『Angel's wing』
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君が僕の名前を呼んでる──…
これは夢?それとも記憶?目を開けたらわかるはずだ。
眠くないのに重しが乗ったような瞼をなんとか開けると、朝陽を背にした羽央の顔は影が差してる。
でも…頬が少しやつれてる……壁に反射する朝陽が眩しくて目を細めた。
『おはよう…』
そんな切ない言い方しないでよ…
声にする間もなく僕は再び眠りへと引きこまれていく。抗えないんだ、ごめん。
こんなことをする為に来たんじゃないのに……
瞼が勝手に閉じていくと羽央が肩をゆすり、悲しげに“総司”って。
やっと名前を呼んでくれた…そんなことを思いながら僕は真っ暗な世界へと落ちていった。
見え始めたのは夢じゃない。ここに来る時の飛行機での記憶──…
ジェット機特有の轟音はヘッドフォンをつけていても聞こえてくる。
久しぶりの人混みと音で神経が過敏になってるせいか、頭が痛いけどいつものこと。
消えることのない痛みは着陸態勢にに入り機首が下がると一気に激しくなり、めまいすら感じる。
今日は特別酷いな……
胃に感じる不快感に冷や汗をかきながら降機すると、トイレに駆け込み胃にあったものを吐き戻した。
ボタンを押すと勢いよく水が流れ、額の汗を拭うとため息がでる。
こんな状態じゃ君に会えない…
少しじっとしてるとめまいは感じなくなり、取り合えず個室から出ると鏡に映った僕はかなり顔色が悪い。
冷たい水で手を洗うと少し気分が持ち直し、荷物を受け取ると出口を見つめた。
羽央だ……
何年会わなくても、人混みの中でも君を見るけるのなんて訳ない。
嬉しいはずなのに、僕の足は君の視線が見つめる方向から逸れるように壁際へ向かう。
近藤さんの名前を使ったのは僕だって気付いてるかな…多分、気づいてないね。
背筋をピンと伸ばし、紙を胸元に持つ表情は僕の記憶の中にいる君とは全然違ってた。
凛としてて…僕に縋ってた君はいない…
色んな意味で成長したんだね。立ってる姿から自信が感じられる。
そんな君から見たら今の僕はどう映るんだろうって考えると、少し怖いよ。
心配されるのも嫌だし、飄々とすることに決めていた。
まわりには人がいなくなってたし、いつまでもここにいられないと歩き出すと、すぐに僕に気が付いた。
驚きに目を見開くと、すぐに困惑の表情へと変わっていく。
幽霊を見てるような眼差しはすぐに逸らされ、動揺した姿を見ると僕の予想は当たってる。
気付かなかったんだね…ヒントは入れたつもりなんだけど。近藤さんの名前、苦いのが嫌とか…
君にとってそんなことは忘れ去った過去だって見せつけられ、僕の方がダメージを受けるなんて…
「久しぶりだね。」
考え事をしながら出た声は情けない声でしまったと思っていると、顔を上げた君の表情はきりっとしていた。
『何年ぶりだろう…ね。…どうしてここに?』
重苦しい声には1%の喜びもない。離婚届をつき付けた元夫が急に目の前に現れたんだから当然といえば当然か。
まっすぐ僕を見る顔には腹を括ったように見えるけど、冷静な仮面を壊したくなる。
上辺の君じゃなく本心を見せて欲しい…
近藤さんの名前で申し込んだことを告げると、君は睨み返してきた。
『近藤様は来ないってこと?』
怒ってるね…でも、そんな表情の君を見れるのも今の僕にとっては喜びなんだ。
「うん、そう。ほら、これが証拠。」
煽るように領収書をひらひらさせると、君は怒りを抑え唇をきゅっと結んでる。
ここまですれば僕への怒りを爆発させるだろうと思ったけど…
『ガイドの沖田です。二週間旅のお手伝いをさせていただきます。興味のあることややりたいことがあればおっしゃってくださいね。』
僕を“単なる客の一人”として扱うつもりなんだ…目は笑ってないけど口角を上げた君は完全に営業スマイル。
それが癇に障る……
スーツケースを預かると言う申し出を断わり、先を歩く君の後についていくとまた頭が痛みだす。
こんな時に……
金槌で殴られたような痛みが頭から体全体に響き、思わず足が止まってしまう。
幸いというか君は僕の方を見ようともせず、少し先を歩き離れると黙ったまま待ってる。
車に着く頃には冷や汗が伝うほどだったけど、君が荷物をトランクを積んでる間に気づかれないように拭った。