「Identity」

□Tulipa gesneriana
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恐る恐る部屋をのぞきこむと斎藤君はいなかった。机からバックを取り出し外に出た。空一面立ち込める暗い雲。



携帯を出せば平助からメールがきてた。



「風邪治ったから今日からバイト行く。名前もがんばれよ!平助」



そんな普通のメールだけどデコされた文字がピカピカ点滅しててちょっと元気をもらえた。



“私も言ったよ。仕事は明日まで。名前”



デコメールにしたら、すごく軽い感じのメールになった。不安を打ち消そうと必死だった…



食欲もなくてぶらぶら時間を潰していたら携帯が鳴った。



液晶を見て覚悟を決めた。“土方歳三”軽く息をついて通話ボタンを押した。



「名前…仕事終わったら会いたい。駐車場で待ってる」



隙のない声に“わかりました”と答え電話を切った。もう正直に言うしかない…下手にいろいろ計画を練ったところでうまくいかない。



昼休みが終わるギリギリにデスクに戻るといつもの斎藤君。



お互い何も話さず仕事を続けた。整理したい仕事はあったけど定時に仕事をきりあげた。




駐車場に行くと暗い表情の土方さん。“飯付き合ってくれるか?”と言われ頷いた。車が走りだしてもその表情が変わる事はない。




私が一緒に辞める事を選ばない事がわかっているみたいだった。



でも全てはきちんと言葉で伝えないと…私にはそれが欠けていた。



ついた先は去年ネックレスをもらった時の日本料理店だった。ここが土方さんと会う最後の場所になると思うと…あの日が凄く昔の事のように感じた…



あの時の私は一人ぼっちの自分を一人だからと思い込んで、なんでも自分単位で考えていた。それが当たり前だと思ってた…



でも人を愛するとそれは違うとわかった…二人でいろんな事を乗り越えていく…そうじゃなきゃ一緒の未来なんてきっと無理…



個室に通され向かい合わせに座った。料理はもう頼んであるみたいだった。



『土方さん。わた「話は飯食ってからにしよう」



土方さんに話を止められた。うまく伝えられるか不安だった私の気持ちは宙ぶらりんのまま…



料理が運ばれてきた。おいしそうな料理だったけど話の事が気になって、料理の味はわからなかった。土方さんも何も話さない…




一人じゃないのに静かな食事に違和感を感じた。平助との食事はいつもにぎやかで、おしゃべりしたり笑ったり…それが当たり前になっていた。




私の心は平助でいっぱいなんだ…私は一人でいても一人じゃない…




デザートが来て食事も終わり…



気持ちを伝えないと…



ゆっくりと…きちんと伝わるように話した。



『土方さん。私会社を辞めます…でも土方さんと一緒じゃありません。土方さんはこの会社に必要な人です。辞めないでください』




「仕事は誰とするかが重要だ。俺は名前を選ぶ。会社より名前を…」



その言葉を聞いてドクンと胸が跳ねた。土方さんが今の私と同じ考えだという事に…



今までは土方さんと私はお互いの違うところに惹かれあったのだと思った。



でもお互い言葉にしてみれば深い部分では同じ考えだった…



近藤さんから雪村さんを頼まれた時…土方さんがさっきの言葉を近藤さんに言っていれば、今は違っていたものになっていたかもしれない。



チョコレートをゴミ箱に捨て…マンションで雪村さんとのキスを見て…



あんな胸の痛みを感じる必要はなかった…



でも今の私は全て受け入れた。そんな辛い痛みも平助が消してくれた。私にとって一番は平助…



『私にとって平助が一番なんです。私は全部捨てても平助を選びます。失って後悔はしたくないから』



きっぱりと土方さんの目を見つめてそう伝えた。土方さんの瞳は力なく哀しみに揺らいだ気がしたけど今の私の心はもう揺るがない…




迷って…悩んで…泣いて…これがやっと見つけた私の答えだから…




『土方さん。近藤さんを助けてあげてください』



「は?なんで近藤さんが出てくるんだ?」



『会社が倒産するかもって…トシに責任を感じさせたくないって…でも、土方さんの力が必要なんだと思います。信頼できる唯一の人だから…お願いです。仕事辞めないでください』



「近藤さんが…そんな事を…」



“辞めない”とは言わなかった土方さん。でも会社が倒産するかもっていう話は知らなかったみたいで神妙な顔をしていた。



責任感の強い土方さんが近藤さんを助けない訳ないと思った。



私が好きになったのはそういう土方さん…



土方さんはきっと変わってないそう思った。ずっと私を想ってくれていたんだから…


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