短編

□沖田総悟生誕祭2013
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“あの日”の話をしようか。


見廻りの途中だった。土方さんと並んで歩いて、橋の上に差し掛かったところで、俺は不意に足を止めた。
何年前かのちょうど今日、俺はここにきたことがある。そのせいか、やけに記憶が鮮明に蘇るんだ。


七月八日、夜明け前。
そうだ、確か数年前もこんな蒸し暑い夜だった。


“あの日”、俺は初めて、人を斬った。


攘夷浪士を数名、単独で追っていた。そしてここで、衝突した。
近藤さんのためなら。そう思った。すると、不思議となんだってできる気がした。
一人斬ってしまえば、あとはもうただの作業でしかない。刀を振るうたび、生温かいものが体へついて、流れた。
最後には、蝉の声だけが残った。

「ねえ、近藤さん」

呟いた声音が今までと違うことに、一体誰が気付いたというのだろう。自分自身、気がつかなかったというのに。

「“僕”は……」

なぜたろう。不意に、姉の姿が頭を掠めた。見られてしまったのではないか、とさえ思った。こんなところに居るはずのない影に怯えて、駆け出していた。
浮かぶ笑顔が徐々に曇るのが怖くて、悲しくて、だけど止められなくて、必死でその影から逃げた。

『“僕”はやったよ』

影が呟いた気がした。
探す間も、考える間もなかった。
それは紛れもなく、過去の自分の影であった。

『良い子ね、そーちゃん』

幼い自分と、その頭を撫でる姉。それらがやけに、キレイに見えた。

「やめてくれ」

声が震える。
ただ、掻き消したかった。
どこに逃げれば良いのか、わからずに光を求めた。

「違う……違う!」

もう、良い子じゃ無いんです。
もう、あなたに褒めてもらえるような弟では、いられないんだ。

『“僕”は…』

「やめてくれ!」

遮るように、扉を開いた。息が弾んでいることに、この時初めて気がついた。
ここはどこだろうか。わからないほど、混乱していた。しかしすぐに、

「遅かったじゃねえか」

と、足元から声がした。
見れば、土方が靴を履いているところだった。まるで、今から出掛けようとでもしていたみたいに。

「遅い……?」

じゃああんたは、そんな遅くに、いったいどこに行こうとしていたのか。

「手間取りすぎだ、馬鹿」

そう平然と言い放ち、脱ぎかけの靴を投げ出した。
土方が立ち上がるのと同時、こちらは俯いていた。どうしても、顔を背けていたかった。

どうして、さも心配していたような口ぶりで、冷淡なことを吐く?
どうして、その靴を履いて、出かけて行ってくれないのか?
どうして、

「でもま、よくやったじゃねえか」

どうして、頭を撫でる?
あんたは冷たくて、酷くて、それでいいのに。
どうしてそう、温かくいられるのか?

あんたと俺に、いったいどんな違いがあるんだ。

「……近藤さんも、きっと喜ぶぜ」

少し考えればわかることだった。そんなこと、あるはずなかったんだ。
たとえ誰が人斬りになろうと、あの人は優しく迎えてくれるだろう。だけど、決して手放しで喜ぶような人じゃない。
それなのに。

「近藤さんのためなら、当然」

そう、口をついて出た。
途端に、心から何かがスッと消えていくのを感じた。


そうだ、これは近藤さんのためだ。
何か、問題があるだろうか?


……結局人のせいにして、逃げただけのことであった。

「ところで、何をやめて欲しいって?」

「……。」

何も答えず、振り返った。
扉の向こうに、幼い兄妹が立っている、その幻が見えた。さっきより、幾分も遠ざかっていた。
遠ざけたのは、自分だ。
それももう、わかっていたことだった。
戻れやしないんだ。そのことに、この時ようやく気がついた。

「……総悟」

土方の声に、視線を戻す。土方は今まで見たことのないような表情をしていた。

「重たいのなら、捨ててしまえ。少なくとも、“俺”はそうした」

瞳から読み取れる感情は、悲しみでも、後悔でもない。簡単には踏み入れない、必死さがそこにはあった。

「……まあ、さっさとあがれよ。近藤さんが、お前の誕生日を祝いたがってる」

「あ、そうか、今日……」

自分の誕生日。そういえばすっかり忘れていた。
だけどおかげで、言い訳が一つ、できあがってしまった。

「……“俺”は、着替えてから行くから」

もう一度、扉の向こうを振り返る。兄妹の姿は、もうどこにもなかった。
当然のことだった。過去は、今、切り離したのだから。

「そうか」

土方は、何も言わなかった。
近藤さんは、この一人称の変化を気にするだろうか。だけどきっと、もうこの年だから、と言えば、あの人は成長だと喜んでくれる。

立ち去る土方の背中を、なんともなしに見つめてみた。
そこに背負っている何かを、俺に教えてくれようとしたんじゃないのか、自分が苦しんだ道から、俺を救おうとしてくれたんじゃないのか。そう、思ったから。

