『Angel's wing』

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あれからポールには会ってないけど、ペンダントヘッドはキーホルダーにしてバックにつけている。


引っ越しも終わったし、何もかもが新しいスタート…


谷さんの家で問い合わせのメール対応や滞在先の手配とかをするのが仕事。


説明を聞いた感じでは私でもなんとかなりそうだけど、ここまでくる手段がなくて今日は谷さんが迎えに来てくれた。


自転車買おうかな。それなら二時間くらいで来れる…


一通り説明が終わってコーヒーを飲んだ私は、倉庫みたいな建物へ案内された。


「羽央さんこれ使って。20年前の型だけど。」


そこには日本のメーカーのマークがついた小型車があった。


スリードアで赤い車体の色は少しくすんだ感じだけど、近づくと手入れされてて綺麗。


「これは私が初めて買った車なの。中古だけど日本車は丈夫に出来てる。バスも電車もないし、道を憶えてもらった方が何かと都合がいいから。」


優しくボンネットを撫でる谷さんを見ると、いろんな思い出があるんだろうなって。


凄く大事にしてるのに私が使ってもいいのかなぁ…


「くすっ、大丈夫ちゃんと走るわよ。そのへん一周してきたら?」


『えっ、あっ…』


誤解を解く前に鍵を差し出され、口元に笑みを浮かべたまま“ほら”と視線で促された私は、運転席へ。


鍵をまわすとドルルルゥ…と思ったよりも大きく車体が震え、エンジン音の大きさに不安を感じ窓を開けようとした。


ボタンがない……どうやって開けるの?ガラス越しに谷さんを見ると腕をくるくる回してる。


あっ、この取っ手?それを回すと窓が下がっていく。初めて見た…手動なんだ…他にも何か違うのかな…?


『谷さん…「大丈夫よ、昨日走れたから。いってらっしゃい〜!」


“習うより慣れろ”カヤックの時と一緒だ。免許はあるんだしきっと大丈夫。


ゆっくりと深呼吸してアクセルを踏むと普通に走りだし、ハンドルから伝わる振動が“任せて”って言ってるみたい。


匡さんの車は車高が高かったけどこの車は下から見上げる感じで、風景が違って見えた。


空の青さが心地良くて車の振動も気にならない。


ドライブというには短い時間だけど、なんとなく車と仲良くなれた気がする。


「おかえり。どう?古いけど平気でしょ。あとこれ仕事で必要になってくるから勉強しておいてくれる?」


『勉強…?』


車から降りるとずっしりと重い紙袋を渡され、中を見てみた。


そこには大きさが違う本が何冊か入っていて、取り出すと英語のガイドブックやここの歴史や文化の本が入っていた。


7冊も…パラパラめくってみると知らない単がたくさんある。読みこなせないかも…


「そんなに深刻な顔しないで。ツアー会社で働くなら現場にも出たいでしょ?その為の勉強だから。」


『現場って…私が案内するってことですか?』


「うーん。アシスタントって所かな。お客様に接することは出てくると思うし、聞かれて知りませんじゃね。ここが好きなら知っておいて損はないことばかりだから頑張ってみて?」


軽い感じで話す谷さんはプロ意識が強くて、旅行で来た時と少し印象が違う。


私はお客さんじゃないんだから当然か…


谷さんの望む所までいけるかわからないけど、“はい”と言わざる負えなかった。


私の家まで別の車で一緒に行ってくれることになって、先を走る私がバックミラーを覗くと離れた所に谷さんの車がある。


自主性を問われてる気がして、ついてくだけじゃだめなんだろうなと考えていた。


家に着くとすぐにUターンして走りだした車は、後をついてきた時よりずっと早い。


合わせてくれた優しさを感じても、感謝より気を使わせないくらいにならなくちゃって思う。


仕事には責任が伴うし、手に伝わるずっしりとした本の重みががそれとかさなった。


空を見上げるとまだ青い。時間的には夕方だけどシェアメイトのケイトは仕事から帰ってきていないだろう。


確信して鍵を開けるとやっぱり静かな部屋があるだけ。一人暮らしみたい…


寮にいると廊下から他の人の声が聞こえたし、自室は狭くて勉強部屋という感じだった。


誰もいない家に帰ってくるのが、なんだか寂しい……


『慣れ…だよね……』


言い聞かせるつもりが、力のない声にこれじゃいけないと頭を振った私は自室に行くとベッドの上で本を広げた。


この単語…なんだろう…


今まではなんとなく英文を読んでいたけれど、間違ったことを人に伝える訳にはいかない。


一つ一つ調べてノートに纏めていくのは大学にいた時と変わらないけれど、緊張感が全然違う。


出来るところまでがんばろう…毎日、眠るまで勉強した。


一日の中で一番好きなのは通勤の時。自然の中を車で通勤するのは凄く贅沢で、うきうきしながら谷さんの家に向かう。


与えられた仕事は二時間もあれば終わるけど、窓から見える湖が綺麗だからここで勉強して夕方に帰る。


一ケ月半、ミスらしいミスもなく仕事ができたし、お休みの日は湖でカヤックをさせてもらって凄く充実していた。


珍しく次のツアーまで二日空いた谷さんと、少し先のツアーのスケジュールや手配内容を確認をしてその日の仕事は終わり。


いつも通り本とノートを取り出すと、谷さんが不思議そうに聞いてきた。


「それ…“野生生物”って書いてあるけど、本ごとに纏めてるの?」


『はい。英文読みこなせなくて…ガイドブックと、植物と野生動物で今、三冊目です。』


“ちょっと見せて”と言われ半分まで書き込んだノートを渡すと、ページをめくる度に嬉しそうに口角を上げた谷さん。


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