CP

□特別
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層強まる腕に、心臓まで締め付けられるようだった。
もう一ミリも離れたくなかった。


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「先に入れよ」

せわしなく落ちる雫を乱暴に拭いながら三上先輩が言った。
差し出されたのは、少しごわついた薄いピンク色のバスタオル。
ためらいがちに受け取りながら、彼を見上げた。

「でも……」

三上先輩は目元だけで微笑むと、扉を閉めて出ていった。


胸元のネクタイをほどく指先が、自分のものじゃないみたいにぎこちない。
冷え切った両足にまとわりつくズボンが、重い音を立てて床に落ちる。
白の靴下に濡れた下着姿……という間抜けな姿のまま両手で顔を覆いながら、思わずしゃがみこんでしまった。

「あ、ああ…… どうしよう……!」

来てしまった。ホテルに。
つまりは、そういうところ、だ。

2人とも雨に打たれてびしょ濡れだった。
早く着替えないと風邪を引いてしまう。
こじらせて肺炎にでもなったら大変。
だから、だから、だから仕方なく……

聞かせる相手もいないのに、言い訳みたいに繰り返す。

三上先輩と話したことはほとんど無いはずだった。
怖い噂しか聞かなくて、一生関わらないと思っていた人。
同じ部活にいたことがあるにはあったがほとんど関わることはなかった。

それなのに、あんな大人みたいなキス。

確かに自分たちは見つめ合って、名前を呼び合って、痛いくらいに抱きしめ合った
雨の味と一緒に、熱を帯びた舌先の感覚が蘇って、声の無い悲鳴を上げそうになる。
三上先輩のバイクの後ろに乗ったとき、彼の背中を絶対に離したくないと思った。
黙って走り出したバイクの行き先を悟ったときも、それでいいと思ってしまったんだ。

三上先輩がシャワーを浴びている間、落ち着かない様子でベッドに腰掛けていた。
慣れないバスローブの下には無防備な裸。
危うい感覚に背中が粟立ってしまう。指先が小さく震えていた。

窓の無い部屋にあるのは、気が遠くなりそうな程大きく見えるベッド。
枕元にあるスイッチらしきものに恐る恐る手を伸ばすと、パチッと音を立てて、艶かしく光るライトが頬を照らした。

「……っ!」

慌ててライトを消す。
話には聞いていたけど、その時はよく分かっていなかった。
なんていやらしいところなんだろう…

細く息を吐く。
バスローブの裾がはだけないよう、かたいシーツの上に静かに横になった。
まるで棺の中の亡骸みたいなポーズ。
ざわめく頭の中に、悪い噂話が飛び交っていた。

『あの人、誰にでも手ぇ出すんだって』
『来る者拒まずって感じだもんねー』
『人の彼女でも既婚者でも関係ないらしいよ。でも一回ヤッたらそれっきりなんだって』
『うーわ、最低ー!』
『結局女なら誰でもいいんだろうねー』


そんな人を待って、こんな姿で、こんなところにいる自分。どうかしてる……のかな。






シャワーの音がやんで、大股で歩く足音が近づいてくる。
反射的に身体を起こしてベッドの上で正座した。

「……なんで正座?」

笑みを含んだ声に顔を上げると、バスタオルを腰に巻いただけの三上先輩がいた。
目が合った瞬間、全身の血が燃えるみたいに熱くなる。
恥ずかしさに俯きかけたけど、視線は張り付いたように固まってしまう。
丁寧に彫り上げられた、彫刻みたいな身体に。

三上先輩は小さな冷蔵庫を開くと、ミネラルウォーターを取り出して喉を鳴らした。
まるで自分の家みたいに振る舞う様子に胸が軋んだ。
慣れてるんだな、こういうとこ来るの。

「風祭、」

ぼんやり視線を泳がせていると、不意に名前を呼ばれて引き戻された。
緊張で身体が強張るのが分かる。
三上先輩はベッドの端に腰掛けると、正座したままの僕と目線を合わせた。
濡れた前髪の奥で、切れ長の瞳が熱っぽく揺れる。
まつげ、意外と長いんだ……

見惚れるほど、きれいな、男の人。

「……っ!」
長い指が頬に触れた。
確かめるように輪郭をなぞられて背中が跳ねる。
三上先輩が目を細めて喉の奥で笑った。

むき出しの肩が覆いかぶさり、熱を上げた。
髪を梳かれるたびに甘く眩い首筋に唇を落とされて息が止まりそうになる。

「あっ…… せ、せんぱ…い……っ」

身を捩る身体を、三上先輩は容易く押し戻してしまう。
頭の中が白く焼ける。
首の後ろからつま先まで、痺れるように熱い。
こんな感覚は知らない。
三上先輩の手がバスローブの胸元に触れた瞬間、僕は悲鳴を押し殺して、固くシーツを握り締めた。

ほんの数秒、その後で。頭上から聞こえる小さなため息。
三上先輩の動きが止まった。
恐る恐る目を開けると、三上先輩が優しい瞳でのぞき込んでいた。

「……怖い?」

「…悪い。不安にさせたな」
なんの反応もできない僕に自嘲的に呟いてから、僕の頭を、ぽんぽん、と撫でた。
まるで子供をあやすような優しい仕草に、緊張とほん心がゆるゆると解かれていく。
瞬く間に涙が滲んで、三上先輩が困ったように微笑んだ。

「このまま続けたら心臓破裂しちまう」

胸の上に置かれた手のひらに気づいて赤面する。

「わっ、どっ、どど、この手どかしてくださいっ!」

三上先輩は笑いながら、僕の髪をわしゃわしゃ撫でた。
まるで先輩の飼い犬になったみたい。
悪い気はしないなんて変かな。

「三上先輩は……」
「ん、」
「よく来るんですか、こういうところ……」
「……処女を連れ込んだのは初めてだな」
「しょ……!」
「違ったか。おまえのことだからてっきり」
「ち……っ!」

厳密に言えば処女ではない。組敷かれている格好になっているがこれでも一応男だ。なんと言えば良いかわからず、否定も肯定も出来ずにじたばたする。
三上先輩はそんな様子を、悪い笑顔で見つめている。「……連れ込んだなんて言わないでください」

ひとしきり笑われたあと、三上先輩の目を見ながらきっぱり告げた。

「来たくて来たんです。じゃなきゃバイクの後ろに乗ったりしません」
「……かわいい奴」
「えっ!?」

予想外のひとことに慌てていると、逞しい腕が僕を抱き込んだ。
髪に唇を寄せながら低く囁く。「続きはまた今度」

恥ずかしくて何も言えなくなってしまった。

「おまえのことは、大事にしなきゃいけない気がするんだ」

射抜くような目をして、三上先輩が言った。
その言葉は、青白く瞬く雷鳴のように、まっすぐに僕を貫いた。
再びこぼれ落ちた涙を、三上先輩の指先が柔らかくすくいあげる。「今はまだ…大人しく寝ろ」

三上先輩にポンポンと子供をあやすように背中を叩かれているうちに眠気がやってきた。その日はそのまま三上先輩と手をつないで、少しだけ眠った。
雨音も雷鳴も聞こえないこの部屋には、愛しい心音だけが響いていた。



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