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□林檎飴
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まさか、先客がいるなんて思わなかった。
「風祭!?」
「え、真田くん!?」
突然現れた僕を、真田くんは目を見開いて見つめている。
「ば…っ、声大きい!」
「真田くんこそ!」
「あ、悪……とにかく、しゃがめ!」
僕はうなずくと、真田くんが隠れている長机の下に身をすべりこませた。
きっかけは、30分前に遡る。
「……くだらない。まったくもってくだらない」
翼さんは鼻で笑った。
「そんなの、じゃんけんで決めればいいだろ。」
西園寺監督の発案で今年からナショナルトレセン後にちょっとしたお祭りを開催することになった。全国各地の選抜チームごとに屋台のお店を出すことになっているのだけれど、僕達東京選抜はまだ出し物が決まっていないのだ。
わたあめ、金魚すくい、たこ焼き、射的、かき氷…
それぞれ主張して一歩も譲らないまま練習後毎の話し合いも虚しく、出し物の申請書類の提出期限はとうとう明日になってしまった。そこで、藤代くんが突然、こう提案したのだ。鬼ごっこをして決めよう、と。
「なんだぁ〜お前、負けるのが怖いのか?」
鳴海がにやりと笑う。
「そんな挑発に僕が乗るわけないだろ」
「まあまあ、翼さんも、鳴海も……」
「鬼ごっこに参加しないなら、椎名の案は却下だ」
「横暴だ!何の権限がある」
「キャプテン」
「ぐっ……」
「それでも納得いかないなら、監督からも翼の案は却下しようかしら?」
こうして、予想外に渋沢先輩と西園寺監督も賛成したこともあって、鬼ごっこ対決が決まったのだ。
視聴覚室。
ここで偶然出会った僕と真田くんは、机の下で膝を抱えながら息をひそめている。
暗い上に、狭い。真田くんの白いシャツの袖が二の腕に触れる距離。
くすぐったくて、少しどきどきする。それを真田くんに悟られないように、僕は膝に顔をうずめている。
鬼ごっこのルールは、5時までに数人の鬼から逃げ切るか、鬼は全員を捕まえれば勝ち。
「来ないね」
「……だな」
鬼は、一番鬼ごっこに反対していた翼さんを筆頭に若菜くん、小岩くん、桜庭くん、それに鳴海だ。
「…結人のチチ○スヨーグルトだけは阻止しねぇと」
「はは、よっぽど好きなんだねぇ。そういえば真田くんは、どうして林檎飴なの?」
「……笑うなよ?」
少しの沈黙のあと、少し照れたように、視線を反らし頬をかきながら真田くんが言った。
もちろん笑わないよ、
そう言おうとしたとき。ガラガラ、と視聴覚室の扉が開く音がして、僕は身を固くした。手をぎゅっとにぎりしめて、息を潜める。隣で真田くんが息を飲んだのがわかった。誰かが部屋に入ってきた。足音は、入口から壁伝いに窓に向かっていく。
幸い、僕達が隠れている机とは逆方向だ。そっと机の間から様子を窺うと、鳴海が一つ一つ、机の下を覗き込んで確認しているのが見えた。このままだと、見つかるのは時間の問題。真田くんと顔を見合わせて頷いた。
鳴海が入ってきた扉は開いたままだ。真田くんのあとに続いて、僕は身を低くしながらそっとその扉に向かった。
一歩ずつ。
音を立てないように。
だけど。
「……てめぇら!」
背後から声が聞こえて、僕達は弾かれたように振り返った。
「待ちやがれ!」
見つかった。
鳴海が、大股に駆け出す。
「風祭!」
「うん!」
僕達も一斉に走り出す。真田くんはさすがだ。机や椅子が点在する教室を、軽い足取りで駆けてゆく。廊下に出ると少しずつ、真田くんと僕との差が広がっていく。あせりながら振り返ると、何十メートルか後ろを鳴海がすごい形相で走っていた。
「風祭!」
真田くんが手を差し出す。
一瞬、目が合う。
僕はその手をとった。触れた瞬間、彼の温かくてごつごつした指が、僕の手の甲をぐっと握って引き寄せてくれる。
ぜったい離さないから、って言われたみたいな気がして、顔がかっと熱くなったのがわかった。
胸がばくばくと騒ぐ。これって、真田くんを意識してるから?それとも、単に追いかけられてるこの状況に緊張してるから?
