[Angel's wing]

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カリキュラムが終わり帰ってくる君を駅に迎えにいくと、現れた羽央は表情が引き締まり雰囲気が凛々しくなっていた。


新しい目標を見つけたから日本で暮らそうと言ってくれたのは、僕の為だってわかってる。


それでも君の選択が新しい道を切り開き、いきいきしてる姿を見るとそんな考えも僕のおごりなのかなって思うよ。


カナダの家に一人残ったのは、あの湖をどうしても日本に持って帰りたかったからなんだけど。


大好きな場所に思いを馳せることは悪いことじゃない。二人でいる時にあの景色を見ながら過ごすのもいいでしょ。


僕が描いた湖の絵を見て喜ぶ君を見て、いつかまたあの場所へ行く予感がした。


繋いだ手が離れたと思ったら指輪が動く感じがして視線を落とすと、君の掌の上に僕のが置いてある。


「どうして指輪外したのさ?」


返事もしない羽央が“変わったの”と駅で言っていたことを思い出した。


何が変わったのさ…羽央の気持ちが?信じたくないけど、君も指輪を外したのをみたらその可能性が高まる。


こんな強い表情で切り出されるのは別れ話しか離れて暮らすとかその類だと覚悟することで衝撃を和らげようとした。


『私と結婚してほしいの。』


プロポーズ……無意識に止めていた息を吐くと一気に酸素が体に入り血流が増す。


羽央に感情をかき乱されてる僕が信じられなくて腕組みをして、気持ちを落ちつかせた。


向こうで結婚という選択肢が出た時とは違う、ブレーキがかかる……


日本で結婚すると、必ずといっていいほど結婚=子供で授かれないことがはっきりしてる分、曖昧な返事ではぐらかせない。


嘘とか無理な子だからね……


恋人なら周りから結婚しないのと聞かれることはあっても子供は?とは聞かれないし。


僕の子供を産めないと悲しんでくれた君の笑顔を守りたい。


このままでいればあの時の苦しみを感じる可能性を少なくできるのに……それでも結婚したいって自分から言うほど強く願ってるんだね。


羽央が自分の境遇を受け入れ、過去を乗り越えたという証なのかもしれない。


僕がプロポーズした時に夢見た未来と今は少し違うけど、羽央は僕の人生には不可欠なんだ。


羽央が離れていくと思った瞬間の恐怖は、君が羽根をもがれて瀕死の状態だった時と似てる。


一緒に生きる為なら何でもしてやるっていう、情熱が湧き上がっていた。


あれは若さのせいだと思ってた……違うんだね。羽央への愛の深さで変わらず僕の中にあった。


僕がしてあげられることは一つ……


「指輪貸して?」


掌を君に差し出すとちょこんと置かれた指輪は小さな傷でくすんでいた。僕達の気持ちはあの時のまま変わってないんだけどね。


「もう一度、僕の奥さんになってくれる?」


驚きに目を見開いた君は目が飛び出しそうなほど。壊れた人形みたいに何度も頭を縦にふってた。


指輪を嵌めてあげると穏やかな表情で左手を見る羽央は、幸せそうな微笑みを浮かべている。


羽央が幸せを感じてることが僕の幸せなのは間違いない。


「君からプロポーズされるとはね……」


自分で指輪を嵌めようとしたら僕から指輪を奪った君は、いたずらっ子みたいな顏をしてて僕に似てきたかもって思った。


お互いの薬指に納まった指輪は傷だらけでも、それだけ長い時間積み重ねてきたものが出てる気がして今の僕達にぴったりだ。


リーダー養成カリキュラムのことを話す君は声を弾ませ、どれだけ実りあるものだったか伝わるよ。


こんどこそ、ちゃんと向き合って生きていける気がする。僕達は互角。負ける訳にはいかないからがんばるけど。


婚姻届を出して、君は近くのツアー会社へ就職し、僕はといえば以前やっていたデザイン関係の仕事を家ですることにした。


執筆活動は本当に伝えたいことができた時に、とっておこうって。出版社はしばらくそのままにする予定。


新しい本を作らなければ、維持だけならそれほど費用もかからないし。


一年、二年と何も変わったこともなく穏やかな暮らしがつづいていた。


羽央は色んなアクティビティーをこなせるから会社で重宝がられ、特に得意なカヤックのコースでアイディアを出すと新しいツアースを作ることが許された。


『新しいカヤックのコース、申し込みが多くてこの夏はカヤック三昧になるかも!』


競技としてカヤックをしてる人、したい人を集めてプライベートな大会のようなものをセッティングするんだって。


面倒な手続きをしなくても望むことを形にできることで、会社を作る意味はなくなったんだろうね。


でもそのことが引っかかってたみたいで、夏が終わった時に“これって逃げかな”って聞かれたから僕は教えてあげた。


「一番大事なのはやりたいことができてるってこと。お客さんも満足できて君も楽しんでる。それでいいんじゃない。」ってね。


すべてを自分で作りあげなきゃいけないってことはない。そこにかける労力を違う所に向けて結果としていいものになっているし。


そういう深い話しが前より増えたのは、夫婦になったおかげかもしれない。余計な気をまわさずに話してるよね。


羽央はシフトで働いてるから、ほぼ決まった時間に帰ってこれるのも利点。二人の時間がちゃんと持てて、僕達は冬の休暇にカナダに行くようになった。


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