黒子のバスケ

□高尾君と保健室の先生
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○第二話、仲良くなりたい二日目




初めて保健室へ行った日の、その翌日。
高尾は足首に巻かれたテーピングを見ながら、珍しく溜め息を漏らして机に突っ伏していた。

どうでも良い授業を受けて、放課後部活。
普段は部活があるから学校に来る意味もあるというもの。大坪に話したところ、一週間はバスケ禁止と言われてしまった。

「あー…」

気にかかっているのはそれだけでも無くて。

「高尾君、元気ないね?どうしたの?」
「足、大丈夫?」

隣の席の女の子が覗き込んで問いかけてくる。
高尾はそれに対しへらっと笑いながら、昨日の出来事を思い出し口を開いた。

「あのさ、保健室行ったことある?」
「保健室?ううん、ないけど」
「あ、あたしあるよ!あそこにいる先生さー、めっちゃ好きなんだよねぇ」

えー誰?と返すもう一人の女子生徒に、もう一人はにやにやと嬉しそうな顔をしている。
やはり女子の人気は間違いないようだ。

「あ、分かった!高尾君も気に入ったんでしょ?」
「んー、まーそんな感じ?」
「やっぱり!顔も勿論だけど、何ていうか…雰囲気?がいいよね」

彼女の言い分を、高尾は自然に受け入れていた。
顔も雰囲気も、何と言うか物腰が良くて、あと声も結構いい。
思い出すと良いことしか浮かばないなんて、こんなに他人に対して好印象を抱くのは初めてかもしれない。

高尾は彼の指の感触を思い出して、隠しきれない嬉しさを俯き隠した。

「そーいえば」

そんな高尾の悦楽を、女子生徒の高い声が邪魔をした。

「隣のクラスの女の子、先生に告白するとかしたとか…」
「え、何それ」
「結構いるんだよねぇ。そういう身の程知らずな子」

馬鹿だよねー、と笑いかけてくる女子生徒に、高尾は茫然と言葉を失っていた。
何を以て“馬鹿”と称しているのだろう。
先生に恋をしたその事自体か、それとも告白するという無謀な行動に対してか。

(…無謀)

いや、そうとは限らない。もしかしたら生徒と先生の秘密裏な恋愛が始まってしまうかもしれない。

「高尾君?どうしたの?」

再び聞こえた声に、高尾ははっとして顔を上げた。
間髪入れずの返事が当然だといえる程のコミュ力を持つ高尾の黙り込む姿に、女子生徒は不安そうに眉を寄せている。

それに対して高尾は顔色を変えること無く、何気なくへらっといつもの笑顔に戻した。

「いやぁ先生に告白なんて、スゲェなーって」

それでも尚、苛立ちと同時に焦燥感が高尾を襲っている。
どうして焦っているのか、そのワケにも何となく気が付いていて。それで更に焦りが生まれるのは、嘗て無い感情の変化だからだろう。

「確かにその度胸はすごいと思うけどねー」
「ちょっと待ってよ、私まだその“先生”分かってないんですけど!」

高尾は静かに頭を腕の中に埋めた。
何よりも今は、気になってしまう先生に決まった相手が出来てしまう事が嫌だった。




・・・




チャイムの音が校舎に鳴り響く。
今日の学校生活がとりあえず終わった事を知らせる音だ。
とりあえずっていうのは、まぁ部活とかそういう事はまだ残ってるよっていう意味で。

それはともかく、咲哉はふーっと息を吐き出してから立ち上がった。

(少し…疲れたな…)

元々体力が無いということもあって、一日椅子に座っているだけで体力を消耗してしまう。

「ふぁ、あ…」

漏れてしまう欠伸を手で押さえて、涙で滲んだ視界を擦る。
それから咲哉は白いカーテンを引くとベッドに腰掛けた。

(さすがに…暫くは誰も来ないだろ)

