[Angel's wing]
□112
1ページ/8ページ
いつの間にかうとうとしていた私を起したのは土方さんからの電話。気持ちがざわついていて今日は連絡を入れてなかった。
家が綺麗にされてたことや、おばさんと来たことがあるホテルに泊まることを話すと土方さんは落ち着いた声で相槌を打ちながら聞いてくれた。
肝心なのは彼女が地上に降り立った所が最期の場所だとわかったことなのに言えない。あの感覚を思い出すと土方さんと普通に話せる自信がなかった。
旅行を楽しんでる。そんな風に……
『ここ、露天風呂があって素敵なんですよ。昼寝もしたし入ってこようかな。』
今までの話も普通に聞いてくれていたから、当然“そうしたらいい”という答えが返ってくると思っていた私は甘い。
「無理しなくていいぞ。」
隠し事をしていること土方さんにはわかってしまっている。でも、聞いてこないのは……私の気持ちを優先してくれてるから?
『無理してませんよ?』
「それならいい。一つ聞きたいことがあるんだ。」
話題が変わりほっとした私に“俺にしてほしいことがあるか”という質問。
一人で日本にいても土方さんと連絡を取り合ってるだけで心強いし感謝してる。これ以上何かしてほしいことなど思い浮かばない。
『幸せになってほしいとは思いますけど、してほしいとは違いますよね。』
「ああ、そういうことじゃねえ。羽央が墓参りしてくれたように俺にしかできねえことがあるんじゃねえかと思ってな。」
土方さんのしっかりした声には生きることへの前向きな気持ちが表れていて、私がいなくても大丈夫だって思えた。
『今は思い浮かばないけど……ちょっと考えさせてください。土方さんもそろそろ寝た方がいいですよ。カナダは午前三時くらいですよね。』
「適当に寝るから大丈夫だ。羽央は露天風呂行くんだろ?」
『はい。後でどんな感じなのか教えてあげますね。』
“わかった”と切れた電話。次に連絡を入れるのは痛みが終わった後だというのは暗黙の了解で、私は着替えを手に露天風呂へ。
そこはホテルから歩いて二分ほど離れた場所に孤立した露天風呂で、解放感が全然違う。
お湯が柔らかくて肌がしっとりするし、体の芯から温まるからお風呂を上がった後も心地よくいられる。
部屋に戻ってからホテル内にある懐石料理に行って食事すると、出される料理に込められた意気込みと素材の良さに一口ごとに幸せな気持ちになれた。
ガイドをしてた頃の事を思い出し、食事の時間は進んでいった。
部屋に戻っても体はぽかぽかしていて気持ちいいけれど、長湯してしまったせいか疲れてしまったみたい。
早々にベッドに入り、どういう風に土方さんに話そうかな……と考えているうちに眠ってしまっていたようで、痛みに起こされた。
痛いけどそれより心地いい時間を邪魔される怒りに、布団を握りしめるとぎりっと自分の歯ぎしりが聞こえる。
負けるもんか……耐えてみせるから……
痛みに向き合ってるはずなのに、頭にはマンションの裏手の光景が浮かぶ。わかってる……そこにいかなきゃいけないのは……
やっと……終わった……痛みが去った後はぐったりしてしまい、気持ちを立て直すのにいつも以上に時間がかかってしまった。
私が電話するまで土方さんは寝ないような気がして、スマホを手にする。
電話すると聞こえた声はやっぱり起きてたようで、私はお風呂と食事のことを思い出しながら話す。
明日、日付が変われば誕生日。きっとその瞬間が最期……
『土方さん、お願いしたいことありました。』
「何だ?」
『……今すぐじゃないくていいんです。総司の命日に家にいてくれませんか?花が届くから花瓶に生けてあげて欲しいんです。』
「今日、家に帰るつもりだったから大丈夫だ。」
帰る……戻るんじゃなく帰ると言ってくれたことが嬉しい。土方さんが自分の家だと思っててくれたんだ……
『よろしくお願いします。町は満喫できましたか?』
「特にいいと思う所はないな。静かな所の方が落ち着く。」
家に居たら誰とも会わない日もあるくらいだし“わかります”と言うと、ふいに会話が途切れた。
「明日……場所は決めてあるのか?」
言わなくてもいいと思っていたから直球の質問に詰まったものの、聞かれたなら話すべきだと気持ちが傾く。
ただ、慌てることなく冷静でいたい。そうじゃなきゃ、土方さんは心配するだろうから。
『地上に降り立った場所。昔住んでた所に行った時、ここだって思ったから多分間違いないと思います。』
「そうか。あり得るな。」
低く険しさがある声に私がなんとかしなきゃって思いに駆られる。
『どうなるかわからないから考えすぎちゃいけないんです。今を楽しんだ人勝ち。日本に来てから学んだんですけど……』
そこから、スマホで喜んでた人の話をすると“そこから学ぶか?”と呆れられたけど二人の声は明るさを取り戻す。
今を楽しんだ人勝ち……自分で発した言葉に一番勇気づけられたのは私だったことに、電話を切った後気づいた。