『Angel's wing』

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不知火side


「おまえはここで諦めんのか?好きだって気持ちがあんのに──」


そこまで言って、初めて羽央の表情が変わっていたことに気付いた。


眉根を寄せ痛みを我慢するような苦しそうな顔。諦めちまったみてェな力のない瞳からは涙が溢れた。


俺がそこまで追い詰めちまった──…その現実に力が抜けた。


『匡さん以上に楽しめる人とは出会えないかもしれないって思う……だから、失いたくない…でも、いつか失くしちゃうから…』


羽央はオブラートに包んだみてえな言い方で、俺には何も伝わらねェ。


それでも俺から視線を逸らさねェのはまだ何かあるんだろう?


視線がぶつかると無言でも伝わる気持ちがある。俺がじっと待っていると、おまえは過去の自分を打ち明けた。


離婚してない…体が男を拒絶する…誰とも付きあえない…


結婚してたなんて信じられねェっていうか、おまえが誰かのものなんて考えたこともなかった。


体が拒絶するのが原因で旦那と上手くいかなくなったのか?聞けるはずもねえ疑問が浮かんでは消えていく。


妙に力が入った声はその現実を乗り越えたって言う風には聞こえなくて、まだその苦しみの中にいて強がってるような気がした。


結婚しない奴はそんなに珍しくねェが、誰とも恋人関係になれねのがはっきりしてるなんて。


さっき言ってたことの真意がはっきりと伝わる。


羽央が望むのが“友達”としての俺。その中で一番って何だ?親友?


俺が羽央の苦しみを減らせるなら、何をすればいいのか…


焦っても答えが浮かぶはずもねェし、俺の人生経験じゃアドバイスも…


『聞いてくれてありがとうございました。私の我儘だから気にしないで「なァ…」


妙にすっきりした表情でおまえは礼を言ったが、なんか引っかかって思わず聞いちまった。


「旦那ともめたんなら何で実家帰らねェんだ?家族と一緒に住めばいいじゃねえか?」


誰かについて行く生き方がだめでも家族と住めば問題ねえし、これからのことを考えたらその方が安心だ。


親に相談すれば、医者を探してくれたりすんだろう。


だが、それは安易な考えで言葉にするべきじゃねェもんだった…


『家………………』


おまえが声に出せたのは一言。その後は堪えきれない涙に目を瞑り濡れた頬をぬぐうことなく頭を横に振った。


数回すると項垂れ、頭のてっぺんを俺に向けたまま動かなくなり、細い指が震えながら顔を覆う。


なんてことしちまったんだ……


部屋に響く嗚咽は、俺が生きてきた中で経験したことのねえ壮絶な現実があるってことを伝えてくる。


俺は罪の意識に苛まれ、謝ることすら出来ねェ…


羽央を悲しみの中につき落とした結果、俺も地獄に落ちたような気がした。


大人になりきれてねェ…俺…歳は大人なのにやってることはガキだ──


椅子に座わり、頭が膝につきそうなくらい背中を丸め泣いてる羽央を見てたら、ふとあの時の光景が浮かんだ。


初めてカフェテリアで見た時、感じたものは……


おまえの脇に手を入れ俺の胸に引き寄せ、優しく抱きしめると羽央の体が一気に強張った。


「羽央はきっと俺の妹だ。容姿も似てねえけどおまえとは切ってもきれねえ物がある。だから失いたくないし、失えねェ。そう思わねえか?」


あの時に感じたのは、家族との絆が薄い奴独特の空気。理解者がいない不安──…


俺がそれを全部とっぱらってやる。


『そん……なの…』


「血の繋がりがある家族だけが家族じゃねえぞ。俺達が兄妹になるって言っちまえば、気持ちの上では成立するぜ。嫌か?」


羽央の旦那になるだけが家族じゃねェし、兄と妹なら離れても別れる必要なんてねえ。


俺とおまえはここから生き方を探さねェといけねえ人生。そんな所も似てる…


『い…嫌じゃ……な…ぃ…』


そうは言っても服越しに感じる体はどこか緊張していた。


アドバイスできるほど出来がいい兄貴じゃねェが、おまえが感情を我慢しなくていい相手でいてえ。


「じゃ、今まで苦しかった分と寂しかった分、まとめて泣いとけ。それからこれからの分も。後は笑って生きろ。妹よ…なんてなァ…」


一人では泣かせたくねェから、これからの分も泣いてもらうことにした。


羽央が傍にいて、俺にくれた楽しい時間、前向きな力を“今”返したかった。


苦しかった過去、孤独だった時間はそれで帳消しになるだろ?


『ふふっ……ずるい…ょぉ……っ……ぅぁぁああぁぁ…ヒック…わぁぁぁん……』


強がるように笑った後、腕の中で羽央は泣きじゃくり震える体を俺はぎゅっとだきしめた。


女の涙なんて嫌なもんだと思ってたが──…おまえの涙ならいくらだってつきあってやる。


どんな感情でも曝け出せるのは兄妹の良さだろ?


ゆっくりと羽央の頭を撫で、俺が苦しいと思ってたことは大したことじゃねェと心に刻んだ。


今まで見えてなかった階段を見つけ、一歩踏み出した瞬間だった──…


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