まだ帰宅するわけにもいかないが、ここにいてしなければいけない事も無い。
咲哉は一日来ていた白衣を脱いでベッドの脇に寄せると、そのままパタリと横たわった。

「…」

今日来た女子生徒の甘い匂いがする。
若干居た堪れない気持ちになって上半身を起き上らせた咲哉の耳に、がららっという音が入った。

「せんせー!また寝てんの?」

同時に聞こえてくるのは元気な声。
咲哉はぼんやりとする頭で、前髪を真ん中で分けた釣り目の少年の姿を思い出した。

「…起きてるよ」
「ハハッ、でもそこにいんだ」

た、たた、とリズムの悪い足音が聞こえて思わずカーテンの向こうに出る。
すると、やはりそこにいた高尾は嬉しそうにパッと笑った。

「部活行っても何も出来ねーし、つまんないから来ちった」
「ここは遊びに来る場所じゃないんだけど…。まぁ丁度いいから、そこ座って」

足に巻いてある高尾のテーピングは、先日咲哉がやったままだ。
咲哉は高尾が座ったのを確認して、その前に膝を着いた。

「無茶してないだろうね」
「してねっすよー。部活の先輩にも、一週間バスケすんなって言われて」
「そっか。良い先輩みたいで良かった」

健康的な肌に、しっかりとした筋肉。
さすがはバスケ部といったところ、運動とは無縁になった咲哉とは比べるのもおこがましい体だ。

「高尾君がバスケしてるところ、格好いいんだろうな」
「何?気になる!?」
「そりゃあ、知ってる子が出てるっていうのは、見ていて楽しいだろうし」
「えー、それだけかよぉ」

高尾はどんな言葉を期待していたのか、むすっと頬を膨らませて顔を横に背けた。
こういう仕草は何とも子供っぽいというか、普段の鋭い目つきを思うと可愛らしく見える。
咲哉は思わずふっと笑って、テーピングを巻き終えた高尾の足を優しく撫でた。

「終わったよ。どう?」
「ん…いい感じ。さすが先生」
「ふふ、まぁね。これが仕事だから」

よし、と呟いて立ち上がる。
そこから見下ろした高尾は、何か言いたそうな顔でこちらを見ていた。

「…どうかした?」
「ん?いや…先生、最近何かあったりした…?」
「何か?」

ぽつりぽつりと言葉を漏らす高尾の声は、何やら覇気がない。それは今まで見て来た彼のイメージにはそぐわないもので。
とはいえ咲哉は彼の言う“何か”が分からず、うーんと唸った。

「何かって言われてもなぁ」
「告白、されたりとか」


告白。
咲哉は高尾の口から出た単語に一瞬停止した。
告白、とはつまり恋心を告げる為ものの事だろうか。

「僕が、誰から告白されるのかな」
「そりゃ…学校にいるんだし…夢見る女子生徒とか」
「夢見る女子生徒。それはすごいな」

確かにここ最近明らかな好意を向けてここに来る子はいる。
しかし、その手の事はたいてい一時的なのだ。いわばブームのようなもの。

若い者はやはり若い者同士の方が何かと都合も良いし、何よりも物理的にも精神的にも近いのだろう。
それを“愛の告白”と称するには何とも無理のある話だ。

「そんな事無かったよ」
「ホント!?」
「っていうかね高尾君、君は僕を過大評価しすぎ。ただのおっさんに本気になる子なんていませんよ」

どこからそんな話を聞いてきたのか知れないが、余り噂になっては困る。
高尾が気にしないようにという願いを込めて、咲哉は薄く笑い高尾の頭をぽんぽんと叩いた。

しかし、高尾は不服そうに頬を膨らませたまま俯いてしまった。

「そんな事ねーと思う…」
「高尾君?」
「少なくともオレは、先生ともっと仲良くなりてーよ。本気だし」
「え…」

尖らせた口から、もごもごと聞こえる言葉。
それは咲哉が思っていた内容とは異なったもので、思わず一度開いた口を閉じる。

それでも訪れた沈黙に高尾の目が揺らいだのが見えると、咲哉は焦って「いや」と何に対するでもない否定をした。

「えっと…そういう気持ちを蔑ろにするつもりは無いよ」
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。高尾君とも…もっと仲良くなれるといい、かな」
「…ホントに?」

思いの外すぐにパッと輝いた目に、咲哉はうんうんと数回頷く。
すると案の定高尾は嬉しそうな笑顔を浮かべ、咲哉の手をがしっと掴んだ。

「オレはその気満々だっての!先生ももっとオレの事気にしてくんなきゃ対等じゃねーもん!」
「はは、面白いな高尾君は」

面白くて可愛い子だ、そう思って頭を撫でれば、更に不服そうに頬を膨らませてしまう。
今の若い子は分からない、なんておっさん臭いことを考えながら、咲哉は椅子に座り頬杖をついた。

「でもさ高尾君、おっさんと話してて退屈じゃない?」
「退屈だったらそもそも来ねーし。先生こそ、オレのことうざいとか煩いとか、思ってない?」
「思わないよ。高尾君、可愛いから」

思わず出てしまった本音に、咲哉は「あ、まずい」と思い目線を下げた。
年頃の男の子に可愛いはまずいだろう。と思いきや。

「まーねっ。高尾君ってば素直で良い子だからさー」
「あれ、自分で言っちゃう」
「ん。だからもっと可愛がってね、センセ」

目を細めて口元に笑みを浮かべる姿は何とも妖艶に映る。
あぁ、こんな表情もするんだ。咲哉は高尾の新たな一面に、どうしても埋めきれない生徒との距離を実感していた。





2013/09/15
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