「Angel's wing」
□27
2ページ/8ページ
羽央の経過は順調で、術後に発熱することもなかった。
だけど君を一人にしたら検査の結果を気にして不安になるかもと、僕はずっと病院にいた。
その分、夜は睡眠時間を削り仕事をしなくちゃいけない。予定より遅れているけど締め切りまでに何とかしてみせる。
間に合わなかったら僕の信用はなくなってしまうだろう。それだけは絶対に避けないと。生きる道が断たれることになる…
『総司、昼起きてたら夜仕事するとき疲れちゃうんじゃない…?帰って寝たほうがいいよ。』
数時間しかとれない睡眠。隠しきれない疲れ…羽央にそう言われても、君と仕事どちらかなんて選べない…両方大事。
僕にとってはどちらも生きていく上で欠くことのできないものなんだ…
「大丈夫だよ。締め切りには間に合わせるから…羽央は僕がいると迷惑?」
わざとそう言えば“そんなことないよ”って困った顔をする君に気付かないふりをした。
予定通りに退院できた。君の手を握ると僕の指輪にぶつかって少し指輪が動いた気がした。
家じゃご飯食べてないし…少し痩せたかな…
でも夫として羽央にできる限りしてあげれたよね?君を支え守っていくのが僕の役目。
『くすっ…』
「どうかした?」
急に羽央が笑って、もしかして僕の考えてることが伝わったのかと焦った。
“何でもない”っていう顔が嬉しそうだったから、深くは聞かなかった。
同じ入院でも三年と五日じゃ全然違うよね…それでも、家に帰れる喜びは同じ。
ただ、僕の中ではある不安を消せずにいたんだ…
君をベッドに寝かし、僕は家事をこなしていく。大変といえば大変だけど、病院に行かなくていい分、時間的には余裕ができた。
いままで遅れをとった分、必死に仕事をしたけど、三日経つと羽央が家事をしてくれた。
「本当に痛くないの?」
『大丈夫だよ?あはは…ほらっ、お腹にも響かないし…』
そう言ってお腹を触るんだから、本当に痛くないんだろう。そんな時、ふと君の背中を思いだした。
あのむごたらしい傷を歯を食いしばって耐えていた君、おへその回りをちょっと切ったくらい大したことはないのかな…
なんとか翻訳が仕上がった…お昼すぎ僕は眠りについた。だけど、明日持っていかないと…
夕方起きると君は食事の用意してくれていた。土鍋…君が記憶をなくす前に使って以来だ。
あの頃の僕達はただお互い好意を持っていたけど、まったく違う方向を見てた。
だけど今の僕達は夫婦になって一緒に歩む人生を手にした。
土鍋一つで過去の記憶が鮮明に思い出されるんだから…僕の脳は…
「羽央、明日出版社に行くんだけど一人で大丈夫?それとも一緒に行く?」
“一人で大丈夫”という君と久しぶりに仕事の話ができた。
仕事をしてる時はどうしても翻訳の出来に気が向くから仕事の話はしたくない。
先に寝るように言えば寝室へと向かった君。翻訳を通して読みたかったのは本当…
でも仕事が終わった僕はパソコンを開き、後回しにしていたことを調べ始めた。“賃貸物件”万が一の為に──
もし、羽央に卵母細胞がなければ珍しい症例になることは間違いない…そうなれば、追いかけられないとも限らない。
山南さんに検査の為に会うようになった時も、最悪の場合を考えて引っ越し先の目星をつけていた。
でも、あの頃と今は違う。ただやみくもに遠くに行けばいいということでもない。君にとっていい環境じゃないと…
手術を決めてから僕は色んな医学書やHPを調べたんだ。だけど、どう考えても君の体は普通の女性とは違う。
何の異常も発見できないのに生理がこない。その原因を病院でも発見できないなんて…
僕の中で卵母細胞があってほしいと願う一方で、ない可能性が高いという思いも消せなかった。
そんなことを思ってるなんて知られたら軽蔑されるかな…それでも夢だけみていられる歳じゃない。
現実にちゃんと向き合わないと僕達は大変なことになる。
画面の中の物件をクリックしては条件に目を通し閉じていく。不意をついて聞こえた声…
『総司、携帯の充電器貸してくれない?』
疲れていたからか気付くのが遅れた…慌ててパソコンを閉じた。
明日僕が出掛けるからか…僕のを充電していたけど、外して君に手渡した。
パソコンは開けないな。携帯にも賃貸サイト登録してあったはず…
羽央は僕の携帯を覗きこまないのをわかっていて、僕はいじり始めた。
すぐに“ありがとう”と君は寝室に戻った。ほっと息をつき僕はパソコンを再び開き2件ほどよさげなのを見つけた。
それが終わり、翻訳したものを通して読み直した。やっぱりちょっと不自然かな……そんな箇所があって、結局読み終わったのは朝の5時。
辺りはまだ暗い…欠伸が出るほど疲れているけど8時には起きないと。アラームをセットして僕は横になった。
こんなに眠いとアラームで起きれるか心配だけど、羽央がいるから大丈夫かな。
『総司!起きて!アラーム忘れたの…ごめん。』
どこか遠くで君の声がする…だけど聞こえた言葉を思い返せば“アラーム忘れたの”って言った?
僕の右肩の辺りを必死に揺する手を感じると、これは現実だと脳が指令を出した。
僕の携帯は…?手にすると暗い画面…
「アラームかけたのに、電池切れてるし…」
充電してなかったから…だけど、そんなことを考えてる場合じゃない。僕は着替えて部屋を飛び出した。
駐車場に走り車に乗りこむとシガーソケットから伸びる充電器を携帯に差しんだ。
充電のランプがついたのを確認し僕はハンドルを握った。急がないと…
僕は寝起きが悪い上に焦っていて、大事なことを忘れていたことすら気付いてなかった。