、どうなるかは目に見えている。
「幸村くん、ごめんね」
「…俺の前では、そんな顔ばかりしますね」
「え?」
「ふふ、なんでもありません」
その笑みに、何故だか背筋がぞくりとした。
それで気が付くべきだったのだ。
幸村が朔矢に対して抱いている重たい感情に。
・・・
その後は何事もなく、朔矢はいつも通りパソコンに向かっていた。
風呂上りでほかほかとする体で、肩にはタオルをかけたまま。それほど、朔矢にはやる事がたくさんあった。
データのまとめが終われば、本来の自分のやるべきことである受験勉強もしなければならない。
「ふぅ…」
息を吐いて、脇に置いてあるカップを手に取ろうとして。
「あ、」
朔矢は空のカップを眺めてがくんと項垂れた。
昨日飲んだカップをそのまま置きっぱなしにしていたのだ。カップのそこには乾いたコーヒーがこびりついている。
このカップをそのままにするのも嫌で、朔矢は一度着いた椅子から立ち上がり、ドアノブに手を置いた。
とんとん、とノック音がしたのはほぼ同時だった。
「朔矢さん」
「…幸村くん?」
その穏やかな声は間違いなく幸村で。多少戸惑いながらも朔矢はドアを開けた。
「すみません、こんな時間に」
「いや、構わないけど…どうかした?」
幸村も寝る準備が終わっているのであろう恰好をしていた。
風呂に入った後だからだろうが、テニスをしていつも乱れていた髪も整って、いつも以上に綺麗に見える。
その幸村の視線は、朔矢の持つカップに注がれてた。
「…もしかして、飲み物を取りに行くところでしたか?」
「え、あ…うん」
「あぁ、それは丁度良かった」
幸村は脇に持っていた小さな袋を持ち上げて朔矢に見せつけた。
その袋の中には、茶葉のようなものが入っている。
「俺が最近気に入ってる紅茶なんですけど、もし良ければと思って」
「あ、…ありがとう」
少し冷える廊下にいつまでも立たせておくわけにもいかず、朔矢は幸村を部屋に招き入れた。
幸村は丁寧にそこにあったポットのお湯で葉を馴染ませていく。
部屋に漂う紅茶の香りは確かに良い香りで、幸村が気に入って飲んでいるというのにも納得が出来た。
「これ飲んで、ゆっくり休んで下さい」
「なんか、ごめんな」
カップを幸村から受け取って、その暖かさに少し笑み零れる。
朔矢は幸村への警戒心を完全に失っていた。
カップに口をつけて、こくりと小さくそれを喉へと通す。香りが強めの高そうな紅茶。
しかしすぐにピリッと喉に妙な痺れを感じて、違和感を訴えるように朔矢は幸村を見た。
「本当にあなたは…無防備ですね」
「え…」
口元に笑みを浮かべて朔矢を見下ろす幸村のその表情は、明らかにおかしかった。
「幸村くん、っ、あ…?」
ぞくっとする寒気と共に、手足に訪れる痺れ。
ガシャンとカップが鋭い音を鳴らして床に転がった。途端に紅茶の香りが解放されて部屋中に充満する。
朔矢は自分の身に起こっているとこを理解出来ずに自分の手を見つめていた。
体が痺れて、頭がふらついて、それで。
「は…っ」
「朔矢さん、苦しいですか?」
「ゆ、きむら、く…」
幸村は笑っていた。どうして、なんて言葉を口に出すことも許されない。
もはや朔矢の体は幸村の思惑通りに支配されていた。
「心配しないで下さい。これで死ぬことはないそうですから」
「なに、を」
慈しむように抱き締められ、そのまま横抱きにされた朔矢の体はベッドの上へと投げ出された。
スプリングの跳ねる音は、乗っかってきた幸村によって抑え込まれる。
「朔矢さんの苦しそうな顔…可愛いですね」
「ぅ、…どけ、っなせよ…」
「朔矢さんがいけないんですよ。俺以外の奴等にいろんな顔を見せるから」
痺れているから、というわけではない。
幸村の言っていることが理解出来ない。幸村の言っていることは明らかにおかしかった。
「知ってたんですよ、朔矢さん。あなたの顔をずっと」
「え…」
「なのに、あなたは俺の知らない顔ばかり見せる。俺ではなく、他の奴等に…」
幸村の手が、朔矢の頬から首をなぞった。冷たくて細い指が唇を撫でる。
緩んだ唇の隙間からぐっと押し込まれた指は、朔矢の舌に直接触れていた。
「んぅ、…っ」
「俺、考えたんです。誰も見たことがない朔矢の表情はなんだろうって」
見下ろす幸村の目があまりに冷たくて、朔矢は背筋にぞくっと走る悪寒に震えた。
自分が何をしたというのか。会うのもこの合宿が初めてだというのに、知ってただの勝手すぎる。こんなの。
「朔矢さんのイく時の顔」
「…!?」
「俺に見せてくださいよ、朔矢さん…」
指が引き抜かれ、そこを今度は口で塞がれていた。空気ごと奪われる。初めての感触。
「っ、…や、めっ」
手足が麻痺して、酸素が足りずに頭もぼうっとし出す。
まずい、このままでは本当に。まさか中学生に、部活の後輩に。
自分の身に起こることを予想して、それに確信があって。でも朔矢にはどうすることも出来なかった。
「や、」
服が捲られて、その下の肌に直接触れられる。
幸村の手の冷たさと恐怖から朔矢の体はびくびくと震えていた。
「なんで、なんでこんな、」
「あぁ…その顔もいいですね」
「っひ、」
抵抗出来ない足を持ち上げられて、下着ごとズボンが脱がされる。
それが異常事態だとわかっているのに、幸村を止めることが出来ない。
朔矢は幸村が紅茶に仕込んだ“何か”によって自由を奪われた。
そして朔矢は許されない抵抗を諦めた。
→