[Angel's wing]
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畳に正座しておばさんの顔を見つめると、その悲しみの深さに移植手術を終えた総司の顔が脳裏に浮かぶ。
自分の子供の死の詳細を母親は知りたいと思うものなのか、私にはわからなかった。知れば知るほど苦しくなることもある。
子供を失ったった悲しみはどこまでも深くて、自分さえ見失ってしまうほどなんだ。私に子供がいたらおばさんのことを理解してあげられるのに……
おばさんをこのままにしちゃいけないって思っても、私には救う力が……
『おばさん……』
声をかけることしかできない私に、おばさんの少ししゃがれた声が聞こえた。
「私ね……人が死ぬのには慣れてたと思ってたの。ご近所さんも病気で亡くなったりしてたし、歳をとったらしょうがないって。
でも、総司君の事を聞いた時はそうは思えなかった。小さい時に両親が他界して人一倍苦労した総司君がこんなに若く逝ってしまうなんて。神様は何をしてるのって。」
そこまで言うと空を見ていた視線がぶつかり、悲しみとは違う表情に息をのむと震える声は次第に大きくなった。
「一番許せないのは自分なの……羽央ちゃんたちは年に一度はうちに来てくれるけど、私は一度も会いにいったこともなかった。本当の親だと思ってなんて言っても行動が伴ってないわよね。もっとちゃんと見てれば……気付けたはずなのにっ……ぅっうっ……」
目を真っ赤にして涙を流すおばさんの泣き声は、布団で口を押えていてもはっきり聞こえるくらい大きなもので心が張り裂けてしまうんじゃないかって。
自分を責めないで……責める必要なんてない……大切な人が悲しむ姿は私の心に痛みをもたらす。
『そんな風に思わないでっ……ヒック……総司はおばさんに感謝してました……
総司はおばさんたちの所に住んでたいた時、平助君と同じように接してもらってうれしかったんです。
幼い心で両親が亡くなってもう、親からの愛情はもらえないと思ってたから。
総司を愛してくれてありがとうございます。総司はおじさんやおばさんに救われたんですよ……』
閉じた目からぼろぼろ溢れるおばさんの涙は嗚咽とともに止まらなかった。心が悲しみを吐き出すまで待つしかない。
でも、前に進む力は持ってる人だと思うから……
『おばさん、覚えてますか?私に笑顔が大事だって言ったこと。おばさんがこのままだったら、この家の太陽がなくなっちゃう。おばさんの笑顔をみんな待ってるんですよ。
総司がいたら“僕の臓器はまだ生きてる勝手に殺さないでよ”って言うはず。
大助君達が帰ってくるまでに少し気持ちを落ち着けましょう?はい、息を吸って!吐いて!』
しゃくりあげる背中をさすってあげると次第に呼吸は穏やかなものになった。起き上がって鼻をかんだおばさんは少しすっきりした表情だった。
「いつの間にか私より羽央ちゃんの方が強くなったのね。総司君のおかげかしら。」
『強くなれたかな……私はまだ弱いです。ただ、総司が傍にいて私を突き動かしてる気がすることがあります。』
“きっと愛してるから羽央ちゃんの傍をれられないのね”ってうなずきながら私を見つめるおばさんの目には母親の強さが戻っていた。
車のドアが閉まる音がすると程なくして“ただいま”という元気な声が聞こえ、私は玄関に。
『おかえり。お邪魔してます。』
「羽央さん、こんにちは……総司さんのこと突然すぎて実感わかなくて……悲しいけど、移植とか尊敬します。」
尊敬……大助君らしい考え方。尊敬できる人がいるから使える言葉だと思う。
「お兄ちゃん、尊敬とかそういうの違うと思う。羽央さんの気持ち考えられないの?」
はっきりした夏海ちゃんの言い方はどことなくおばさんに似てる。
「あっ……すいません。こういう時、気の利いたこと言えないの親父ゆずりで。」
「それは、お兄ちゃんの国語力の問題でしょ?お父さんのせいにするなんて男らしくない!」
「もう、二人ともいい加減にしなさい!羽央さんごめんなさい。」
玄関先で繰り広げられる兄妹喧嘩は、和夏ちゃんの一声で収まった。
ぶうぶう言いながら靴を脱ぐ二人の持つパワーが家に明かりを灯したのを感じる。
両手いっぱいに買い物袋を下げてきた和夏ちゃんの荷物を受け取り、キッチンへと運ぶとおばさんが出てきて雑煮を作るわねって。
洗濯をしてくるという和夏ちゃんに“ありがとうございます”って耳元で囁かれた。
「お義母さん、元気になってほっとしました。私達じゃどうにもできなくて。」
『おばさんが元気じゃないと……ね。』
二人とも顔を見合わせてうなずいたけれど、きっと気持ちは違う。
私が総司の元に逝っても大丈夫ってこの目で確かめることができた安堵──
毎年、カナダから帰っておばさんの家にいくとお雑煮が振る舞われる。
どこで新年を迎えても、お雑煮を食べるとここからが私の一年の始まりだって思っていた。今年は私にとって大きな意味を持つ。
何があってもこの味はしっかりと覚えていたい……みんなで食べるお雑煮は私にとって特別だから。
“おかわり”が飛び交う食卓はいつもと変わらず、私の隣には総司の分も置かれている。
ただ、席を外してるだけ。そんな雰囲気の食卓に箸も進むけれど、一人、二人と食事が終わっても手つかずのお椀が隣におかれたまま。
『私が食べてもいいですか?』
「構わないけど大丈夫?少し温めようか?」
テーブルに手をついて立とうとしたおばさんに“大丈夫”とお餅を口に運ぶと冷めて硬くなっていて、出来立てのものを食べるおいしさを実感する。
総司のお椀を空にしたくてがんばって完食するとお腹はぱんぱん。
箸を置いて“ごちそうさまでした”と言うとおばさんが驚きながらも嬉しそうに微笑んでる。
これなら総司も一緒に食べたことになるでしょ?
座布団に気配は感じなかったけれど私はそこに総司がいると信じていた。