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□優しい日々(挿絵:ちはる様)
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斗南にきて半年以上経ち厳しい冬も終わりを告げた。
『くすくす…』
「どうしたんだ、名前?」
『いえ…ご近所の方が色々教えてくれて。』
そう言う名前の表情は楽しそうだ。麗らかな日々が続くと人の心も和やかなものになっていくようだ。
『西洋の方はお花を育てることを嗜む方が多いそうです。“千本槍”が評判なんだとか。』
「センボンヤリ?」
『はい…私も目にしたことはないんですが、名前を聞くと…原田さんのことを思いだして…』
「左之のことを?」
『はい。原田さんが槍を回すのを見せて下さったことがあって…お花が咲いたみたいだなって思ったんです。それをちょっと思いだして…』
「そうか。俺はもう出掛けなくてはならん。」
『すいません、朝の忙しい時に余計な話を…いってらっしゃいませ。』
「ああ、昼過ぎには戻れると思うが。」
にこやかに笑う名前に見送られ俺は家を後にした。
左之が名前に槍を回すのを見せたのは何故だろう…。
平助に槍をまわさせてるのは見たことがある。小柄な平助がうまく回せるはずがなく、上背がある左之の十八番の技というか見せ技だ。
名前に気があったのだろうか…府に落ちない俺は悶々とした気持ちで仕事に向かった。
上役に呼ばれ給金を渡されるとその部屋には見たことない花…花弁が多いな。
「これは何と言う花ですか?」
「君が花に興味があるなんて意外だね。千本槍というんだが、西洋から伝わったばかりなんだ…」
これが…千本槍…
得意そうな上役…俺はどうしても名前に見せたかった。どうしたものかと悩んだが、諦めきれぬ。
「その花を譲っていただけませんか?代金はきちんと払います。」
上役の顔色が青ざめた。俺はそんなに殺気立っていただろうか…給金を差し出すとおずおずと花の対価に見合う金額を取った上役。
俺は古銅花瓶に生けられていた三本の花を手に家へと向かった。名前の喜ぶ顔がみれる…
そう思って足を進めるが、ふと給金のことが気になった。さっきは花に夢中で上役がいくら取ったのか見てなかった。
包みを開いて愕然とした…花というものがこれほど高価だとは。今の生活は楽なものではない…
これでは逆に悲しませてしまうのではないか…そんな考えが頭をかすめるが、今さらどうにもならぬ。
ため息をつき腰を下ろした。あたりの草むらは春の日差しを受け青々としていた。
そんな草の生命力を感じ俺の心も和んだ。
ごろんと横になると浅葱色の空には白い雲がゆっくりとした動きで流れていく。
こんな風に寝ながら雲を眺める日が来るとは思わなかった。
浅葱色の空を見れば思いだすのは新選組のことだが、あの頃のように死を感じながら今は生きていない。
名前にお守りをもらったからというわけではないが、羅刹の吸血衝動も治まりつつある。
きっと斗南の食物、平和な日々がもたらしたことだろう。削った命は戻らないが今の俺は幸せだ。
名前のことを考えていた──
死を覚悟した俺にとっては一日一日が大切で名前が喜ぶ為ならなんでもしたいと思う。
給金など…大したことではない。いざとなれば刀を売ればいい。今の俺は刀を持たずとも生きる意味がある。
名前がいてくれるからな…
俺は起き上がり家へと向かった。
名前が千本槍のように笑ってくれることを願い──
◇◇ ◇◇ ◇◇
一さん遅いな。
ガラガラと戸が開くと少し嬉しそうな一さんが立っていた。何かいいことあったのかしら…
『お帰りなさい、一さん。』
「名前にこれを…千本槍だ。」
『これが…すごくかわいらしいです。すぐに生けてあげないと…』
名前は嬉しそうに俺の手から花を受け取り水を入れた湯のみに花を飾るとちゃぶ台にのせた。
お茶を二つ淹れてきた名前は事実を知らないからか嬉しそうだ。
『一さんどこでこれを?』
俺は観念して事実を話した。嘘をついた所で渡す給金を増やすことなどできぬ…
「上役の部屋にあったのだが…買ったのだ…それ故、給金が減ってしまったのだ。すまぬ…」
給金の包みを差し出すと中を確認することもなく、俺の手を小さな手が包み込んだ。
『一さんが私の為に花を買ってくださるなんて…幸せです。赤や桃色の千本槍…とても素敵です。見てるだけで元気になれます。』
そう言って俺に寄り添う名前の笑顔に俺の心も優しい気持ちで満たされていく。
『お給金の事は心配しないでください。大丈夫ですから…』
「わかった。」
ほっとしたような一さんは本当に真面目な人だ。給金を全て私に渡してくれるのだから…
そんな一さんが私の為に花を買ってくれるなんて嬉しいです。私の事を一番に考えてくれた証だから…
春は山菜がたくさん取れる。海も穏やかになるから魚の取り方を教えてくれるって隣の奥さんが言ってた。
私も一さんの為にがんばります…
あなたがくれた優しさが
私を支え強くする
その強さであなたに優しさを返したい
いつまでもあなたが笑顔でいられるように──
互いの想いは続いていく
二人が知るのは
まだ先のこと──
END
※注記 歴史を捏造した点があります。千本槍=ガーベラが日本に伝わったのは大正初期です。
→あとがき