『Angel's wing』
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左之side
マサと会ってから俺と羽央はボタンを掛け違えたみてえに、うまくいかなくなっちまった。
その発端は俺で酒を飲み過ぎて曖昧な記憶しかねえのはどうしようもねえが、羽央は“何か”言いたかったんだ。
髪を乾かしてやるとじっとしていたが…鏡に映る羽央は壊れそうなくらい脆く見えた。
向き合って話すことすら難しそうで、鏡の中のおまえに“昨日は悪かった…”と謝ると零れ落ちた涙。
羽央はぐっと唇を噛みしめ苦しそうに俯いたが、溜めこんでいるものを吐き出させるとマサをテレビで見たと言われ驚いた。
リサイタルが終わった後の電話は俺がそのことを知ってるか確かめたかったのかもしれねえ。
マサのことも調べたか?…そんな疑問がわいたが嫌な気分にはならなかった。
羽央が感情を爆発させるのは本当にまれで、マサのことが気になったってのは嫉妬。
いつも照れが先に来る羽央からしたらその涙さえ俺への愛情に思っちまう。
テレビで見たことを俺に言わなかったと謝る姿がいじらしくて堪らねえなんて言ったら怒られるだろうが。
貪るようにキスすると熱い羽央の舌に、溜めてた欲が湧きあがり止まりそうにねえ…
だが、羽央の細い首に手を這わせ愛撫すると、火照り以上の熱さを感じ冷静にならざる負えなかった。
風邪か…微熱だったが放っておけねえ。飯を作って薬を飲ませたが、心配だし傍にいてやりてえ…
洗い物をしていた時に鳴った携帯。泡のついた手で触る訳にもいかず取り出すまで若干もたついた。
やっぱりマサ…羽央は寝てるか…起きてるか…悩むよりも鳴り続ける着信音をなんとかしねえと。
取り合えず、話し声が聞こえないようにそっとドアを閉めた。
「左之さん?今、仕事中?」
「いや、羽央の家だ。あいつ風邪ひいちまってな。どうした?」
マサの明るい声が聞こえたが曖昧に受け答えすると、話が長くなると手短に状況を伝えた。
「別に用があった訳じゃないの…左之さんの声が聞きたくなっただけで。邪魔しちゃってごめんなさい…」
急に話のトーンが変わって、弱々しいマサに冷たくしすぎたかと小さな罪悪感が生まれた。
「いや、別に構わねえよ…」
「じゃあ、また…左之さん風邪うつされないようにしてね?おやすみなさい。」
さっきよりも心なし柔らかい俺の口調にほっとしたように話すマサに“おやすみ”と電話を切った。
俺に残ったのは違和感……
会った時はあれだけ強引だったのに、今日の電話はしおらしいっていうか…素直──…
羽央にいつ会えるのか聞く為に電話してきたと思ったのに、俺の体を心配されると調子が狂う。
昔の俺達みてえに普通に“おやすみ”なんて言っちまったし。
マサに頭を支配されながら部屋のドアを開けるとはっと現実に目が行く。
そこには布団に足を入れたまま起き上がっていた羽央が険しい表情で俺を見つめていた。
俺が考えなければいけないのは羽央のことだ──とわかってるはずなのに、頭が切り替わらねえ。
「……ぉ、起きてたのか?」
『マサさん…ですか?……なん…て?』
隠せない動揺が伝わると羽央はみるみる表情を変えていく。
怒れよ…そんな泣きそうな顔すんなよ…泣かせてばかりなんて情けねえ…
惚れた女にそんな顔をさせちまう自分の不甲斐なさに思わず目を逸らした。
羽央に心配をかけねえようにと思っていたが、ここまでおまえを不安にさせちまってるなら隠す意味がねえ。
俺は布団の横に座わると覚悟を決めマサのリサイタルに行ったことを話した。
羽央はただじっと聞いていたが、マサと会ってくれねえかと言った途端、目を泳がせ落ち着きをなくした。
『…会うって…会う必要ないと…思うんですけど…』
俺に同意を求めるような声に会いたくないのはわかったが、マサも会うまではひかないだろう…
マサに“わからせてやらなきゃいけない”のは俺の責任であって、羽央を巻き込むのは見当違いだとわかってるつもりだが…
それでも、羽央なら会ってくれるって心の隅で思ってたのもある。
羽央には嫌な思いをさせちまうかもしれねえが、俺の言葉を信じてきたマサを突き放すことも出来ねえともう一度聞いてみた。
無言で考え込む羽央に足りないのは愛されてる自信だけ…
「そんな不安そうな顔するなよ。俺がどれだけおまえのことを愛してるかわかればそれでいいんだ。自信持てよ…な?」
この間連絡がくるまで、一切音沙汰なしだったマサ…ここでマサを納得させたら一生連絡はこない気がした。
だが羽央にそんな説明をしても、受け入れる余裕はなさそうだ。
『わかりました。一回だけなら…いいです。』
無理か…と思った矢先そう言われ思わず“いいのか?”聞きかえしちまった。
いいと言ったが曇った表情のままで、ひかない俺に合わせただけなのはすぐにわかる。
眠いとか…段々言い訳みたいな言葉で俺を帰そうとする態度にちゃんと話合ったほうがいいかとも思ったが…
真面目な羽央が約束したら破ることはないし、今はマサに会うと考えただけでいっぱいいっぱいなんだよな?
少し時間が欲しいかもしれねえと帰ることにしたが、不安がないわけじゃない。
「こうするしかなかったんだよな…」
空にぽっかりと浮かぶ月に呟くと、白い息が出るが心のもやは消えやしねえ。
家に帰ったが鳴らない携帯に複雑な気持ちで横になると、ぼんやりと天井を見つめたが…
さっき見た月の形すら思い出せなかった──