[Angel's wing]
□94
1ページ/8ページ
喧噪の中、聞こえた低い声は悲しみを押し殺していた。
「みんなで家に帰ろう。」
おじさんの一言で顔を上げ涙をぬぐうとみんなで駐車場に向かう。
すれ違う人達は楽しげな顔をしていて、総司と出国する時の自分と重なる。あの時はこんなことになるとは思ってなくて。
幸せだった……
私の歩みを確認するように先を歩く平助君やおじさんが振り返り、向けられる優しいまなざしに胸が締め付けられる。
一台の車に乗り込むと運転してる平助君の視線をミラー越しに感じて、眠るふりをしてうつむく。
外はイルミネーションが灯り、その華やかさすら目を向けていたくない……
家に着いたらみんなに総司の最期を伝えることになると考えただけで、また涙が溢れる。
思いだすだけで胸がえぐられるような痛みが走って、骨壺のバックを抱きしめた。総司……力を貸して……
どう伝えようか考えているうちに車が止まっり、開いたドアから冷たい風が入ってきた。
家は真っ暗で大助君達のことを聞くと、妹の夏海ちゃんと剣道部の遠征に行ってて7時すぎに帰ってくるって。
あと一時間ある。それを聞いてほっとしたのは私の弱さ。大人なんだから彼らの前で取り乱したり、心配させてはいけないって思ってしまう。
冷静にとは思うけど、感情を抑えられるかわからないから……
居間の座卓を囲むと、和香ちゃんがお茶を出してくれてみんなの視線が私に向く。総司の顏が頭に浮かぶと目頭が熱くなって鼻の奥がつんとした。
ちゃんと伝えなきゃ。みんなにとって、総司の死を受け入れる為に必要なことだもの。
『カナダに行っていつものように過ごしていたの。特に変わったこともなく二人でスケートにいって手を繋いで滑ってる時に倒れて……救急車で病院へ。』
「本当に何も兆候はなかったのかい?」
医学誌の編集者だったことがあるおじさんの指摘は鋭い。でも死期がわかっていたことは伝えないと総司と話し合ってたから言えない。
『肩こりがひどくて頭痛はあったみたいです。慢性的だったのと、病院嫌いだったから検診は受けてなかった。でも、それも総司の選択だから仕方ないと思っています。』
仕方ないなんて言いたくない……でも、そうとしか……私の言い方が冷たかったのか、おばさんが泣きだし丸めた背中をおじさんがさすっていた。
おばさん…空港で話してから一言も話してない……いつもなら誰よりも話すのに……
今頃気付くなんて遅いけれど話を終えるまでは、感情を抜きにしないと言えそうにない。
『そのまま意識は戻らず、脳死判定されました。総司の臓器は男性に移植されたそうです。どんな人に移植されたのか知ることもできたんですけど、聞きませんでした。気持ちの整理が……できてないから……』
病気を抱えていた人は臓器移植したことで、未来が開けただろう。もし会ってその体に総司の臓器が息づいてると思うと複雑で。
素直に喜べないならせっかく手にした彼らの幸せの邪魔になるような気がしたし。
「それでよかったんじゃないかい。無理して会うこともないだろう。我々で総司君のことを弔ってやろう。」
おじさんの意見に皆頷いたけれど、それぞれに総司に対する思いが心の中で渦巻いているような複雑な顔をしている。
すすり泣き続けるおばさんにかけてあげる言葉が見つからない。どんなことがあっても笑顔を絶やさない強い人だと思ってたのに……
“少し休んだ方がいいな”とおじさんが寝室へおばさんを連れて行った。
『平助君……おばさんずっとあんな感じなの?』
「ああ。移植するっていう電話きてからおかしくなっちまって。何があっても動じないと思ってたからびっくりしてさ……どうしたらいいんだろうな……」
“そう”と答えたものの解決法を探しても、みつからない。
子供達を迎えにいくついでに買い物してくると平助君と和夏ちゃんは出かけてしまい、居間に一人きりになった。
いつも来た時に感じる元気がないのは、おばさんが気落ちしているせい……
大切な人を失った時、人は時間が解決してくれるって言うけどそんな簡単なことじゃないと思う。
悲しみに立ち向かう何かが必要……
戻ってきたおじさんは疲れ切ったように溜息をつきながら腰を下ろした。
『おじさん、ごめんなさい。移植の事をいきなり電話で話すべきじゃなかったかもしれない。あの時は私も切羽詰まった状態だったから……』
「羽央さんが悪いんじゃない。あいつももう歳だ。健康って言ってもあちこちガタでてくるし気弱になってきてた部分もあってね。総司君は具合が悪いってこともなかったから、ショックだったんだろう。若すぎるよ……」
冷めたお茶をぐいっと飲み干したおじさんは、私の方をじっと見てふうと大きく息をついた。
「羽央さん、この機会に一緒に暮らさないか?君の為に作った部屋は今、平助の子供達が使ってしまっているけど、美容室をリフォームすればいいと思ってね。」
『でも……』
「まだしなくちゃいけないことがあるのは十分わかってるつもりだ。すぐに決めなくてもかまわないけど、少しずつでいいからこれからのことを考えて欲しくてね。」
“考えてみます”と返事したけれど答えはもうでていた気がする。
きっと身辺整理を終わらす頃には私の命も。それがいつかはわからないけど遠くないはず。
『おばさんと話したいんですけど、寝てますか?』
「布団に入ってるが寝てはいないだろう。」
“行ってきます”と立ち上がり冬の冷たい空気の廊下の先にある部屋のドアをノックしても応答はない。
『おばさん、羽央です。入りますね?』
ドアを開けると和室に一組だけ布団が敷かれ、おばさんの頭が見えた。日が傾き暗くなり始めた窓の方に顔を向けたまま動かない。
眠っているのかと顔の方へ回り込むとその目はぼんやりと空を見つめたまま。
私のこと気付かないくらい、総司のことがショックだったんだ……