薄→風
□19
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ガシッ
「!!?」
『どこへ、行かれるのですか』
19:小さな囲い
涙?
んなもん、知りませんよ
などと言わんばかりの殺気に近い気が、彩乃から沖田へと投げられる。初めあまりにも驚いて声も出なかった沖田だが、しばらくすれば落ち着いたのかいつもの笑顔を浮かべた。
「手水ですよ」
『っ……失礼、しました』
潔い程に、彩乃は手を離す。そして土下座で礼をして、再び寝の態勢に戻った。
「……」
一連の行動を見た沖田は、何も言わない。ただジッと、彩乃を見ていた。しかし「では」と一言残せば、音もなく部屋から出ていく。
『……ッ』
残された彩乃は、ギュッと目を閉じる。そして、先程の沖田の所作や声や雰囲気を思い出す。そうして、言い聞かせるのだ。
何もかもが違うのだぞ、と。
『〜っ!』
隣へ来てどうする?
引き留めてどうする?
理由を聞いてどうする?
いや、そもそも。
こんなことでいちいち不安になっていて、どうする――
『全部、違うんだから……』
沖田は沖田であるが、大恩人である゛沖田゛ではない。そんなこと、百も承知のはずなのに。
『違う……っ』
彩乃は自身に言い聞かせるように、その言葉を何度も小さく繰り返す。
そして、手水にしては長い時間戻ってこない沖田を気にしないようにと、強く強く、耳目を塞ぐのだった。
―――――――
「いいですか、土方さん」
「の前に開けてんじゃねぇか、総司」
寝床を離れた沖田が向かった先。それは厠などではなく、副長室、土方歳三のところであった。
沖田は何か思うところがあれば――なくても――必ず土方に頼っていた。といっても、沖田が全貌を話す前に土方が全てを読み取って、遠回しにアドバイスをするのだが。
「新入隊士のことか」
「え〜、もう、嫌なお人!」
「お前が来たんだろうが」
例に漏れず、今回も土方の勘は冴える。悩みだと予想するだけでなく、悩みの内容まであてたのだ。
「お前の見解はどうだ?」
書き物をしながら問う土方に、沖田は暫く間を開ける。主語がないが、きっとあの人物を指しているのだろう、ということくらいは分かっていた。
「怪しくはないです。ただ、不思議なだけで……」
「不思議?」
「はい……何と言うか、私を監視してるというか……」
「は!? 監視だぁ!!?」
「ちょ、声が大きいですよ〜土方さん! もう夜なんですから!」
沖田の言葉に鎮まった土方だが、゛監視゛の言葉が衝撃だったため、沖田に詳細を求める。
「監視って言っても、危険なものじゃありません。何か、こう……私のことを気にしすぎて、身動きが取れなくなっているような……」
「……は?」
「いや、だから〜こう、小さなお皿の中で足掻いてるような〜!」
「……」
懊悩しながら話す沖田に、土方は「もういい」と頭を抱えた。沖田は自分の話が通じたのかと喜んだが、その期待はすぐに玉砕する。
「要するに、お前は腹が減ってんだな」
「へ?」
「ここに干菓子があるから、これ食ってとっとと寝ろ。食や寝れる」
「ひ、土方さん〜!」
「違うんですよう!」と抗議しながらも、出された菓子をボリボリ貪る。そしてひとしきり食べた後に「ご馳走様でした」と言って、己の寝床に返ったのだった。
パタン
「……」
襖が静かに閉められた部屋に残ったのは、鬼の副長。今も眉間に皺を寄せて、何やら考え事をしている。
私を監視してるというか
「……」
沖田の勘は根拠がないが、よく当たる。なのであのように言ったからには、相手からそれなりの行動があるのだろう。
コトン
土方は筆を置き、冷え切った茶を飲む。そして襖を少し開け、一番隊のいる方へ目を向けた。
今は当然光がなく、真っ暗闇だ。しかし、その暗さが変に不気味に思え、喉を通るお茶が一層冷たく感じた。
「要注意人物、か」
それだけ言うと、またもや静かに襖を閉める。そうして、土方は様々な思いを抱えたまま、未だ明けない夜を一人過ごすのだった。