だけど、今はどっちかなんて考えてる場合じゃない。廊下の角を曲がる。
階段を上がる。また廊下の角を曲がる。真田くんの手を握って、とにかく必死で走った。
気付けば、屋上にたどりついていた。
「……たぶん、巻いたな」
そっと柱の陰から振り返ると、さっきまで後ろを走っていた鳴海の姿はいつの間にか見えなくなっていた。
「良かった……!びっくりした」
二人で顔を見合わせる。
「…大丈夫か?」
「うん」
頷いたものの、息が上がってうまく喋れない。うつむくようにしながら、なんとか息を整える。
「俺、久しぶりにこんなに必死で走ったかも」
真田くんも、少し息が上がっている。
「ありがとう、真田くん」
「…別に。あいつが小回りがきかなかったおかげ」
ぶっきらぼうに言うと、真田くんは笑いながら空を仰いで、大きく息を吸った。
まだ手はつながったままだ。真田くんは気づいているのだろうか。できればずっとそのままにしてほしいと考えてしまう。
なかなか整わない息を無理やり静めながら、彼の手のあたたかさをこっそり確かめる。
「あ」
「どうしたの?」
真田くんの声に、どきりとしながら顔を上げる。
「まさに、こんな日だったんだ」
「え?」
真田くんは、目を細めた。視線の先には、雨上がりの夕焼け空がある。真っ赤なルビー色の夕日が照らすオレンジがかった雲と白い雲が混じって、きらきらと輝いている。
「……俺、ガキの頃、あの真っ赤な夕日を食べてみたいってじいちゃんに言ったことがあるんだ。」
真田くんが懐かしそうに言う。
「すごく旨そうで、甘いのか酸っぱいのか気になって…じいちゃん、『いつかな』って言って少し困ったように笑ってた」
「うん」
「それから何日かしてある日夏祭りでじいちゃんが『一馬、夕日だ、好きなだけ食え』って、出してくれたんだ」
「それってもしかして……?」
「林檎飴。きらきら光って、甘酸っぱくて、すごく旨かった。それ以来、林檎飴は魔法の食べ物」
「そっか、だから」
「そう。……誰にも言うなよ?」
「どうして?」
この話をすれば、少なくとも郭くんや若菜くんは林檎飴に賛同してくれそうだ。
「だって、恥ずかしいだろ」
そう言ったとき、真田くんは突然、はっと気付いたように僕の手を離した。瞬間、彼の顔が真っ赤になる。
「わ、悪い!手、ずっと繋いで……俺、なんか心地よくて……じゃなくって、えっと、とにかくごめん!」
慌ててふるふると首を振る。真田くんにつられるように、かっと顔に熱がかけのぼるのがわかる。
それに、手が離れて寂しいような、ほっとしたような、胸が少し締め付けられる感じ。今まで感じたことのない、あまずっぱいような不思議な感覚が押し寄せる。
真田くんは取り繕うように咳払いをすると、ぎこちなく空に視線を移した。少し気まずい空気が流れる。
横目で彼の顔をちらりと見る。僕、さっきから何か変だ。真田くんを意識しすぎだ。今までこんなことなかった。
「……あのさ、僕も真田くんの味方するよ。林檎飴に1票」
つとめておどけた口調で言う。
「え……いいのか?風祭、かき氷じゃなくて」
「いいよ。僕もあの夕日、食べたくなったんだ」
空を見上げながら言う。真田くんがこちらをじっと見ているのがわかる。
「でも……」
申し訳なさそうに彼は肩をすぼめた。
「いいんだ。だって……絶対忘れないと思うから」
「え?」
「今日真田くんと走ったことも、真田くんがおじいちゃんの話してくれたことも、真田くんとのこの時間も。この先林檎飴を見たら、夏祭りの記憶と一緒に思い出すでしょ?どんなに小さなことも、全部」
「……そうだな」
「そしたらきっと、僕にとっても魔法の食べ物になるから」
「……ありがとう」
目が合う。ふわりと笑った彼の瞳の中に、熱のこもったものがある気がして、僕は慌てて目をそらした。
夕方の太陽が、体を照らす。静かな屋上。いつもなら騒がしいだろう校庭も、さっきまで降っていた雨のせいか、静まり返っている。
恥ずかしくて目をそらしてしまった。
それに、本心とはいえ、ちょっとくさいこと言ったかな、そう思いながら、沈黙に耐える。
ふと、指先に熱が小さく触れる。
さっきまで繋がっていた熱が、ためらうように指にそっと、重なる。その正体に気づいて、僕の心臓はとくりと跳ねた。
視線を手元に持っていくことができなくて、僕は空を見上げたまま小さく喉を鳴らす。
触れたところから、僕のこの不思議な気持ちが彼に流れていくような気がする。
届いてほしい。
でも、少し届いてほしくない心地。
恥ずかしくて、少し怖い。真田くんにこの早い鼓動が聞こえていないだろうか。
空から視線を外さないまま、僕は彼の手を少しだけ握り返した。
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