「Angel's wing」


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乾ききらない頬を拭うとリビングに戻り、床に落ちている離婚届を拾った。


緑色の線や字はなんだか前向きで、茶色の婚姻届との違いをぼんやりと眺めた。


婚姻届を書いた時は感激して…目の前にある総司の字はあの時と変わらないのに…


どうしてこんなことに?それとも総司は離婚を考えながら私と暮らしてたの?


今までのことを思い出し、総司と私では一緒に暮らしていても想いが違うことが切なかった。


幸せだという私を総司はどんな気持ちで見ていたのか…


手の中にある離婚届だけが今の私達の現実。


すぐにサインするように言わなかったのは、総司がサインした時も大きな決心が必要だったのかも。


私に時間をくれた…優しさは変わってない…


そんな総司を私の存在が苦しめてるとわかっても、サインする気にはなれなかった。


ごめんね…総司…


謝っても私の欄は空白のまま…


今の私には総司の言葉を思い出すことしかできない。もしかしたら…私は伯母さんに電話をかけた。


「羽央ちゃん、今電話しようと思ってたところだったの。旦那から電話があって、総司君が離婚するから署名を頼むって何があったの?」


いつもより早口に話す伯母さんに圧倒され、聞きたいことは後回しになってしまった。何がと聞かれても…私自身わからなかった。


『色々あったんですけど……』


「そう。詳しい話が聞きたいから家に来てくれる?駅には平助が迎えに行くから。」


電話じゃ埒があかないと思った私は“すぐ行きます”と答え電話を切ると、着替えをバックに詰めた。


玄関に行くとソマリが駆け寄ってきて、いつもより多めに餌をあげて私はしゃがんだ。


『ソマリ、明日には帰ってくるから…いい子にしててね?』


カリカリと音をたてながら食べているソマリの頭を撫で、足早に駅に向かった。


何度か電車を乗り換え伯父さんの家の最寄り駅の改札を出ると、平助君が待っていた。


『久しぶり…ごめんね…』


「気にすんなって!早くしねえと母ちゃんに怒られるし…車こっちだから…」


ぎこちない笑顔の平助君の後を歩き、路肩に止めてあった車に乗り込んだ。


平助君がハンドルをきるたびに近づく家。伯母さん達にどう説明しよう…


「羽央ちゃん、とりあえず家入って!」


玄関の外で待っていた伯母さんに急かされた私は居間に通されたけど、伯父さんの姿はなかった。


私の前には伯母さんと平助君が座わり話を始める合図のようにお茶が出され、心配そうに見つめる二人の視線を感じ私は話始めた。


『総司から別れた方がいいって、離婚届を渡されたんです。』


「何が原因なの?」


伯母さんに間髪入れずに聞かれ、本のことや封筒の件を説明した。


『私も悪かったと思うけど…でも離婚って…私は総司と一緒にいたいのに…』


「それだけなの!?その位のことで離婚?浮気とか借金とかは?」


驚いた声を上げた伯母さんに、私は首を横に振ると引っかかっていた可能性を口にした。


『先々週の土曜に検査に行って。そこで何か言われたんじゃないかって。それで離婚とか…

結果を聞いたら何もなかったって言ってたけど、本当なのかどうか…だから、先生に会って直接聞こうと思うんです。』


「先々週って…オレ、一緒に行ってねえ…」


黙っていた平助君がポロリとそう言い、私の心臓はドクドクと波打った。一緒に行ったと思ってたのに…


『…今までは一緒に行ってたよ…ね?』


「最後に二人で行ったのは多分、一年位前だよな…?総司の奴、本当に検査一人で行ったのかな…」


確かに総司が泊まりで検査に行ったのはその位前。


目がキョロキョロ泳ぎ、落ち着かない素振りで話す平助君に悪い考えしか浮かばなかった。


検査はただの口実で…どこか別の場所に行ってたのかもって…それは伯母さんのいう浮気ってこともあり得る。


総司は検査には行ってないのかも…どこに行ってたのかと考えても、私には見当もつかない。


でも、真実は一つ。色んな可能性があるなら一つずつ消していかないと。


『わからないけど…先生に会いに行けば答えが出ると思うんです。』


「止めた方がいい。」


いつも明るい平助君とは思えない声で止められた瞬間、平助君は何か隠してるって思った。


「平助、なんでそんな恐い顔で止めるの?」


それは伯母さんも一緒だったみたいで、言葉に詰まる平助君に私は大きな声を出した。


『平助君が止めても私は行きます。絶対、行かなくちゃいけないの!だから住所教えてください!』


「羽央ちゃんの未来がかかってんのよ、平助!連れて行ってやりなさいよ!」


「わかったよ…オレが行けばいいんだろ?」


二人の剣幕に渋々折れた平助君に伯母さんは苛立ちをぶつけた。


「そんなにゴタゴタ言うなら、私が行くから住所教えなさいよ!」


「わかったって…母ちゃん、そんな鬼みたいな顔しなくても…羽央さん連れていけばいいんだろ?はぁ…」


伯母さんの迫力に圧倒された平助君は大きなため息をついた。


『平助君に迷惑かけられないし、私一人で行くから住所だけ教えてくれれば…』


「迷惑とかじゃねえから…大丈夫。すぐ行こう暗くなっちまう前に。」


『ありがとう、平助君。』


道が開けて喜ぶ私は、立ち上がった平助君が重い空気を纏っていたことに気付いてなかった。


「二人とも気をつけて。何かあったらすぐ連絡して。」


『はい。行ってきます。』


ぺこりと頭を下げると、私の耳元に顔を近づけた伯母さんは“離婚の危機なんてみんなあるものよ”と囁き、驚いた私に微笑むとコクリと頷いた。


その言葉に泣きそうになりつつ、車に乗り込むともう一度伯母さんに頭を下げた。


今の伯母さん達を見ると全然そんなことがあったなんて信じられない。これを乗り越えなきゃ…


走りだした車の中はナビの機械的な声だけで、高速に入ると平助君が口を開いた。


「羽央さん、総司って…どこが悪いの?」


ドキッとした私が運転してる平助君を見ると前を向いたままだったけど、その瞳は総司のことを心配してるのがわかる。


総司は、平助君に何も言ってないんだ…巻き込まない為…私が知らないと言ったら嘘だってきっとわかってしまう。


『まわりの音とか…人が大勢いる所がダメで…どんな検査をしてるか、私も聞いたことないの。』


「そっか…。俺なんかみんなしゃべっちまうけど、総司は羽央さんにも全部言わねえんだな…」


薬のことは言わずに納得してもらえたことにほっとしたけど“全部言わねえ”そう言われて確かにそうだなって思った。


人と会った時や仕事の話も私に話すのはほんの一部。先生に会いに行くのは私にとって総司を知るチャンスかもしれない。


総司を理解する為に、今の私がしなくちゃいけないことなのかも…


曇っていた空は段々と暗くなり、細かい雪が降り始めた。


小さな塊はフロントガラスにぶつかるとすぐに水に変わり、ワイパーで押しやられるのを見ていると私みたいで…なんだか悲しくなった。


でも、離婚なんて…絶対したくない…その為ならどんなことでもしようって私は決めたんだ──


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