短編
□沖田総悟生誕祭2013
1ページ/1ページ
“あの日”の話をしようか。
見廻りの途中だった。土方さんと並んで歩いて、橋の上に差し掛かったところで、俺は不意に足を止めた。
何年前かのちょうど今日、俺はここにきたことがある。そのせいか、やけに記憶が鮮明に蘇るんだ。
七月八日、夜明け前。
そうだ、確か数年前もこんな蒸し暑い夜だった。
“あの日”、俺は初めて、人を斬った。
攘夷浪士を数名、単独で追っていた。そしてここで、衝突した。
近藤さんのためなら。そう思った。すると、不思議となんだってできる気がした。
一人斬ってしまえば、あとはもうただの作業でしかない。刀を振るうたび、生温かいものが体へついて、流れた。
最後には、蝉の声だけが残った。
「ねえ、近藤さん」
呟いた声音が今までと違うことに、一体誰が気付いたというのだろう。自分自身、気がつかなかったというのに。
「“僕”は……」
なぜたろう。不意に、姉の姿が頭を掠めた。見られてしまったのではないか、とさえ思った。こんなところに居るはずのない影に怯えて、駆け出していた。
浮かぶ笑顔が徐々に曇るのが怖くて、悲しくて、だけど止められなくて、必死でその影から逃げた。
『“僕”はやったよ』
影が呟いた気がした。
探す間も、考える間もなかった。
それは紛れもなく、過去の自分の影であった。
『良い子ね、そーちゃん』
幼い自分と、その頭を撫でる姉。それらがやけに、キレイに見えた。
「やめてくれ」
声が震える。
ただ、掻き消したかった。
どこに逃げれば良いのか、わからずに光を求めた。
「違う……違う!」
もう、良い子じゃ無いんです。
もう、あなたに褒めてもらえるような弟では、いられないんだ。
『“僕”は…』
「やめてくれ!」
遮るように、扉を開いた。息が弾んでいることに、この時初めて気がついた。
ここはどこだろうか。わからないほど、混乱していた。しかしすぐに、
「遅かったじゃねえか」
と、足元から声がした。
見れば、土方が靴を履いているところだった。まるで、今から出掛けようとでもしていたみたいに。
「遅い……?」
じゃああんたは、そんな遅くに、いったいどこに行こうとしていたのか。
「手間取りすぎだ、馬鹿」
そう平然と言い放ち、脱ぎかけの靴を投げ出した。
土方が立ち上がるのと同時、こちらは俯いていた。どうしても、顔を背けていたかった。
どうして、さも心配していたような口ぶりで、冷淡なことを吐く?
どうして、その靴を履いて、出かけて行ってくれないのか?
どうして、
「でもま、よくやったじゃねえか」
どうして、頭を撫でる?
あんたは冷たくて、酷くて、それでいいのに。
どうしてそう、温かくいられるのか?
あんたと俺に、いったいどんな違いがあるんだ。
「……近藤さんも、きっと喜ぶぜ」
少し考えればわかることだった。そんなこと、あるはずなかったんだ。
たとえ誰が人斬りになろうと、あの人は優しく迎えてくれるだろう。だけど、決して手放しで喜ぶような人じゃない。
それなのに。
「近藤さんのためなら、当然」
そう、口をついて出た。
途端に、心から何かがスッと消えていくのを感じた。
そうだ、これは近藤さんのためだ。
何か、問題があるだろうか?
