『Angel's wing』

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話し声……おじさん帰って来たんだ…


外の灯りが窓から入り込む部屋は暗くても安心感がある。


数時間寝た頭はすぐにはっきりし、電気をつけ枕元に置いたバックを開いた。


役所の封筒と手紙……


おじさんが帰ってきたし、二人にきちんと話さないといけない。


大きさの違う封筒を手にしてみたけれど、帰ってきたおじさんにいきなり本題をつきつけるみたいで気が引ける。


そっとバックに仕舞いそれごと持って居間に向かった。


居間の戸を開けると立っていたおじさんは笑顔で振り返った。


「羽央ちゃん、おかえり。カナダはどうだった?I LOVE YOUにひっかからなかったかい?」


言葉を聞くと冗談ぽく聞こえるけど、顔は真剣そのものでそれが余計おかしく感じる。


『ふふっ…大丈夫ですよ。おじさん相変わらずですね…』


「あんた、またくだらないことを!羽央ちゃん、座って?夕飯の前に話したいことがあるの。」


筒状になった紙を手にしたおばさんを見て、おじさんは納得の表情だったけど私にはさっぱりで。


何ものってない座卓に並んで座ったおじさん達の前に座ると、バックをそっとテーブルの下に置いた。


「あんた、そっち押さえて。羽央ちゃんいくわよ!」


白い紙がテーブル一杯に広げられるとそこにあったのは、家の設計図。


「ねえ、羽央ちゃんどう思う?いい?」


二世帯住宅…弾むおばさんの声を聞くと、平面図を見ながら色んなことを想像してるんだろうなって。


谷さんの家もこだわってる所がたくさんあったし…


『素敵です…三階建てなんですね…』


「おまえの言い方じゃ伝ってないぞ。」


おじさんは紙を押さえたままおばさんに目配せしたけど、何なんだろう…


「えっ、本当?ずっと我慢してたから興奮しちゃって…羽央ちゃんの部屋、二階のここなんだけどどう思う?フローリングの予定なのよ。」


おばさんの指が置かれた場所には“羽央”って…


『私の部屋……?』


「羽央ちゃんは娘同然だし、カナダから帰ってきたらうちに住んでもらおうって、決めてたの。ねぇ、あんた。」


「ああ、そういうことだ。さすがに建てる前に了承を得ておかないとな。おまえは言葉を省きすぎなんだ。全然通じてなかったじゃないか。」


二人は顔を向き合わせて言い合っていたけど、私の気持ちはどこか遠くにいってしまっていた。


娘同然って確かに日本を離れる前にも言ってくれたけど…


新しい家に私の部屋を作ってくれるなんて、これっぽっちも考えてなくて……


自分が思っていた以上におじさん達は私の事を考えてくれてた…考えてたんじゃない。想ってくれてた──…


私の居場所がここにもあったんだって再認識して、胸がいっぱいになって…幸せで……


“細かいことはいいの”とおじさんの肩をバシッとおばさんが叩くと、紙から手が離れ間取り図がしゅるしゅると丸まってしまった。


私には必要がないって何かが伝えようとしてるって、頭のスイッチがきり換わる。


言わなくちゃ……自分で……


慌てて設計図を広げ直そうとする姿を見ていたら、ちくりと胸が痛む。


これから言おうとしてることは二人の想いを踏みにじること。


でも、決めたから…私の道を見つけたの……


『おじさん、おばさん…ごめんなさい。私はその家には住めない。就労ビザが取れたからまたカナダに行ってガイドの仕事をするつもりなの。とりあえず二年その後も。』


再び丸まった紙はおじさんの手元で止まっていた。


まったく予期せぬことを言われぽかんとしたおばさんの表情が険しさへ変わっても、気持ちは揺らがない。


バックから役所の封筒を取り出すと、中味を広げ座卓を滑らすように二人の目の前に押し出した。


『自分の生きる道はこれだって思ったから、踏ん切りがつきました。証人欄書いてもらえますか?』


「ちょっと、羽央ちゃん…なんでまたカナダに…」


一緒に住む事を楽しみにしてくれていたおばさんにとっては、離婚届よりもカナダに戻ることがショックだったみたい。


前のめりになるおばさんの肩に手を乗せたおじさんは、冷静に声をかけた。


「印鑑持ってきてくれ。これは総司君との約束だ。話はその後に聞こう。」


無言でおばさんは立ち上がり、おじさんは近くにあったボールペンを手にするとささっと証人欄を埋めていった。


暗い表情のおばさんが戻ると、印を押し暫くそれを眺めたおじさんが紙を渡す。


おばさんは辛そうな顔で書いていた。喜ばしいことではないから仕方ない…


嫌なことをさせてしまって申し訳ないけれど、張り詰めた雰囲気に何も言えなかった。


離婚届は完成した形で私の前に──それを見ても最初にこの紙をみた時の悲しみ、苦しさは襲ってこない。


これは総司と別れる為の紙じゃなく、私がガイドとして生きていくという覚悟の証。


おじさんとおばさんはその証人になってもらったんだって──


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