この二週間、私は病室での安静を言い渡されていた。

ここ最近軽い発作が続き、病状もあまり良くはないから、仕方ないといえば仕方ないのだろう。

本を読んだり父に手紙を書いたり、大学のレポートをまとめたりしてなんとか気を紛らわせていたが、やはり病室で一人きりなのは退屈だ。

しとしとと静かな雨が降る外の音を聞きながら目を閉じて、あの丘の上の景色を思い出す。

木々の青葉は雨露に濡れてその青さを増し、夏に咲く花達は降る雨につぼみを静かにうつむかせているんだろう。

――あぁ、そういえばあの丘にはアジサイが咲いてるんだった。

ふと一瞬、深い青紫の優しい花の色が目に浮かぶ。

教授が、とても綺麗に咲いているから一緒に見に行こう、と言ってくれたのに、このままの病状が続くようではそれも無理かもしれない。

もう少ししたら梅雨も明けて、あっという間に蒸すように暑い夏が来る。その頃には丘の上のアジサイは色褪せ、枯れてしまうだろう。

教授との約束を破ってしまう罪悪感や、アジサイを見ることが出来ない残念さが混じりあい、柄にもなくため息が出た。

そんな気持ちを追い払う様にぐっと伸びをして、ふと壁に掛けられた時計が夕方の四時半過ぎを差しているのをちらりと目にした時、コンコンと控えめなノックの後に少しハスキーで穏やかな声が私を呼んだ。

『刹那、起きているかね?』

はい、どうぞ、となるべく先ほどの落ち込んだ気分を隠しつとめて明るい声で短く答えるとすっとドアが開き、鞄と何か大きな紙袋を下げた教授が病室へ入ってきた。

錯刃大学病院の本院に用事があったらしく、朝から出掛けていた教授はスーツ姿で、白衣を着ているところしか見たことのない私にはそれが新鮮に見えた。

『体調はどうだ?』
『ええ、大丈夫です。発作も今のところはおさまってるみたいで。それより、随分な大荷物ですね。何かの資料ですか?』

教授はベッドサイドの椅子に腰を下ろして少し落ち着いたように小さく、ふぅ、と息をついて微笑んだ。

『退屈を強いられている患者へ、担当医からのささやかなお土産だよ』

そう言って教授は紙袋からテーラーの薄い青色の箱を取り出して、丁度ベッドの上の私の腿の辺りにそれを置いた。

『わ、ありがとうございます!』

素直に感謝の言葉が出たが、やはりどこか少し遠慮してしまう。
何だか悪いです、と告げると教授は、大したものではないから、と少し困った様に笑いつつその箱を開けるように私を促した。   

かかっているリボンを解いて箱を開けると中身は洋服のようで、包んでいる薄紙をそっと破かないように開けて広げてみると、それは白い襟がついたシンプルだけれど品の良い爽やかな青紫のワンピースだった。

少し柔らかな光沢があり、光の当たり方によっては落ち着いた青にも見える。

『これを私に?』
『あぁ、大学病院の帰りに丁度街に行く機会があったから何か君が楽しめるものを、と考えたんだ。脳科学の入門テキスト、なに、たったの500ページ程度のものにしようとも思ったんだが、そのワンピースの色があまり綺麗だったからこちらを選んでみた』

告げられたとんでもないページ数に本じゃなくて本当によかったと胸を撫で下ろしつつ広げたワンピースを見つめる。

『ありがとうございます。早速着てみてもいいですか?』
『あぁ、是非』

しかし一応は安静なのだから立ち上がる時は気をつけて、と教授は軽く付け加えると、ベッドを仕切るカーテンを閉めた。

パジャマから、後ろのチャックに戸惑いつつもすぐにワンピースに着替えてカーテンを開けると、教授は、ほぅ、と小さく呟いてから私のワンピース姿を何か美しい物を見た時のように優しげな目で見つめる。

クラシカルなシルエットはとても落ち着いていて、蛍光灯の味気ない明かりの下でも青紫のワンピースは褪せることなく美しかった。

『似合いますか…?』
『あぁ、よく似合う』

そう言われると少し嬉しくなって、ふふ、と小さく笑ってからファッションモデルがするようにくるりと回ってみせた。

『きっと、あの丘のアジサイもこんな綺麗な色なんでしょうね。…見たかったなぁ…』

繊細に作られたワンピースの裾や袖の色をまじまじと見ていると、ふとそんな言葉が口をついて出た。
すると教授は、いつもの自信たっぷりな笑顔を浮かべて私の瞳を見つめて口を開く。

『…丘の上のいつ褪せてしまうとも知れない花の色よりも、自らの眼前に確かに映る君の纏う色の方が、私には幾倍も美しく見えるよ』
『…!』

私は何だか、恥ずかしいような嬉しいような不思議な気持ちを噛み締めてうつむく。

教授がどんな顔をしているのか気になったけれど、それを見たらますます照れてしまいそうだと私は自分の爪先のあたりをじっと見ていた。

『あぁ、雨が止んだね』
『え?』

教授の言葉に顔を上げ窓の外を見ると、確かに先ほどまで降っていた雨は止んで、あたりは雲間の夕日の穏やかな光に包まれている。

夕焼けに照らされたワンピースは雨上がりの雨露に濡れたアジサイの花に似て、静かな光沢を湛えて鮮やかな青色を増していた。









乃愛の誕生日記念に頂きました!
水彩画のような世界観でしょうか。色鮮やかな情景がしっとりと、浮かび上がって来るようです。


ダイオード様いつもありがとうございます!(^▽^)






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