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土方が去った後、三人には重たい空気が流れていた。
いつも沖田の側にいる神谷。その行為は誰かから頼まれたものでもなければ、土方に命じられたことでもなかった。
だが、彩乃は違う。
たった今、一番隊全員の前で土方に命令されたのだ。゛沖田の側にいろ゛、と。
もちろん、その命令は神谷の耳にも届いていたのだった。
42:そういうこと
神谷の心情が乱れるのではないかと、一番に心配した沖田。その予想は大当りで、目に見えて神谷は消沈していた。
「か、神谷さん……」
「何ですか」
「あ、いえ……」
このように、神谷の機嫌は頗る悪い。何とか気分を上げようとする沖田だが、一言で返され会話が終わる。
沖田に任せて二人を眺めていた彩乃だが、そういえばこの野暮天が役に立つわけがない、と今更気付いた。
早急に二人の間に入り、「仕方ねぇな」と小声で呟く。内心、面倒臭いと思っていたが、神谷の状態で前線にでれば死ぬ可能性は高くなる。
彩乃は思ったのだ。
この子が死ぬには、まだ惜しいと――。
『神谷さん、お話があります。沖田組長、申し訳ないのですが、少しの間席を外していただけませんか?』
「え? あ、はい……」
神谷をチラチラ見ながら去ろうとする沖田に、彩乃はこっそり耳打ちする。
俺に任せてください、と。
すると沖田は嬉しそうに頷き、「頼みます」と言って部屋から出て行った。その間、神谷は黙ったままだ。
これは相当凹んでるな、と思うが、決戦は今晩。荒療治になっても気を奮い立たせてやろうと、彩乃は意気込んだ。
『神谷さん、座ってください』
彩乃の言葉に、神谷は従う。隊部屋には、二人以外の姿はなかった。ゆっくりと気がねすることなく話せるというものだ。
『辛いですか?』
「え……」
唐突に話す彩乃に、神谷はうろたえる。しかし、少しの時間をおけば「そんなことありません」と言った。
もちろん、それが狂言だと彩乃は気付いている。
『辛くない、わけないですよね。数日の間ですが、神谷さんが沖田組長をお慕いしているのは、よく分かりましたから』
「ち、違います!」
必死な神谷を見て、彩乃はクスリと笑う。そしてこれまた唐突に、「また昔の話ですが、良いですか?」と切り出したのだった。
『俺も恩人にベッタリの身でしたから、もし神谷さんのようになれば、きっと悔しく思います。
しかし、ある日言われたんです。
゛君が側にいると、僕はおちおち死ねないな゛って。
この意味、分かりますか?』
「ん……? む、難しいです」
『俺の恩人も、誰かを護るために一生懸命な人でした。そして、一生懸命だからこそ、自分の命を省みない。
そんな人が、安易に死ねないと言ったんです。これって、スゴイことですよね?』
ここまで言うと、神谷は気付いたように「あ」と言う。彩乃の言いたいことが分かったのだ。
一方の彩乃も、神谷の表情に安堵する。今の神谷は、先程のようなしょぼくれた表情ではなかった。
『俺の恩人も、沖田組長も同じなんです。だからね、神谷さん。
俺は沖田組長の身を護ります。誰にだって殺させやしないし、傷つけさせません。
だから……
神谷さんは沖田組長の心を護ってください。
自分の命を大切にする沖田組長でいられるよう、その支えになるように、神谷さんは組長の側にいるのです』
「っ!」
『確かに副長は、俺に組長の側にいろと命令した。しかし、神谷さんは引け、とは言いませんでしたよね。
副長はきっと、こういうことを言いたかったんですよ』
最後にニッと笑う彩乃に、神谷は目を潤ませる。そして、「分かりにくいんだよ」とごちれば、一生懸命、涙を拭くのだった。
しかし、ゆっくりもしていられない。神谷は、行かなければならない所があるのだ。
「屯田さん!」
『はい』
「ありがとうございます! この神谷清三郎、沖田先生をしっかりとお護りいたします!!
それで、えっと〜っ」
『分かってますよ。行ってあげてください、沖田組長の所に。きっと神谷さんのことを気にしてますから』
気を利かせて言えば、神谷の顔は赤くなる。しかし、その赤面を隠すように「では、これで!」と向きを変えて行ってしまった。
『おー、おー。元気で何よりだ』
神谷の姿を見て、彩乃は眉を下げて笑う。そして、先程自分が言ったことを思い出した。
゛君が側にいると、僕はおちおち死ねないな゛
思い出せば、「クッ」と喉の奥で笑う。そして何もない天井を見ながら、一言、
たった一言だけ、呟いたのだった。
『本当にそう思ってくれてたら、嬉しいな』
沖田の、僕は死ねないな発言。
実はこれ、神谷を元気づけるために思い付いた、彩乃の嘘っぱちだったりする。
そう。全て、嘘――
『ハハ、なんであんなこと言っちゃったかねぇ〜……』
神谷を励ますとは言え、咄嗟に使ってしまった自分の恩人。今はその報いからか、彩乃の心の中にポッカリと大きな穴が空いているのだった。