[Angel's wing]
□109
2ページ/8ページ
走り出した車が向かう先にあったものはまったく想像していなかったもので、看板を見た俺は思わず聞いちまった。
「ここが温泉なのか?」
平屋の小さな建物には温泉の文字があるが、ここに本当に温泉があるのかすら疑わしい佇まいだ。
『そうです。天気がいい日はオーロラ見れるんです。日本と違って、水着着用だからみんな一緒に入れますよ』
「俺は水着なんてもってきてねえぞ。」
『土方さんの分、準備してあるので大丈夫です。』
これが言わなかった理由か。だが、慌てるのもみっともねえ気がして“そうか”と流した。
『寒いから早く入りましょう!』
車のトランクを開けると日帰りとは思えねえ、でかいショルダーバックが入っていているのを見て俺はため息を漏らした。
中に入ると案内された部屋は家のリビングのようにテレビとテーブル、ソファーがあるだけ。
『この部屋は一日貸し切りで温泉に入りたい時は廊下の先の更衣室で着替えにいくんです。オーロラ出るまではここでテレビみたりゲームしたりして過ごす感じです。』
「オーロラが出るまで待つのか?」
『そうです!おべんとうも持ってきたし、ゆっくり待ちましょう。』
バックが出かかったのはそういうことか。お茶にしようと準備を始めた二人を見ながら俺はソファーに座る。
休憩を取りながらテレビでニュースを見たりしていたが、なんとなく手持ちぶささになり羽央がカードゲームをしようと言いだした。
まあ、暇つぶしにはいいのかもしれないと始めると俺の負けが続く。コツを掴むと勝敗は拮抗し一ゲーム終わるとすぐ次が始まる。
エレンは冷静に手札を見てるが……羽央は顔に出るタイプだ。こういう所にも性格が出るもんだな。勝負よりも二人の様子を見てる方が面白い。
休憩する度に羽央は窓の方へ行き、空の様子を見る。
『少し雲があるけど星が見えてる所もあるから可能性は十分あると思う。』
オーロラなんて運だと思うが、羽央の言葉を聞くと見れる気がするから不思議だ。
夕食をとってまったりしていると外が騒がしくなって、羽央が様子を見にいくというとエレンも一緒に出て行った。
静かになった部屋で少しのんびりできるかと思ったが……
『土方さん、出てます。まだ小さいけど大きくなると思うので温泉入りましょう。』
渡された袋を見ると水着とバスタオルが入ってる。男女の更衣室は別れてるから、温泉でおちあうことにして別れた。
水着は長め丈で地味な感じでまあ大丈夫だろうと着替えたまではよかったのだが。
更衣室のドアを開けると顔に感じる空気が痛いから気温は相当低い。
“バスタオルは置いてきてくださいね。濡れると凍るし肌にくっつくので”と言われたからこのままいくしかねえ。
気合で出ていくと湯気が立つ温泉が見え、シャワーを浴びてから中に入った。
なんだこの冷たさは。思わず声にでそうになるが“土方さん”と呼ぶ声の方を見ると、二人は首までしっかり浸かっている。
近くまでいき体を沈めると羽央が空を指さす。
そこにあったのは空一面に広がる緑色のオーロラ。ここまで大きいのは見たことがなく、俺でも寒さを忘れ見とれちまった。
「すごいな。」
『ほんとうに。ここには何度か来てるけど一番すごいです。エレンが連れてきてくれたのかも。ね、エレン……』
急に羽央の声のトーンが落ち、二人の方を見るとエレンは涙ぐんでいた。
よくわからないんけど涙が出るとかそんな風なことを英語で言っていて、羽央が頷いてる。
二人にした方がいいか……と意識が逸れるとお湯の温さに限界が来た。
「寒すぎねえか?先に上がってる。」
『あっ、はい。私達ももう少ししたらあがります。』
立ち上がると俺の体から上がる湯気が半端ない。濡れているところが冷たくて更衣室へ急ぐ。
着替えると半端ない倦怠感。体温を維持する為に相当消耗したようだ。
部屋に戻って熱いお茶を飲むと、やっと体が落ち着いてきた。俺が部屋について20分たつが二人は戻ってこない。
朝までこの部屋は使えるみてえだが、オーロラ見えたし家に帰った方が落ち着く。
窓から空を覗いてもみえない。消えちまったか……
しばらくして戻ってきた二人はゲームをしていた時の元気さはなく、微妙な空気が漂ってる。
『エレン温かいもの飲もう?』
気遣うように声をかけると頷いたエレンだが、なんだか体調が悪そうだ。
「オーロラ見れたし帰るんだよな?」
『その方がいいですよね。これ飲んだら帰りましょう。』
荷物を纏め車に乗り込むと、まだ小さな光のカーテンが空に見える。あれだけ大きくなっても消えてくのが定めだ。
行きと同じように後部座席に座った俺はヘッドライトが照らす道を見ていたが、エレンは頭をもたげ眠っている。
「あの温泉は冷たすぎるんじゃねえか?五分が限界だぞ。」
『源泉の温度が日本より低いから仕方ないんです。馴れれば結構入ってられますよ。』
「あの温度に馴れる必要あるか?服を着た方が長時間見てられると思うがな。」
『それは、そうですね。否定はしませんけど、思い出になります。』
小さなせめぎ合いをしていると車内の暖かさに欠伸が出そうになった。
「疲れてねえか?」
『大丈夫ですよ。栄養ドリンク飲んだので家につくまでは持ちます。』
準備がいいな。まあ、ガイドをしていたし自分の体力を把握しての事。“眠かったら寝てくださいね”なんて言われたが大丈夫だとやんわり返す。
どうでもいい話でも、眠気覚ましにはなる。運転の仕方はわかっていても“免許がないからだめ”と自分で運転する羽央へ俺ができること。
ノンストップで帰ってきたのと、行きより飛ばしていたから早く着いた。起こされたエレンはだるそうで、羽央が額に手をやる。
『熱がある……』
エレンは“大丈夫です”と言うが、声がもう病人みてえに掠れていた。
「早く中に連れてってやれ。荷物は俺が。」
“はい”と車を降りた羽央が助手席のドアを開けるが、エレンの動きが遅くて下りてこない。マイナス20度はいってるのにのんびりしてる場合じゃねえ。
「俺が運ぶ。どけ。」
羽央が一歩下がり助手席を見るとエレンは座ったままぼんやりしていて、その腕を取り俺の首に回させると横抱きにして家へ急いだ。