新テニスの王子様

□合宿開始
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目の前に広がるテニスコート。一年前はここに選手として立っていた。
今年で最後だと、そう思いながら。


「一条くん」
「あ…齋藤コーチ」

背後から現れた人物に、どうもと軽く頭を下げる。
齋藤至。昨年、ここでお世話になったコーチの一人だ。

「来てくれたんだね、信じていたよ」
「…あなたが言いますか、それを」

高校でテニスとはおさらば。そう決めて大学受験に励んだ冬。しかし、生活からテニスが無くなった喪失感はあまりに大きく、まんまと浪人。
現在、浪人一年目の夏を迎えたところだ。

「君は優しい子だ」
「…そういう、子供扱いは止めて頂きたい」

U-17選抜合宿。
今年ここに来たのは当然、選手として出るためではない。

「あなたが息抜きになるからとか、少しでいいからとか…しつこいから渋々承諾したんですよ」
「わかってるよー。そんな顔しないで」

つん、と頬を突かれる。
朔矢はもう言い返すのも嫌になって息を吐き出した。

「…それで、中学生の名簿は?」
「はい、これね」

ばさっと手に乗せられたデータ。それに目を軽く通した朔矢は愕然として口をぱくぱくとさせた。

「ん?どうかした?」
「中学生の…まとめ役って…」
「うん、任せるよ」

「ご…50人もいるじゃないですか…!」

きょとんとする齋藤は、それがどうかしたのか、とでも言いたげだ。

「こんな大人数まとめられませんよ…」
「そんなに気にしなくていいよ、適当で」
「阿呆なこと言わないで下さい…」

人数確認、体調管理、個人のデータもしっかり確認したい。やるからにはしっかりとやるつもりだった朔矢は頭を抱えた。

「齋藤コーチ」
「はい?」
「また浪人したら恨みます」

それだけ言ってその場を後にする。
U-17選抜合宿に中学生が参加する日は、もう明日に迫っていた。



・・・



用意された部屋。机とベッドが置かれたそこは、他にたくさんある部屋よりも少しだけ良い部屋らしい。
ベッドに横たわって渡された中学生のデータを眺めて、朔矢は顔をしかめた。

「今の中学生って…」

名前、顔写真、所属中学から、身長、体重の基本データ。更にプレイスタイルまで書かれている。
朔矢が目をつけたのは顔写真だ。

「本当に中学生かよ」

ごろ、と横になると、影が出来る。そのまま顔の上に紙を乗せて目を閉じた。





「先輩、朔矢先輩」

「…ん」


顔の上の重みが消えて、瞼の裏が明るくなる。
あぁ、眠ってしまったのか。
そんなことを考えながらぼんやりと目を開けると、目の前にある大きな瞳に見つめられていた。

「うわ…!」

きしっとベッドが音を立てる。

「どうして、事前に連絡くれなかったんですか」
「入江…」

入江奏多。一つ下の高校三年生の彼はU-17でも目立っている優秀な選手だ。
ずいぶん慕ってくれる可愛い後輩だと思っているが、今の状況は少しおかしい。

「…どうしてここに?」
「朔矢先輩が来ていると聞いて。ずいぶん探しましたよ」
「…」
「嘘です。コーチにどこにいるか教えてもらいました」

目を細めて笑う入江は相変わらずだ。去年、先輩後輩ながら仲良くしていた時からそう。なんといっても胡散臭いのだ。

「つーか…退け」
「この体勢、燃えません?」
「燃えません」

ベッドで横になっている朔矢を跨ぐようにして上から見下ろしてくる入江を押し退ける。
それから、すぐにデータを入江から奪い取った。

「見てないだろうな」
「なんですか、怖い顔して。見てないですけど」
「ならいい」

中学生達と試合する可能性がある入江に見られる訳にはいかない。

「入江、練習は?」
「休憩中です」
「早く戻れ」
「…」
「そんな目で見んな」

ぱし、と大量のデータで分厚くなった紙の束で叩くと、入江は残念そうに背を向けた。
呑気な奴だ。なんだかんだで後輩が可愛くて、薄く笑った朔矢。その腕がぐいっと引かれた。

「わ、」
「朔矢先輩。会いたかった」
「は…」
「来てくれて有難うございます」

可愛く笑った入江はそれだけ言うと今度こそ部屋から出て行った。

「…なんだ、あいつ」

親しかったが、朔矢にも入江の考えていることは未だにわからない。
朔矢は椅子に腰かけてデータに目を移した。

こいつらをサポートするんだ。
確かなやる気がそこには宿っていた。



・・・



翌日。

太陽の下、トレーニングに励む高校生達の話題は二つの事柄に絞られている。

「中学生が50人も?ついて来れるわけねーだろ」
「いやでもさ、あの人が中学生に付くって…」
「あ、オレさっき見た!相変わらずキレーだったぜ」
「中学生ずるくね?オレらだって…」

走る足のペースは変えずに、高校生達の表情はうっとりとしたものに変わった。
脳裏に浮かぶものは皆同じだ。この合宿のピリピリする雰囲気の中、優しく可愛らしい笑顔を見せていた一つ上の先輩。


「おい、お前ら」


ぼんやりとしていた彼らは、急に聞こえて来た声にびくりと肩を揺らした。丁度今すれ違ったほぼ金髪の男に目を向ける。

「一条先輩…!」
「無駄話、気をつけろよー」


それだけ、簡潔に言いたいことだけ言って横切って行く。それは今注目の、噂の君。

「やっべぇ、オレ目ぇ合った…!」
「お前キモ…」
「そういうお前も、にやけてるぞ」


無駄話の内容が自分であるとも知らず、朔矢は楽しそうにしている高校生を微笑ましげに見ていた。

そろそろ中学生が集まってくる時間となる。

昨夜頭に詰め込んだ中学生達のデータ。50人という人数あって、記憶力に自信はあるものの完璧には入っていない。
しかし、この合宿は面白くなりそうな気がしてならないのだ。

「齋藤コーチ、恨む…」

これは夢中になりそうだ。
写真でしか見ていない中学生に会うのが楽しみで、自然と頬は緩んでいた。




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