黒子のバスケ

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「えっと…?」
「赤司君には二つの人格がありました。君はその片方しか知らないんです」

ぽかんと開いた口が塞がらなかった。
そんな現実味のない話を、どう信じろというのだろう。
何それ、と思わず笑いそうになる。けれど黒子も黄瀬も緑間も、表情は真剣だった。

「…じゃあ、もしそうだったとして…今赤司君に会っても、俺の知らない赤司君しかいないってこと…?」
「恐らくですが」
「皆知ってたの?何で…?俺が、一番赤司君の傍にいたと…思ってたのに…」

自然と声が震えた。
自分が誰よりも赤司の近くにいた、そう疑わなかったから。

「俺が、頼りなかったから…?俺には、教えてくれなかったってこと…?」
「烏羽君、それは違います」
「でも、俺だけが知らないなんて…そんな…」

慰めるように、しゃがんだ黒子の手が真司の手を握り締める。
上からはテーピングの巻かれた手が頭に乗せられ、優しく髪の毛を梳き取った。

「赤司がそう望んだからなのだよ」
「え…?」
「お前にだけは知られまいと足掻いていた。赤司は本当にお前を好いていた、ということだ」

慣れない事を言って少し頬を赤くした緑間の言葉に茫然とする。
喜んで良いのか、それは。だってその“赤司”はもういないという話なのに。

「…赤司君に会いたいよ…」

本当にいないのだと、信じたわけでは無いけれど。

「テツ君のせいで…、もっと赤司君に会いたくなった…」

溢れる思いが素直に口から零れてしまう。
本当は離れたくなかった、ずっと一緒にいたかった彼。
ようやく手が届くところに辿り着いたと思ったのに。

「ごめんなさい。言い出すタイミングが、分からなくて」
「…っ、ううん。でも、有難う、テツ君」

話しだけでは実感がないけれど、知らずに会うことになるよりは良かったのだろう。
よく分からないけれど、“赤司征十郎”には会えるのだから。
小さく頭を下げて、そして低い位置にある黒子の顔を見る。
しかし、黒子の表情はまだ硬かった。

「烏羽君、もう一つ言わせて下さい」
「え…な、何?」

そして再び開かれた口から発せられた声は、思いの外重くて。
まだ何かあるのだろうかと恐怖にごくりと唾を飲み込んだ真司は、続く黒子の声に言葉を失った。

「もう絶対に無茶はしないで下さい…!」
「…!」

滅多に声を荒げない黒子の声にびくりと震える。
真司だけじゃない、黄瀬と緑間も目を丸くしていた。

「あの後、冷静ではいられませんでした。君が…あんな風に倒れてボクは…!」
「て、テツ君…」
「君を大事に思っている人がいることを、絶対に忘れないで下さい。一人で何とかしようなんて思わないで下さい…!」

真司の手を握る黒子の手がきつく食い込んでくる。悲痛に歪んだ顔が、擦れた声が実感させる。
愛してくれる人はここにもいたのに。忠告は何度もされていたのに。

「…黒子の言う通りなのだよ」
「そっスよ。こんなことになったの、赤司っちが知ったらどうなるかー…」

そこで会話がピタリと止まったのは、思う事が一致したからだろう。

「黒子っち、ご愁傷様っス」
「烏羽君、君のせいでボクの寿命が縮みましたよ」
「なんか、ほんとにごめん…ふふ」
「何で笑うんですか」

ぷくっと頬を膨らませた黒子が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
けれどその瞬間右目がズキリと痛み、真司は咄嗟に片手で覆った。

「真司っち?大丈夫?」
「うん、なんか…倒れ方良くなかったのかも。目、ぶつけちゃったのかな…」

今まで感じたことのない痛みに、妙な恐怖を覚える。
嫌な予感、それはまだ終わっていなかったのだ。

「…もし、俺がバスケ出来なくなったら…赤司君に嫌われちゃうのかな…」
「烏羽君…」
「あ、もう、赤司君は、いないんだったっけ…?」

もし出来なくなったら。
真司の足を買ってくれた赤司や青峰はどう思うのだろう。

「真司っち、もし何か後遺症とか残っちゃっても…オレ、ずっと真司っちのこと支えるっスよ」
「烏羽、お前はもっと周りを頼れば良い」
「…有難う」

視線を下げて、未だ握られたままの黒子の手にもう片方の手を重ねる。
自分勝手だ、本当に。
自分勝手な行動に、やはり多くの人に迷惑と心配をかけて。

その罰か、真司は右目の視力を失う事となった。



・・・



「烏羽君、大丈夫ですか…?」

医者からの重い通告の後、静かになった病室には黒子だけが残った。
気を遣ってくれたのだろう、いやもしかしたら愛想をつかれたのかもしれない。

「…何ていうか…あんまりショックではないかな」
「治らないと決まったわけではないですし、ね」

右目の視力が完全に元に戻る可能性はかなり低いのだそうだ。
包帯の下がどうなっているのかはまだ分からないが、まあ元々目は悪いわけだし。
そう余裕をかいていられるのも、自分の状況を知らないからなのか。

