『Angel's wing』
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本当に終わり…もう私の前には現れないって…
心の奥底から絞り出すような苦しみに震えた左之さんの声が耳に残って離れない…
自分が選んだことで納得してるはずなのに、胸が締め付けられる。
『……っ……ひっく……っ…』
一人きりの部屋で溢れる涙を止める方法なんてなくて、他に方法があったんじゃないかって考えてみるけれど…
私じゃ…左之さんを幸せにできない…行きつくのは別れるしかなかったという、同じ結論。
揺るがない答えに辿りつくと、しゃくりあげる体はゆっくりと落ちつきを取り戻しはじめた。
電車の走らない時間になり、部屋はエアコンの音が低く響く。
熱を持った重い瞼を押し上げるといつもと違う位置に見える明かりが眩しい──
涙が止まると体が色んなことを感じてることに気付く。
首筋が突っ張ってるような気がして、指先で触れると肌とは違う感触。なんだろう…
体に何か異変があったのかもしれないと、慌てて立ち上がるとチェストから鏡を出した。
ざらりとした首筋にはくすんだ赤いすじ状の跡……薄いけど間違いく血……左之さんの唇から…?
あの眼差しを思い出し、心臓を握りしめられたような息苦しさを感じた。
それは左之さんも必死だったってことに気付いたからで…
目頭が熱くなって鏡を伏せた私はペタリと床に座りこんだ。
あの時の怖かった思いををかき消したのは…初めて会った時の左之さんの優しさ…
何の得もないのに手を差し伸べることができる誠実な人を、追い込んだのは私だって…
一人じゃ総司と別れなかったかもしれない。付き合って過去に苦しまずにいれたのは左之さんがいてくれたから。
再び零れ落ちた涙は伝えられなかった想い──…
自分でなんとかするしかないけど、首筋に血がついてると思うだけで気持ちが落ちつかなくて浴室に向かった。
服を脱ぎ捨てると冷たい空気に身震いするけど、肌にしみる…
空気がしみるの……?違和感を感じて鏡に背中を向けるとアザを結ぶように擦り傷のような赤み。
ブラジャーを引っ張られた時の──…鏡から視線を逸らした私はそのまま熱いシャワーを浴びた。
血が出てる訳でもないのにお湯がしみてジンジンするけど、傷の痛みなんて大したことない。
心に重くのしかかるものはお湯で流せるはずなくて、ふやけた指先でシャワーを止めた。
ソファに座り時計を見ると思っているよりずっと進んでいて小さなため息が漏れる。
左之さんに謝らせてばかりだけど、本当に謝らなければいけないのは私の方。
心に残ったのは後悔で、それだけはどうしても放っておけない…
携帯を手にしたけど、話すことを考えると鼓動は冷静さを失う。
メールなら…できるかな…
考えはまとまらないけれど、思ってることをそのままメールに書いて保存。
すぅーっと息を吸い込み気持ちを落ちつかせるようにゆっくり息を吐きだし、保存したメールを読んでみた。
なんだかよくわからない…私は話してる時もこんな感じなのかな…
これじゃ左之さんに気持ちが伝わらないかもしれない。
何度も直しては読みかえし今の自分の気持ちが伝わると思った所で、送信ボタンを押そうとした指が止まった。
メールを送ったら…左之さんは返事をくれるのかな…私を怖がらせたと思って別れるって言っただけだったら?
『これじゃだめかもしれない…』
メールを削除すると一気に張り詰めていた糸が切れ、携帯を持っていた手は膝の上に力なく落ちた。
ふと目についた受信フォルダを開くと左之さんの名前で埋め尽くされてて、いくつか読んでみた。
“またな”とか“がんばろうぜ”とか…今まで気にしなかったけど左之さんらしい言葉が、胸の奥を切なさで埋めようとする。
でもそこには戻れないんだから甘えてちゃだめなんだ。
削除ボタンを押してフォルダを空にした。送信フォルダも…
それだけのことなのに今までの私達は消えたような…もう向き合うことはないって実感があった。
ちゃんと気持ちを伝えたら最後――
メールを書き終わると、カーテンの隙間から見える窓はまだ暗いのに電車の音が聞こえ、動き始めた街に覚悟を決めた。
【今まで左之さんにどれだけ助けてもらったか…それを考えると感謝しかありません。私のせいで謝らせてばかりでごめんなさい。左之さんが一緒にいて笑顔になれる人と出会えることを祈ってます。さようなら。羽央】
別れる事を前提にした一方的なメール。でも、未来に繋がるような言葉は左之さんを誤解させてしまう。
左之さんが自分を責めなくなるだけでいい…連絡がこない様にメールも着信も拒否設定した。
『……コホッ……ゴホッ…』
送信ボタンを押すだけなのに緊張して喉の奥が張りつき、咳込んでしまった。
携帯をテーブルに置き、気持ちを落ちつけようとお茶を入れキッチンで立ったままマグカップに口を付けた。
飲んだら体の内側からじんわりと温まるけど、携帯がテーブルの上で何かを訴えるような気を発していた。
つきあった期間は短くてもその存在は大きくて、失うのは恐いけど…
別れると決めたから。テーブルに戻った私は送信ボタンを押した。
自分でわかるほど大きくなった鼓動はしばらく続き、返事はこないから大丈夫と呪文のように自分に言い聞かせる。
仕事に行くまではまだ時間がある…
水で濡らしたタオルで腫れた目元を冷やし、いつもと変わらない朝を迎えたように出掛ける準備を始めた。
外が明るくなっていくのを感じ、朝でよかった…心からそう思った──