「素直に言ってくれればいいのに」

やっぱり癪に触る野郎だ、と思った。
素直じゃないのは、きっと自分の方だったのに。



結局。
最後に「僕」と言った日は。
最初に「俺」と言った日になった。



「何してんだ、総悟」

橋の真ん中あたりから、土方さんが俺を呼んだ。そこでやっと、現実に引き戻された。
あの人はきっと、『あの日』のことなんて忘れただろうな、と思った。
今だってきっと、俺がただぼうっと川を見ている、それだけに見えたに違いない。

「土方さん、今日が何の日か知ってます?」

駆け寄って、言ってみる。
土方さんは面食らったように数秒動きを止めたけど、すぐに小さくため息をついた。

「……構ってちゃんか、お前は」

ぐしゃり。俺の髪を乱暴に撫でながら、土方さんはまた歩き出す。
苦笑に近かったが、その顔は確かに、笑っていた。

「誕生日だろ。それくらい、覚えてる」

そう言った時に見えたのは、土方さんの、俺より少し大きな背中だけだった。
今、どんな顔をしているだろう。肝心なところを見せないから、この人は、ずるい。

「おめでとうも無しですかィ」

「あ?……あ〜……その、なんだ、おめでとう」

「声が小せえや」

肩越しに振り返った顔の赤さに、つい笑ってしまう。
そんな俺を見て、土方さんは歩調を速めた。


……ねえ、土方さん。


遠ざかる背中に、一人、心の中で語りかける。


あんたはきっと、今日がただの誕生日じゃないなんて、知らないんだろう。

今日は、「僕」が生まれた日で、
今の「俺」が生まれた日。

姉上に甘えるだけの自分から、役割を持った存在へと生まれ変わる。
それはもしかしたら、あまり良いことではなかったのかもしれないけど。

だけど「俺」をくれたのは、あんたなんだよ、土方さん。


「おい、総悟……」

数メートル先で、土方さんが振り返った。
立ち止まっている俺に気づくと、今度は大きく、ため息をつく。
しかし俺が動くより先に、土方さんがこちらへと踵を返した。

「何を感傷的になってやがる、らしくもねえ」

「感傷的になんて………っ!?」

体が、ぐい、と引かれる。
思わず閉じた瞼の上に、暖かい何かが触れた。

「えっ…?」

それが唇だと気づいた時には、俺の体はもう、土方さんの胸に収まっていた。
掴まれた手首が、じくじくと痛む。
胸にも、似たような痛みを覚えた。
左の瞼が、なぜだか上手く開けない。

「馬鹿じゃねえのか」

それは、誰に言ってるんです。

そう聞きたかった。どんな顔をしているのか、覗きこんでやりたかった。
だけど腕の中にあっては、頭を動かすことすら、許してもらえない。

「……こいつぁプレゼントだ、喜べよ」

どれくらいたっただろうか。
やっと少し体を離して、土方さんはそう言った。
俺の目をじっと見て、すぐかき消すようにぐしゃぐしゃと頭を撫でる。

「こんな暑いの、要りませんぜ」

気持ち悪い、という単語は出てこなかった。それが不思議だった。
ぐっ、と俺が押し返すと、土方さんがその腕を掴んで、制止する。

「お前が要らなくても、俺が要る」

「は?」

「お前へのプレゼント、だけじゃねえってことだ」

「……何ですかィ、それ」

いいたいことは、すぐに理解した。けれど、気づいていないフリをした。

多分、土方さんは全部わかっていたんだ。
今日が俺にとって二つの自分の誕生日だと、知ってて。
だから、これは「俺」を与えてやった礼として寄越せ。と、そういうことなんだろう。

「……タチ悪りぃや」

つぶやいて、俺は体の力を抜いた。
待ってました。と言わんばかりに、早速土方さんが俺の腰に手を回して、体を引き寄せる。

「こういう誕生日も、たまには悪くねぇだろ」


そりゃあ、あんたが相手だからですよ。


浮かんだ言葉は、飲み込んだ。

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