遙かなる番外編

□寝相
1ページ/6ページ

寝相 1


夜の冷気が部屋の中にも入り込んでくる。
暖はほのかにゆれる紙燭の明かりのみ。

頼久は棟梁の息子らしく刀の手入れをしていた。
彼はまだ15歳。
普段の彼にしてはかなり遅い時間まで起きているのだが‥‥それには理由があった。

廊下が軋む音がした。誰かがこちらに向かって歩いてきているらしい。
そのかすかな音で‥‥彼は誰が来たのかがわかった。

やがて引き戸が静かに開き‥‥彼のいちばん尊敬する人物が入ってきた。

「頼久。眠れないのか?」
「兄上‥‥。」
「初めての重要任務だ。緊張するのはわかるが肩の力を抜いてな。」
「はい。もしものときは命をかけて若君を守り抜き、必ずや兄上のお役に‥‥」

軽く足音を立てて兄と呼ばれた人物は頼久に近づいた。そして己に良く似た頼久の頭にぽんと手を置いた。
その手の大きさにほわっと優しく包み込まれる気がして‥‥頼久のその緊張した心がひととき和らいだ。

「命は無駄にするものではない。判ったな。早く眠れ。」

明日頼久は初めて危険の伴う任務につくことになっていた。
左大臣家の若君の警護だったのだが、このところ洛中もかなり物騒になっていて、貴族ですら賊に襲われることが多くなっていた。
明日訪れる場所に向かうには、途中どうしてもそのもっとも危険な場所を通らねばならない。
本来なら棟梁である彼らの父が同行すべきではあるが、近郊の視察に出る左大臣に同行するために彼ら兄弟が若君の護衛につくことになったのだ。
兄の実久は、武士としての実力も頭としての統率力もかなり優れた‥‥次期棟梁として申し分ない実績を積んだ優秀な人材だったが、弟の頼久は武士としての腕は誰にも引けは取らなかったものの、まだ若く精神的にもまだ甘さが残るためか、屋内の警護やあまり危険の無い任務ばかりで、今までこのような重要任務には就かせてもらえていなかった。
今回の任務が頼久の評価を左右するといっても過言ではなかったため、肩に力が入るのは致し方ないのである。

「目が冴えてしまって‥‥なかなか眠れそうにありませぬ。」
「どうした?お前らしくもないぞ。いつもなら‥‥夢すら見ずに熟睡するのにな。」

頼久が夢を見ないのは本当であった。
眠りが人一倍深いのであろう。その分、短時間でも充分な睡眠が取れるらしく朝はかなり早起きであった。

「明日に差し障るぞ。あとでいつものように掛け布を直しておいてやるから。」
「‥‥は?」

実久は思いもかけぬ事をさらりと言った。

「お前、幼い頃から寝相が悪いからな。必ず腹を出して寝ているのを、いまだに毎晩私が直しているのだぞ。」
「なっ!!‥‥兄上っ!!」

兄の言葉に頼久は顔から火が出るほど真っ赤になっていた。
この年にもなって兄にそのような手間をかけさせていたことが、相当恥ずかしかったらしい。
真っ赤になった頼久をを愉快そうに見ながら実久はさらに言った。

「腹出しは冗談だが‥‥寝相が悪いのは本当だ。いずれ惚れた女人と共寝をするようになったら‥‥あれでは嫌われてしまうぞ。」
「あ‥兄上っ!!!と‥共寝など!!!」

狼狽する頼久を見ながらニヤニヤしていた実久だったが、ますます真っ赤になっていく初心な頼久をさすがに気の毒に思ったのか‥‥。

「あははは!とにかく早く床に入れ。休める時に体を休めなければいい仕事が出来ないぞ。」

そういい残すと実久は部屋を立ち去っていった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