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□絶対領域
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「この椅子で大丈夫?」

「うん、ありがとう…。」

少しずつ落ち着きを取り戻した佐助は、お姫様抱っこから解放されパイプ椅子に腰掛けると、深い溜め息と共に肩の力を抜く。

「何か暖かいモノでも飲む?」

ロッカールームには休憩時に飲む用のお茶とポットが置かれていた。

「ん……」

何時もならお気に入りの茶葉を選んで煎れるが、そんな余裕は流石にまだない佐助は、彼のセレクトに任せた。

「はいよ。」

「ありがとう。」

逞しい体躯に似合わずセレクトしたのは、カモミールティーだった。

「怖い思いしちまったね。」

「うん…」

佐助は自分が思っていた以上にショックが大きかったのか、初対面の男を前にして自分を取り繕うことすら出来ずに弱音を吐いてしまう。


「おい、大丈夫か?」

普段は憎まれ口ばかり叩く政宗も、今日ばかりは佐助を気遣い様子を見に来た。

「平気平気。ちょーと予想外だったからさ、驚いただけだって。」

政宗がいつになく優しいからか、見知った顔を見た安堵からか、両目から大粒の涙がポロポロと溢れ出る。

「あれ、あれれ?やだなぁ、何だろねぇこれ?」


泣いてるとこなんて見せたくないし、何より二枚重ねのつけまが取れてしまうのを気にできる余裕はあるのに、涙を止めることができなかった。

「今日は送るからもう帰れ…。」

バサッと音と共に視界が遮られる。

政宗が着ていたジャケットを脱いで頭から被せてくれた。

「じゃ、俺が送るよ。」

「いや、悪いが今日は遠慮しときな。あんたがコイツの彼氏なら預けるんだけど…」

「それって…立候補しろって煽ってんの?」

「さあな。」

「でも、今日のとこは引き下がるよ。弱ってるとこにつけ込むなんて男らしくないからね。」

これ以上初対面の男の前で醜態を晒したくない佐助は、ジャケットを被ったまま涙が治まるのを待った。


「着替え持って行ってやるからそのまま車乗っちまえよ。」

「ん……」

「それじゃ、気をつけて。あ、あとちょっと待って!」

ガサガサと何かを取り出し、ビリッと破く音が聞こえると、佐助の手に紙片が渡された。

「それ、俺のアドレスと携帯の番号だから。心細かったら連絡して?」

「ん、ありがとう。」

下心があるのかも知れないが、それ以上に心底心配そうな声色に、素直に受け取ってしまった。




「アイツ……どっかで見た顔なんだよな。」

「うっそ!あんな目立つ奴が来たら俺様だって覚えてるはずじゃない?」


政宗の車は窓ガラスにスモークが貼っているので、落ち着きを取り戻した佐助は家路に向かう車内の後部座席で着替え始めた。

「そうだよな…俺も一度見た顔は忘れないんだが、店の外だったかのかな。」

「へぇ、旦那が思い出せないなんて珍しいねぇ。」

重ね着けした着け睫毛を外し、瞼が開放された佐助は慣れた手付きで政宗が持ってきてくれたクレンジングシートでメイクを落としていく。

「まぁ、明日から様子見も兼ねて少し使ってみるかな。」

「うちの店中性的な可愛い子系ばっかりだからガタイのイイ子もそれはそれでマニア受けするかもね。」

ようやく軽口をきけるようになってきた佐助は、体を制汗剤入りの拭き取りシートで念入りに拭く。

「あー…その、何だ、まだ気持ち悪いか?」

「や、違う違う。真田の旦那がさ、化粧品の残り香まで嗅ぎつけちゃうからさ。」

「何だ、イヤイヤ言ってる割には素肌嗅がせるような仲なのか?」

「だーかーらっ、別にまだそんなんじゃないってぇ。」

ただ、あの妙な行動も自分への好意から来る嫉妬なら合点が行く。

意外と間が悪い幸村の事だ、家に着いた途端に押しかけてくる可能性もあるから、なるべく女装の痕跡は消しておきたい。

さっきまであんな野郎に触られて気持ち悪いやら悔しいやらで涙まで流したのに、幸村を思い出したらそっちが最優先になって、すっかりいつものペースを取り戻していた。

「参ったなぁ…」

うっかり口に出してしまったが、政宗の耳に届いたかは定かではないが、こういう時に茶々を入れてこないのはありがたかった。


「ん?おい猿っ、お前ん家の前に誰かいるぞ。」

思わず身構えてしまうが、あの男は今頃警察でお巡りさん以上に迫力のある右目 の旦那にコッテリと絞られているはずだ。

外側からは見えないと分かっていつつも少しだけ身を屈めて玄関前を徐行して走らせる車内から人影を確認する。

「何だぁ、真田の旦那だよ。」

「そんじゃあ停車して大丈夫だな。」

ちょうど玄関前に横付けして停めてもらい、再度身なりを確認する。

「バッチリ化け終わってるから大丈夫だよ。」

早く愛しのhoneyんとこ行ってやんな?
と憎まれ口をたたかれながら車のドアを開ける。

「なぁに玄関前なんかで待ってんの?」

「あ、あぁ…、いや、その、ぐ、偶然通りかかっただけだ。」

真っ赤な耳朶と鼻頭を見れば寒空の下短くない時間待っていたのは一目瞭然だった。

「そんじゃ、アンタの大切なお姫様は送り届けたからな。」

「なっ、何言ってんだよっ!」

フロントガラスを下げ、政宗がいつもの良からぬ笑みを浮かべて幸村に声をかける。

お、お姫様って!
真田の旦那は冗談通じないんだから止めてよねっ!


「お姫様…とは、佐助の事にござりますか?」

ほらっ、真に受けてるー!

「お前さんにとってそう感じるなら、そうなのかもな?」

うわあぁああ胃が…超痛いんですけど……

投げるだけ投げっぱなしで政宗は去ってしまった。

「佐助、あの御方は?」

「あー、大学の友達…ところで、何か用事あったんじゃない?」

「いや…もう済んだ故帰るぞ。」

「そうなの?」

「ああ、お前の顔が見たかっただけだからな。」

そう言い残してさっさと隣の家へと帰ってしまった幸村に、その場で叫びたくなるのを必死で堪えた。


顔見たかったって何?


今までそんな事一回も言われた記憶なんてないぞ?


幸村の言動に振り回されっぱなしの佐助は、叫び出せる布団の中まで一目散にダッシュした。
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