『Angel's wing』

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まだ出てるはず──…


あれだけ大きかったからすぐに消えてしまうことはないと思うけれど、絶対とは言い切れない。


オーロラが出ていた方向は木が生い茂り空を遮っている。今は安全に早く運転することに集中しないと。


「あっ、あそこ…オーロラ出てる!赤いの!」


町から出た所でお客様の一人が叫ぶと、車中は歓喜の声で華やいだ。


ちらりと上を見ると確かに出ているけど、小さく感じる──…


赤いオーロラが見えても納得いかない。ツアーで同行してた時とは違う思いに突き動かされていた。


言葉でいくら説明しても伝わらないあの光景を、お客様の目で直接見て欲しい。


町から離れるほど空を遮るものがなくなっていき、真っ暗な空に赤い光がはっきり見える。


近づいたのもあるけれど動きが活発になったオーロラは大きくなり、車内は水を打ったような静けさへ変わった。


赤いオーロラは綺麗というより、怖いかもしれない…


中世ヨーロッパで赤いオーロラは血を連想させ、災害や戦争の前触れとされていたくらいだもの。


少し高台を選んで車を止めると、下りるお客さ様に声をかけた。


『ここが一番良く見えると思うので。寒くなったら、車に戻ってくださいね。』


外に出たお客様は初日にオーロラを見た時以上にはしゃいでいて、南雲親子も黙って空を見てる。


よかった…このツアーで思い残すことはないかも…


ほっとして私も空を見上げてみると、一人で見た時のような思いは感じない。


自然の力の前で人はちっぽけだけど、それでも存在を否定することなんてない。


人も自然界の一部。そう思っていると耳に入ったのは人が造った車のエンジン音。


本当の自然を感じて欲しい──


肌を刺すような冷たい空気、静けさ、そして空にある光を見ている自分の鼓動を。


『エンジン切りますね。暗くしますから何かあったら声かけてください!』


二組から“はーい”と元気な声が聞こえたけど、南雲さんからは返事がない。


でも反対の意見がなかったから車のエンジンを切った。


ドアを閉めると車内灯も消え、暗闇の中に浮かぶオーロラの光だけが視界を覆い尽くす。


星の瞬きすら感じさせない強い光を見ると、高度がどれくらいの所で光ってるとかガイドとして説明すべきことなんていらないって思う。


お客様の目に焼き付くだけでいい。心に感動が残れば…


オーロラが織り成す光を、それぞれの想いで見つめていた。


ドレープカーテンのように厚みを感じる光の帯は、優しく風になびくような時もあれば怒ったように激しく動いたり。


感情があるような姿は神々しくて目が離せない──


そんな時、すすり泣く声が聞こえ空の明るさが照らす人影に目を向けた。


隣に立っている人に抱きしめられ、背中をさすられているのは前田さん…


会社の同僚と参加されて、オーロラが出ても出なくてもいつも明るかったのに。


彼女の心が何を感じたのかはわからないけれど、涙があふれるのなら止める必要はないと思う。


人の力が及ばない自然を目の前にして取り繕う必要もないし、どんな人でも否定されることはない。


ありのまま曝け出すことで変われることもあるって、私が一番知ってるから──


きゅっきゅっと雪を踏みしめる音がして振り向くと一つの影が近付いてくる。


背格好からして薫さんだけど、暗闇の中で表情まではわからない。


『車に乗りますか?』


“ああ”と短く答えた声に刺々しさはなくて、私はドアをあけエンジンをかけた。


ヘッドライトをつけなくてもエンジンの音がするだけで、現実に引き戻される。


手袋をしているのに冷たい指先に時間の経過を感じると、長時間外にいるお客様の体調が心配になった。


空を見るとオーロラは小さくなってきたし、そろそろかな…


ヘッドライトを点けると急に寒さを感じてかお客様が次々戻ってくるけど、その顔は満足そう。


最後まで空を見上げていたのは前田さん。納得するまで見て欲しかったから、あえて声をかけなかった。


「すいません、遅くなっちゃって…」


『大丈夫ですよ。それより寒くないですか?だいぶ外にいましたし…オーロラもかなり小さくなったのでホテルに戻りましょう。』


車を出すと誰とはわからない欠伸が聞こえ、時計は五時を示していた。


飛行機の出発時間を考えると十分な睡眠は取れないけど、それと引き換えても惜しくないと思う。


ここに住んで10ケ月。赤いオーロラを見たのは初めてで、数日のツアーで見れる確率は本当に低くて幸運な巡り合わせだから。


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