[Angel's wing]
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どだっと中で重たい音がしたと思うとドアが勢いよく開いて、風が私の髪を揺らした。
『ケリー!今、行くの?なんで……っ…』
驚いた顔をしてそう言うとこめかみを押さえた羽央は二日酔いみたい。
髪の毛もぼさぼさだし、一年近く一緒にいたけど羽央のこんな姿を見たことがなかった。
総司が傍にいると気が緩むんだろうな……私は自分のダメさに鞭打たれてるみたいで気落ちしちゃうけど。
総司が傍にいるなら安心。お似合いだよ……
ちゃんと私の言葉で伝えよう。トランペットを吹くみたいに息を吸い込んだ。
「自分の進みたい道が見えたから行ってみる。色々迷惑かけたけど、二人に会えてよかった。元気で。」
頭が回ってないのか羽央は私をじっと見つめてる。現実ってわかってるよね?
手を差し出すと羽央も手をだし、握手を交わした。ハグはしない……そう決めてたから。
「お世話になりました。」
「元気で。」
頭を下げると聞こえた総司の一言に胸が熱くなる。この別れ方でいいんだって認めてもらえたような……そんな優しい声だった。
「じゃっ、ここでいい。見送りはいらないよ、外寒いし。」
足元に置いた荷物を取ろうと下を向くと“あっ”と羽央の声が聞こえた。
顔をあげると総司の手が羽央の手を少し後ろに引くように握ってる。
見送ろうとしてくれた羽央も、それを止めてくれた総司も私のことを思ってくれてのこと。
自然に笑顔になれた……
「シンプルに生きてみる、私は大丈夫だから。」
『……うん、がんばって。何かあったら連絡して?』
「本当に困ったら連絡する。そうならないことを祈ってて。」
荷物を手に踵を返した私は少し大股で玄関に向かった。
もう連絡はしないつもりでいたから一瞬迷ったけれど、絶縁宣言みたいな別れにはしたくなかったからこれでよかったと思う。
タクシーに乗り込むと“駅へ”と告げ、昨日の夜と同じ道を走った。
陽の光が雪に反射すると白い世界は、私の気持ちのように清々しい。
隣に置いたトランペットケースに触れ、これが私の相棒で恋人。誰よりも先に自分の心に響く音色だけを求めていこうと新たな一歩を踏み出した。
◇◇◇
総司の声がしたと思って目を開けると寝室で、いつ寝たのか思い出せない。
肩に触れた手の方をみると夕食の時と同じ服を着てる総司が立ってる。窓は明るいし、もう朝?
『なんて言ったの?』
「ケリーが出て行くって。起きれる?」
どうして……そんなに早く……
上体を起こすとドアの方を指差した総司を見てあわててベッドから降りた。
ドアを開けるとダウンジャケットを着こんだケリーが立っていて荷物も足元に置いてある。
『ケリー!今、行くの?なんで……っ…』
自分の声が頭に響いて痛い。まさか昨日の今日で出て行くとは思ってなくて、気持ちだけがからまわりする。
ケリーは穏やかな口調で別れを告げると手を差出した。優しく包み込むような握手はさよならよりもなんだか切ない。
それでも触れた掌は温かくて、あの時の手の冷たさを考えると本当に厳しい状況は脱出できたんだとも思う。
何よりもケリーの表情が穏やかで、強気な所もなければ弱々しい感じもなく本当に自然……
するりと離れた手が私の所に戻ってくると、頭が働いてないのがわかる。見えてる光景がぼんやりしてた……
このまま別れていいのかという疑問がわいて声をかけようとすると、私の手を掴んだのは総司だった。
前に行こうとする体を少し引くのは、止めたいの?顔をみると翡翠色の瞳が“行かせてあげなよ”と訴えてる。
「シンプルに生きてみる、私は大丈夫だから。」
明るい声を聞いて、ケリーは何かを見つけんだだと思った。
それでも生きてたらいろんなことがある。もしも生きることが苦しくなったら、私のことを思い出してほしい。
『……うん、がんばって。何かあったら連絡して?』
「本当に困ったら連絡する。そうならないことを祈ってて。」
具体的な言葉を口にしなくても、ケリーにはちゃんと伝わってる。
ここでいいと言われ、寝室の前で玄関に向かうケリーの後姿を見つめてると、ふいに匡さんのことを思い出した。
一つの出会いが生きるということを考えさせ、やってくる別れは成長の証。
いつかまた笑顔で会いたい……
私がいるべき場所はここなんだと総司の手を握りしめた。