PP×戯言
□六章
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さて、仕事もこれで終わる。そう思い美佳が席を立ったその時、一人の人物が目の前にいた。気づいたら、目の前に立っていたのだ。故に、いつからそこにいたかは全く分からない。
「申し訳ありません。もう閉局の時間で、」
と、ここまで言ったところで顔を上げる。その瞬間、美佳は固まった。理由は、目の前にいた人物が、今日自分が気にかけていた本人だからであった。
「……」
『あ、すみません。私ここの人間です。ちょっと外に出たいのですが、もしかしてもう裏口からになりますかね?』
その人物こそ、そう。美佳のライバルである最年少執行官の和音である。美佳は驚きながらも周りを見回す。しかしそこには、和音一人の姿しか見当たらない。
「執行官の早見さんですね。執行官の外出は監視官が絶対となっております。それに、外出許可の申請をいただいておりません。お手数ですが申請後、再度受付までお越しください」
『……今日用があるんです』
「本日は閉局致しました。明日以降受け付けております」
『……』
「……ご了承ください」
『……了解』
「……」
案外物分りの良い和音に、美佳は暫し呆気にとられる。大人びているとは聞いていたが、この年で自分の欲求を素直に抑えることが出来るとは驚きだ。
「……すごいですね」
『え?』
「いや、その年で勤務されていることがです。私なんて、あなたの年頃の時はまだ学生でしたよ」
『天然ですか?そんなにさらっと嫌味を言われると嫌悪感を抱くことを忘れてしまいそうですよ』
私は学生になることができなかった身ですからね、と付け足すと、美佳は態とらしく口に手を当てた。しかし、決して謝らない限り計画通りなのだろう。
『……』
学校には行ってないが、女の考える馬鹿な思考についての知識はある和音。一瞬で人識絡みの嫌味と分かれば、ため息をついてその場を離れた。
ただ、一言残して――
『ここにいる理由もなくなりましたので、失礼します。
それと』
「?」
『零崎という人物には近づかない方がいいということを、年下ながらご忠告させていただきます。
では』
「……」
零崎、と言った瞬間、美佳は僅かだが反応する。そっちに気を取られたおかげか、和音が態と¨¨年下¨¨と発言したことには何も感じていないようだ。
しかし、その代わりと言っては何だが小声で「あなたに言われたくないわ」と零す。和音に聞かれまいとしてボリュームを抑えたのだが、まるで返事をするかのように和音は背中を向けたまま手を上げていたのだった。
「……あれのどこが」
子どもなのよ
昼間、子どもだから可哀想と言っていたがとんでもない。腹が立つあの口ぶりや言い回しは間違いなく大人のそれだ。むしろ、対等な大人として扱わなければそれこそ失礼のように思えて来る。
ならば、和音に対し子供扱いするべきではない――美佳の口角が僅かに上がった。
「なら、きちんと教えてあげないとね。大人には大人の世界があるってことを」
ニヒルに笑ったかと思えば、美佳はパソコンを落としてその場をあとにする。志穂はと言うと、今日は用事があるからと一足先に帰っていた。
「志穂の奴……全く合コンなんて良いご身分ね。どうせ、イイのがいなかったからって夜中に私の家に転がり込んで来るくせに」
美佳はため息をつきながらも、自宅の冷蔵庫を思い出す。その中に何も入ってなかったことを思い出せば、来るべき夜食に備えて買い出しに行こうと決意するのだった。
「お疲れ様ですー」
退出管理者へ挨拶を終え、公安局を後にする。そして、志穂になにを振舞おうかと意気込みながら、携帯でレシピを見る。
「お、デザートかあ。洒落乙だなぁ。ん?あぁ、おつまみを作っておくってのも、良いのかもね」
レシピを見れば見るほどあれやこれやと案が浮かんで来る。いつか、料理好きはレシピを選ぶことすら楽しいと聞いたことがあるが、それは本当だろう。一人暮らしの美佳にとって、例え真夜中の来客であっても嬉しいものだし、何かしてあげたくなる。料理だって、その一つだ。
「まぁ、日頃お世話になっている礼も込めて……今日は飲み明かしますか!」
大体のメニュー候補を決めれば、後は予算の問題だとスーパーへ足を踏み入れる。値引き商品を探して見たがまだ時間が早いのか、それらしいシールは見当たらない。
「あちゃー、定時終わりは嬉しいけどこれだけはなぁ。
今日の所持金は……五千円。いいところでしょ、女二人だし」
独り言を呟きながら、 美佳は商品をドンドンカゴへ入れて行く。あまり考えずに入れるものだからスーパーを出る時には、財布の中身はスッキリと、手にはズッシリとした重みがかかったのだった。