[Angel's wing]

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『土方さんも、食べれるんじゃないかと思うんです。』


「食ったら吐き出すことになるぞ。」


私の言葉に眉間の皺がくっきりと姿を現す。でも、その瞳に見える揺らぎはどういうこと?


『気づいてないんですね。』


「何がだ?」


『土方さんには時間が流れてる……天上界の人じゃなくなったってことじゃないですか?』


「はぁ?」


『髪に白髪が何本かあります。私が出会ってから出ていくまで土方さんに変化はなかった。でもシャワー浴びた後、気づいたんです老いるってことは天上界の人じゃない……』


驚きに目を見開く土方さんに現実を見せるしかないと、手鏡を渡し“ここに”と髪を持ち上げた。


鏡越しに見えていた瞳は伏せられ、テーブルに手鏡を置いた土方さんは膝の上で手を握りしめている。


自分で望んだものならまだしも、想像もしてなかった変化を受け入れるのは難しい。


どんな言葉も嘘っぽく聞こえそうで席に戻ると“いただきます”と食事を始めた。


ガダッと音がしたと思ったら土方さんが煮物を口に運んだのが見えた。だめなら吐き出すはず。


ゆっくりと咀嚼するのが見え止まったと思ったら、喉ぼとけが動いた。


食べれたんだ……


箸をテーブルに置いた土方さんは俯くとテーブルを拳で叩き、その音の大きさに私の肩は震える。


「なんで……これは……食えるんだ……」


髪が瞳を隠しても唇を噛みしめてるのを見たら伝わる感情は悲しみ。


私は箸を置き土方さんの気持ちが落ちつくのを待つことにした。


白髪があるだとか老いるなどと言われて疑う俺に突き付けられた現実。自分の目で見たものを否定することはできない。


箸を手にして煮物を口に放り込んだ──


しかし、感じるはずの痛みの代わりに遠い昔の記憶が蘇る。見習いとして地上に下りた俺はこれと似たようなものを食ったことがある。


あの時は何が美味いのかもわからなかったが、惹かれた女が作ってくれたものは天上界では感じたことがない満足感を与えてくれた。


天上界の仕事をするようになれば当然、食べる必要などないしものを口に入れることもない。


行くあてもなく羽央の家を出て、雨宿りしていた俺を家に置いてくれたあいつが作ってくれたものを断るのも悪いと食べた瞬間、体が拒絶反応を示した。


喉の粘膜は焼けるように痛み、飲み込むことすらできず吐き出した俺の息は発作を起こしたみたいにぜえぜえ煩い。謝まろうにも声がでない。


“ごめんね”と泣きそうな顔が鮮明に頭に浮かぶと、やりきれない思いが胸を支配する。


そんなことがあってもおまえは俺を追い出さなかった。迷惑をかけてばかりだったのにな……


目頭が熱くなってはっと顔を上げると羽央の視線に気づき、考えることをやめた。


「……悪かった。」


目を伏せて頭を横に振った羽央は優しい声で話す。


『大丈夫。この歳になるとたいていのことは気にならなくなるの。さっ、食べましょう。』


義務的に箸を動かす土方さんには食欲というものがないのかもしれない。それでも出したものは全部食べてくれた。


片付けを終えリビングに戻るとぼんやりとした表情で座っていた土方さんを二階へ案内する。


『この部屋使ってください。寒かったらヒーターあるので。』


「ああ。すまねえ。」


“おやすみなさい”と下にある自分の寝室に行き眠りについた。


何か聞こえた?……今は風の音しか聞こえないけどなんだったんだろう。


二階?……もっと近かったような……


気になると目が冴えてしまう。上着を羽織り寝室を開けるとリビングは青白い光で溢れている。カーテンが開いていて、白夜の明るさが雪に反射していた。


『眠れなかったんですか?』


窓に向かい立っていた土方さんに声をかけると、振り向きざま何かを言おうとしてやめ大きく息をついた。


「いや、寝れた……おまえが言う通り人になったのかもな。」


自分に言い聞かせるような呟き。土方さんが喜んでるようには思えなくて言葉に迷う。


『大変なこともあると思いますけど……私でもなんとかなったんです。ゆっくり受け入れていきましょう?』


土方さんがここにくるきっかけは何かあったのだろうか。力を失ったのなら、天上界の力が働いたのは間違いない。


なぜ、今、この場所になのか──…


人になってしまった私達には知る方法がないけれど、わかっていることは明日がやってきて生きていかなきゃいけないってこと。


広大な自然が土方さんの心を癒し、穏やかに生きれますようにと窓の外に広がる景色に願った。


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