『Angel's wing』
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カーテンの隙間から零れる日射しで目を覚ますと、隣に感じる温もりは陽だまりみたい。
だいぶ寝たから眠くないけどこのままでいたくて、がっちりした腕に頭を寄せた。
「…んっ…朝か…まだ眠いな…」
くぐもった声がして視線だけ向けると、目を閉じたままの左之さんの横顔は彫刻のように綺麗で、ごつごつした喉仏が少し動いた。
「もうちょっと寝ようぜ…」
私を探すように少しだけ目を開けた左之さんは眩しそうな顔で体の向きを変えると、首元に腕を差しみ私の体を軽々と引き寄せた。
左之さんのゆっくりとした鼓動が服越しに伝わる…
『そうですね…お休みだし…』
“ん…”と夢の中で返事するような声の左之さんはそのまま眠ってしまったみたい。
ちょっと息苦しくて体をずらすと左之さんの向こう側に部屋の壁が見える。
私の部屋はいつもと同じだけど、昨日とは違う一日が始まったって当たり前のことを思った。
マサさんのことはもう考えなくていい。後は私達次第…
ゆったりとした時間が流れる静かな部屋でうとうとし始めたのに、非常ベルのように大きな音を立てた左之さんの携帯。
「……ぁ?どうした……寝てた……」
微かに聞こえるのは女の人の声だけどマサさんじゃないし、天井を見たまま携帯を耳にあてる左之さんの口調はリラックスしてる。
親しい人……誰?気になるけどここにいたら盗み聞きしてるみたい…
布団から起き上がった私は洗面所へ向かい、洗濯機のスイッチを押した。
水が注入される音で左之さんの声は聞こえなくなったけど、部屋に戻りたくなくて浴室へ。
バスタブの水は抜けててすぐ洗える…裾をまくりスポンジで壁を洗っているとドアが開いた。
「電話、お袋だった。水曜にこっちに来るらしくて家に泊めろって…」
お母さんだったんだ。余計な心配だったとほっとしたけど、左之さんは暗い表情…
『何か困ることでもあるんですか?』
「いや…別に。せっかく羽央とゆっくりできると思ったのに、部屋片付けねえと。仕事になったら無理だし。」
『私のことは気にしないでください。お母さん来るんだし…』
そう言っても左之さんの表情は冴えないまま…部屋には行ったことないけど、片付けるの大変なくらい散らかってるのかな…
『部屋の掃除、手伝いましょうか?』
「いいのか?」
私が頷くと左之さんは嬉しそうに笑い遅い朝食のあと外に出ると、三月下旬の陽気で春がきたみたいだった。
電車から降りると思ってたよりこじんまりとした駅前で、低い建物が並んでいる。
駅から歩いていくとわりと大きな公園があって子供が走りまわってるのが見えた。
『緑があるっていいですね。』
「ああ…大学の時は街中に住んでも気にしなかったが、実家の周りは緑が多くてやっぱりこういう所の方が落ち着くんだ。」
私は便利さを優先しているから駅前だけど、前の家は公園が近くにあった。
総司の顔が頭に浮かびそうになるけど、左之さんの声がそれを止めてくれる。
“ここだ”と案内された部屋は、五階建てのマンションの最上階。
私の部屋と同じくらいのリビングはフローリングで、寝室が別にある。部屋を見回してみても思ってたより片付いてる。
『左之さん、綺麗じゃないですか。物もそんなに多くないし。』
「散らかってはねえが…掃除してねえんだ…」
何だかすまなそうな顔で左之さんは電気をつけた。
『どれ位ですか?』
“憶えてねえ…”と言う左之さんに驚き、明るくなった床を見ると埃が…よく見ると…部屋の隅にわた埃?
体の大きな左之さんが前のめりになって掃除機をかけてる姿は想像できないけど、これじゃ体によくない。
『じゃあ、始めましょう!私は掃除機をかけますから、左之さんはテーブルの上を片付けて下さい。』
「わかった。」
カーテンを開けると随分と洗ってない感じがして、左之さんに外してもらい洗濯機へ。
明るくなったガラス戸を開けると、心地いい風が入ってくる。
時期はずれの大掃除は思ったよりも時間がかかったけど、終わってみると誰がきても困らないくらいぴかぴかになった。
「気持ちいいもんだな…」
『くすくす…今まで家にいる時はどんな気持ちだったんですか?』
「仕事から帰って寝るだけだしな。これなら羽央も来れるよな。」
意味深な目で私を見る左之さんはニヤッと笑うと“飯食いにいこう”と立ち上がった。
さっきまで見えていた夕陽は沈み、空は暗くなっていた。
左之さんが連れていってくれたのは美味しい中華屋さんで、店を出る時にはお腹一杯。
部屋に戻ってお茶を飲んだけど、左之さんは食事もちゃんと食べてたし、風邪も治ったみたい。
久しぶりにたくさん話してる気がして時計を見れば10時近い。そろそろ帰らないと家に着くのが遅くなる…
自分の部屋にいる左之さんは私の部屋にいる時とは雰囲気が違って“帰る”って言い出しにくい。
いつもは優しい方が強いのに、今日は男っぽいっていうか…
そんなことを考えているうちに時計は10時を回り“そろそろ…”と切り出した。
「俺は一緒にいてえな…」
『私もそうですけど、明日仕事だし。』
「俺も仕事だが、朝まではいいだろ?泊まってけよ。」
私が答える前に腕を引き寄せられあっという間に重なった唇は、貪るように激しい。
驚く声ごと塞がれる……
『…んっ……はぁ……っ…』
動く度に唇の隙間から私の声が漏れ遠くで聞いてるみたいだけど、舌が絡みあい水っぽい音が大きく聞こえる…
左之さんの吐息が熱い…
“全部片がついたら”あの約束を思い出して私の鼓動はどんどん早鐘を打つ。
頭がソファの背もたれにぶつかっても左之さんは覆いかぶさるようにキスを続け、その激しさから逃れようとした。
ぐらっと体が揺れ背中の圧迫感がなくなったと思うと、ぽふっ…と柔らかな感触に体が沈んだ。
これって……
目を開けると私の頭の横に手をついた左之さんが見下ろしてたけど、紅い髪の間から覗く瞳を見たら名前すら呼べなかった。
その時が来たんだって──…わかったから…