「Angel's wing」
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病院にはあれから一度も行かず、クリーニング店の仕事に戻った。
子供のことは気持ちの整理ができたけど、未来を考えることがなくなった。同じ日常があるだけ…
私達の生活サイクルは違うし…一人の時間をぼんやり過ごしていた。
「羽央、習い事したら?友達とかできていいんじゃない?」
総司に渡されたのはカルチャーセンターの広告で、色んな教室の案内が載っていた。
『習い事?…こんなにあったら選べないよ…』
「これは…主婦に人気のヨガ…趣味が一つでもあった方が楽しいんじゃない?毎週月曜って書いてあるし。」
趣味…なんだかその響きだけで楽しそうだった。
『ヨガ…。仕事休みだし、行ってみようかな…』
そういうと“色々やってみなよ?”と頭を撫でられた。
カルチャーセンターに申し込み流れを説明をされると、わくわくした。
行ってみると月曜の午前中ということもあって、女性ばかり…私より年上の人が多いなぁ…
教室の後に30代くらいの明るい三人組に声を掛けられ、お洒落なカフェに連れていってもらった。
総司とは人の多いお店になんて行かないし、賑やかなカフェは楽しそう…
メニューを見ながら“これはどう?”とか“これもおいしいわよ”なんて話ながら決めたり…私にとっては何もかもが初めて。
みんなと同じものを頼むと、最初に私に声を掛けてくれた人が自己紹介を始めた。
『沖田羽央です。24歳です…』
最後は私…そう言うと“旦那さんは何してるの?”とか“結婚して何年?”次から次へと質問された。
結婚してるって言ってないのに…不思議に思ったけど、カップに添えた左手を見れば結婚指輪をしてた。
そうか…結婚指輪ってお互いの絆だけじゃないんだ…
ぼんやり考えていると“沖田さん、聞いてる?”なんて強い口調で聞かれ慌てて答えた。
「新婚さん…一番いい時よね〜翻訳家なんて、かっこいい〜」
「ほんとよね〜うちの夫なんか…週に一度の休みしかないし。」
「私の所なんて業績悪くて…聞いてよ〜この間ね…」
どんどん話が進んでいくけど入りこめない…黙っているといつの間にかヨガの話になっていた。
あのポーズは脇腹が痛いとか…たしかに私も痛かったなと笑ってしまった。
別れるころには他にどんな習い事をしてるとか趣味の話が聞けて、和やかな雰囲気…楽しかった。
「「「沖田さん、またね〜」」」
三人とも笑顔で手を振ってくれて…これが友達ってものなのかなって嬉しい気持ちで家に帰った。
「ヨガ…どうだった?」
『楽しかったよ!教室の後にお茶に誘われカフェに行ったの。』
「友達できたんだ…よかったじゃない。」
夕方起きてきた総司も私の話を聞いて嬉しそうに笑ってくれた。
新しいことするとまた違う世界があるんだ──…
でも、そんな喜びも長くは続かなかった。教室の後にお茶をするのは同じ…
話の内容は、姑や子供の事がほとんどで…私にはないものばかりで黙って聞いていた。
聞くことは別に苦痛じゃなかったけど…話に入れないことを気遣って、私の事を聞かれるのがつらかった。
総司には“記憶がないこととか…僕の薬の事は話さないで”って言われていたから、昔の話を振られると言葉に詰まってしまう。
悪気があるわけじゃないけど、話に加わろうとしない私が気に触ったのか三人の表情はどこか冷たい。
気まずくて俯きコーヒーの温かさに縋るようにカップを包みこむしかなかった。
次の教室に行って挨拶すると会釈はしてくれたけど、いつもの場所より前にヨガマットを引いた三人。
私と並びたくないのかな…先生が来てレッスンが始まったけど、集中できなかった。
お茶に誘われることもなく三人はそそくさと帰っていった。
私は趣味を持ちたいからこの教室を申し込んだんだ…
そう思っても気持ちが落ち込むのはなんでだろう…
一人だと結局夕飯の買い物をして帰るだけで、総司が起きるまで私はぼんやり過ごした。
ご飯を食べる時、総司は“ヨガどうだった?”っていつも聞いてくる。
『立ち木のポーズが難しくて。両手を合わせて上にあげたまま、片方の足の裏を腿につけるんだけど…三秒も持たないの…』
「そのうちできるようになるんじゃない。がんばりなよ?」
『うん…がんばるね。』
総司にはそう言ったけど本当はあまり行きたくなかった。ヨガよりもあの三人のことが気になって…
でも10回クラスで受講料は支払い済み。途中で解約しても返金はしないって言われていた。
辞めることはお金を無駄にするような気がしてしまう。とりあえずヨガに集中しようと思った。
総司は仕事に少し余裕ができたのか、週に一度ドライブに連れていってくれる。
景色が綺麗なところや個室のレストラン…
二人の時間を大事にしてくれるのを感じると、趣味を持たなくてもいいかと思ってしまう。
友達を持つことすら私には難しいことなのかもしれないって──…