……結局人のせいにして、逃げただけのことであった。
「ところで、何をやめて欲しいって?」
「……。」
何も答えず、振り返った。
扉の向こうに、幼い兄妹が立っている、その幻が見えた。さっきより、幾分も遠ざかっていた。
遠ざけたのは、自分だ。
それももう、わかっていたことだった。
戻れやしないんだ。そのことに、この時ようやく気がついた。
「……総悟」
土方の声に、視線を戻す。土方は今まで見たことのないような表情をしていた。
「重たいのなら、捨ててしまえ。少なくとも、“俺”はそうした」
瞳から読み取れる感情は、悲しみでも、後悔でもない。簡単には踏み入れない、必死さがそこにはあった。
「……まあ、さっさとあがれよ。近藤さんが、お前の誕生日を祝いたがってる」
「あ、そうか、今日……」
自分の誕生日。そういえばすっかり忘れていた。
だけどおかげで、言い訳が一つ、できあがってしまった。
「……“俺”は、着替えてから行くから」
もう一度、扉の向こうを振り返る。兄妹の姿は、もうどこにもなかった。
当然のことだった。過去は、今、切り離したのだから。
「そうか」
土方は、何も言わなかった。
近藤さんは、この一人称の変化を気にするだろうか。だけどきっと、もうこの年だから、と言えば、あの人は成長だと喜んでくれる。
立ち去る土方の背中を、なんともなしに見つめてみた。
そこに背負っている何かを、俺に教えてくれようとしたんじゃないのか、自分が苦しんだ道から、俺を救おうとしてくれたんじゃないのか。そう、思ったから。
「素直に言ってくれればいいのに」
やっぱり癪に触る野郎だ、と思った。
素直じゃないのは、きっと自分の方だったのに。
結局。
最後に「僕」と言った日は。
最初に「俺」と言った日になった。
「何してんだ、総悟」
橋の真ん中あたりから、土方さんが俺を呼んだ。そこでやっと、現実に引き戻された。
あの人はきっと、『あの日』のことなんて忘れただろうな、と思った。
今だってきっと、俺がただぼうっと川を見ている、それだけに見えたに違いない。
「土方さん、今日が何の日か知ってます?」
駆け寄って、言ってみる。
土方さんは面食らったように数秒動きを止めたけど、すぐに小さくため息をついた。
「……構ってちゃんか、お前は」
ぐしゃり。俺の髪を乱暴に撫でながら、土方さんはまた歩き出す。
苦笑に近かったが、その顔は確かに、笑っていた。
「誕生日だろ。それくらい、覚えてる」
そう言った時に見えたのは、土方さんの、俺より少し大きな背中だけだった。
今、どんな顔をしているだろう。肝心なところを見せないから、この人は、ずるい。
「おめでとうも無しですかィ」
「あ?……あ〜……その、なんだ、おめでとう」
「声が小せえや」
肩越しに振り返った顔の赤さに、つい笑ってしまう。
そんな俺を見て、土方さんは歩調を速めた。
……ねえ、土方さん。
遠ざかる背中に、一人、心の中で語りかける。
あんたはきっと、今日がただの誕生日じゃないなんて、知らないんだろう。
今日は、「僕」が生まれた日で、
今の「俺」が生まれた日。
姉上に甘えるだけの自分から、役割を持った存在へと生まれ変わる。
それはもしかしたら、あまり良いことではなかったのかもしれないけど。
だけど「俺」をくれたのは、あんたなんだよ、土方さん。
「おい、総悟……」
数メートル先で、土方さんが振り返った。
立ち止まっている俺に気づくと、今度は大きく、ため息をつく。
しかし俺が動くより先に、土方さんがこちらへと踵を返した。
「何を感傷的になってやがる、らしくもねえ」
「感傷的になんて………っ!?」
体が、ぐい、と引かれる。
思わず閉じた瞼の上に、暖かい何かが触れた。
「えっ…?」
それが唇だと気づいた時には、俺の体はもう、土方さんの胸に収まっていた。
掴まれた手首が、じくじくと痛む。
胸にも、似たような痛みを覚えた。
左の瞼が、なぜだか上手く開けない。
「馬鹿じゃねえのか」
それは、誰に言ってるんです。
そう聞きたかった。どんな顔をしているのか、覗きこんでやりたかった。
だけど腕の中にあっては、頭を動かすことすら、許してもらえない。
「……こいつぁプレゼントだ、喜べよ」
どれくらいたっただろうか。
やっと少し体を離して、土方さんはそう言った。
俺の目をじっと見て、すぐかき消すようにぐしゃぐしゃと頭を撫でる。
「こんな暑いの、要りませんぜ」
気持ち悪い、という単語は出てこなかった。それが不思議だった。
ぐっ、と俺が押し返すと、土方さんがその腕を掴んで、制止する。
「お前が要らなくても、俺が要る」
「は?」
「お前へのプレゼント、だけじゃねえってことだ」
「……何ですかィ、それ」
いいたいことは、すぐに理解した。けれど、気づいていないフリをした。
多分、土方さんは全部わかっていたんだ。
今日が俺にとって二つの自分の誕生日だと、知ってて。
だから、これは「俺」を与えてやった礼として寄越せ。と、そういうことなんだろう。
「……タチ悪りぃや」
つぶやいて、俺は体の力を抜いた。
待ってました。と言わんばかりに、早速土方さんが俺の腰に手を回して、体を引き寄せる。
「こういう誕生日も、たまには悪くねぇだろ」
そりゃあ、あんたが相手だからですよ。
浮かんだ言葉は、飲み込んだ。