「…ごめんなさい。ボクは少し安心してしまいました」
「え、安心?」
「もう君が無茶をすることはないだろうと、思って」

眉を八の字にして、けれど口元には笑みが浮かべられている。
黒子も内心複雑なのだろう。
それは真司も同じ。実感はないが、やはりいろんな意味での恐怖は拭えない。

「俺、そんなに危なっかしい?」
「はい、とても」
「小さいから…とかだったら怒るよ?」

ぐっと拳を作って黒子の方へ向ける。
冗談のつもりだったが、黒子は少し視線を下げて黙ってしまった。

「…あれ、テツ君?」

急に変わった空気に、真司も不安に眉を寄せる。
そして黒子の顔を覗き込んでみれば、今度は少し泣きそうに、瞳を揺らしていた。

「君に告白したことは、忘れて下さい」
「…え…?」

そしてはっきりと、揺れない声で言う。
むしろ息を震わせたのは真司の方だった。

「君の赤司君への思いがそんなに強いなんて思っていませんでした。軽率でした」
「そ、そんなこと…」
「ボクでは、赤司君の代わりにはなれないです。それはさすがに分かります」

台本でも読んでいるかのようにはっきりと。
そんな揺るぎない台詞を、黒子はどんな思いで告げているのだろう。
いつも真っ直ぐ真司を見つめる瞳がこちらを向かない。

「テツ君…待って」
「すみません…今日はゆっくり、休んで下さいね」

立ち上がる黒子の手を掴もうと伸ばす。
目一杯伸ばした上半身も虚しく、届かなかった黒子の手が遠ざかって行くのを見送るしかない。

「やだ…やだ、テツ君…!」

ばさっと布団を退かしてベッドの下に足を下ろす。
一瞬ふらりとよろけた体は、ぱっと振り返った黒子に支えられていた。

「な、にしてるんですか君は…」
「ごめんね、テツ君、ごめん…俺…」
「いいんですよ、ボクのことなんて気にしなくて…」

腕を掴んだ黒子の手がまた離れていく。
自分がどれ程残酷なことをしているのか、ずっと分かっていたから触れなかった。
黒子だけは巻き込んではいけないと。だけど。

真司の手は今度こそしっかりと黒子の手を掴み、丁度良い高さにある肩へ顔を押し当てていた。

「ホントは…こんなの駄目だって分かってるのに…」
「烏羽君?」
「好きなんだ、テツ君のこと…」

心臓がうるさくて、頭がズキズキと痛い。
苦しくて途切れる息を吐き出せば、黒子の体がびくりと震えたのが肌を通して伝わった。

「…そんな、気を遣わなくていいんですよ…?」
「ううん、俺、ほんとは結構前からテツ君のこと…い、意識、してたっていうか…」

信じられない、黒子の声色は明らかに真司の言葉を疑っている。
それでも、真司に言えることはこれ以上になかった。
黒子が好きだ。黒子“も”好きになってしまったのだ。

「ボクは、ずっと…ずるいと、思ってました。ボクが最初に君を見つけたのに…君に触れることが出来る、彼等が」
「ごめ…」
「ボクも触っていいんですか…?」

黒子の手が真司の肩を掴んで体を離す。
顔を上げると、黒子の熱っぽい視線がそこにあった。

「テツ君…なんか、やらしいよ…」
「君が悪いんですよ、今まで、ずっと我慢して来たんですから…」

黒子の指が真司の頬を滑る。
首を辿って、凹凸の無い胸に重なって、真司の心臓の高鳴りを感じたのか、また泣きそうに笑った。

「君が好きです」
「うん…俺、も」

待たせてごめん。受け入れてくれて有難う。
いろんな気持ちが入り乱れる。それを全部呑み込むかのように唇が重なり、真司は静かに目を閉じた。





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