「Angel's wing」


□37
1ページ/9ページ


涙はとまったのに立ち上がる気力もなくてドアを見つめるだけ……


外の明かりが入り込まない玄関はいつしか薄暗くなっていたけど、ここであった出来事がビデオを見るみたいに思い出せた。


退院して家に戻った時…仕事から戻った時…いつも出迎えてくれた二人はもういない。


それでも…大切な記憶は忘れたくないし心が感じた幸せを消し去ることなんてできない。


ピンポーン


静かな部屋に響いたインターホン。捨て切れてなかった期待に弾んだ鼓動を感じ慌ててドアを開けた。


夕焼けに照らされた建物を背に立っているのは総司じゃない…誰?


「クリーンサービスの者ですが、粗大ゴミの引き取りに伺いました。」


作業服を着た男の人は帽子を取ると愛想よく頭を下げたけど、私は期待した分がっくりと肩を落とした。


「沖田さんですよね?ベッドとソファを引き取るように言われてるんですけど…」


押し黙る私に困ったのか、男の人は説明を始めやっと状況を理解した。


総司が頼んだんだ…それは私のことをわかってくれての思いやりだけど…目の前にいる二人が敵に見えた。


ぎりっと二人を睨みつけると、さっきまで玄関に座り込んでいたとは思えないほど強い口調で言い放った。


『粗大ごみじゃないし、捨てるつもりもありませんから!』


「そう言われましても…」


『帰って下さい。』


“あっ”と驚いた声を無視してドアノブを勢いよく引くと、二人は一歩後ずさった。


その隙に音がするように鍵を掛けると、ぼそぼそと話す声が聞こえ二人の足音は遠のく。


八つ当たりなんて…情けなくてため息が出たけど、これも私…


このままじゃだめだって少し冷静になれた。


総司の物がなくなった部屋を見るのが怖くて、玄関から動けなかったけどあの人達が来てわかった。


ここにあるものは私にとって大切なもので、総司から切り離された不要なものじゃない。


いつまでも目を背けていられない…


大きく息を吸い込んだ私は寝室へ行きクローゼットを開けた。


ぽっかり空いたスペースを見ると二人じゃ小さいと思っていたのに、広すぎるくらい。


本当に一人なんだ…力が抜けてベッドにごろんと横になると、色んなことを思い出した。


決して楽しいことばかりじゃなかったけど、それでも私達なりに頑張って生きてた…


私が一人だったら今も病院にいたかもしれない…二人でいれたことに感謝しよう…


『総司…私…幸せだった…』


私の言葉はいつの間にか過去形になっていた…


一人になった空間は時間よりもはっきりと別れてしまったことを私に認識させる。


ただ布団に包まったまま時間をやり過ごし、月曜の朝まで何もしなかった。


投げやりになってた訳ではなくて、ゆっくりゆっくり思い出と向き合った。


本当に一人で生きて行けるよう、涙に逃げない為にこの部屋で…三人で過ごした日々に力をわけてもらった。


一日じゃなにも変わらなくても長い月日をかければ身につく──…


総司は真っ白だった私にそのことを教え、それは今も私の心と体に刻み込まれている。


目指すものがある限り私はがんばれる。今は一人で暮らしていけるようになること…それだけ…


たくさんの事を一度にはできないけど、一つずつならきっと出来る…そう信じて私はいつも通り仕事に向かった。


斎藤さんと外回りに出かけ事務所に帰る途中、私は話を切りだした。


『あの…私達、別居することにしました。今は仕事がんばろうって思ってます。』


「そうか。大変だとは思うが無理はしすぎるな。困ったことがあれば言ってくれ。」


簡潔な言葉は斎藤さんらしかったけど最後に見せた顔はどことなく優しくて“ありがとうございます”と頭を下げた。


それからは家に帰ると引っ越し先を探し、休みの日には内見に行ったりした。


今まで家賃なんて気にしたことがなかったけど、小さい部屋でも駅に近いと高い。


総司に頼ってばかりの私は何も考えてなかったんだって思った。


今の駅じゃ何も変えられない気がして、5つ離れた駅前の部屋を借りた。


1DKの部屋だけど、狭いから両方持っていくことはできなくてベッドだけ処分した。


引っ越し先は狭いと自分を納得させていたのかもしれないけど、やっぱり広いベッドで眠るのは寂しかった…


荷物の準備をすると段ボールが部屋へ積み上げられ、殺風景な部屋へと変わっていく。


自分で言いだした事なんだから私がやらなくちゃいけないんだって、感情はどこかに追いやっていたと思う。


当日、引っ越し業者が荷物を運び出すとがらんとしたリビングに立った私はゆっくりと部屋を見渡した。


『忘れないよ…』


零れ落ちた言葉は誰に対してのものなのかわからないけど、偽りのない私の気持ちだった。


曇った空から雨が降る前に私は引っ越し業者のトラックに乗せてもらい、部屋を後にした。


新しい部屋で荷物を整理し終わると物が溢れ、総司と暮らしてた時みたいなゆったりとした空間はない。


それでもソファがあるだけで今までの私を忘れずにやっていける気がした。


あっ…携帯が鳴ってる…今はびくびくすることもなく通話ボタンを押せる。


「引っ越し終わったか?」


『大体片付きました。思ってたより狭いです。』


「そりゃそうだろ。女は荷物が多いからな。落ちついたら来週にでも、飯食いにいかねえか?」


『そうですね…原田さんが早くあがれた時にでも。』


短い会話が終わると、自分が埃っぽい気がして狭いバスルームでシャワーを浴びた。


総司が出て行って数日後、原田さんから電話が来たから別居して引っ越すことにしたと伝えると食事に誘われた。


そんな気分じゃないと断わったけど“一人でちゃんと飯食ってるか?”って聞かれて、嘘はつけなかった。


食事に行ったら引っ越しの相談にのってくれて、色々教えてもらった。


それから時々原田さんから電話がきて、今では時々夕飯を食べるようになった。


「一人で飯食うより、美味いな。」


いつも原田さんはそう言う。私も確かにそう思うけど、誰とでもそう感じるかって聞かれたら違うと思う。


知らない人から知人になって、今は友人になったからそう思える気がする。


原田さんと一緒にいると他愛もないことから仕事の話まで…共通じゃない話題もあるけど、気楽に話せる。


私が総司のことを話さない限りそのことには触れない安心感もあって、居心地の良さを感じていたのも確かだった。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