「Identity」
□Achillea alpina L.
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「名前が言いたくないなら、無理には聞かない」
その声に視線をあげるといつもの平助。言わなくてもいいことに安堵した。だけど…
「でも、名前苦しそうだよ。そんな名前見てると俺も辛いんだ…」
優しすぎるよ平助…さっきまで私を疑うような目をしてたのに…
いつも私の事を優先してくれて…でもそう言う平助の顔が泣きそうで…
優しい平助を…追いこんでしまってる…
私は何ていったらいいのか…言葉を探すけど見つけられなくて…
言えば負担をかけて言わなくても苦しめて…何を選んでもうまくいかない…
俯く私を平助は抱きしめてくれた。平助の肩に顔をつけると平助の匂い…
それだけで安心するんだよ…私が好きなのは平助だけ…それだけじゃだめなのかな…
「俺じゃ頼りないかもしれねーけど名前の事、守りたいんだ」
顔は見えないけど私の耳に届く平助の声に迷いはなくて…やさしく背中に回されていた腕がぎゅっと私を抱きしめた。
それが“言ってくれ”っていう平助の気持ちみたいで…打ち明けようとした…
言いたいよ…だけど…
前の事を考えると恐くて…あの寂しさは本当に悲しくて…二度と感じたくなかった…
“言いたい”と“言えない”がぐるぐる頭の中をまわって一つの答えを選べない…
平助を失いたくない…触れあえばあったかい気持ちになれるのは平助だけだから…
『…ぅっ……』
そう思うと目頭が熱くなった。平助に心配をかけたくない気持ちとは裏腹に涙が頬を濡らした。
そんな私の背中をさすってくれる平助…付き合う前みたいにただ私を受け止めてくれた。
「俺は名前が好きだよ。でも俺が名前の為に何ができるのか…」
消え入るようにだんだん小さくなっていく平助の声。平助は受け止められないかもしれない…
でもこのままでいれる訳もなくて…これ以上平助に隠し事を増やしたくない…全部は言えなくても…
拒否されたらと不安で顔を上げれなかった…抱き合ったまま話した。
『…会社で…斎藤君に…キスされた…の…それで倒れて…』
平助の答えを考えると怖くて、自然に平助のシャツをぎゅっと握りしめてしまった。
短い沈黙なのに…
シャツを握る手はどんどん不安が強くなって指先の感覚がない…
責められる…嫌われるかも…
平助が私を拒否したらどうしたらいいのだろう…
だって私が平助から他の人とキスしたと言われたら…いいよとは言えないから…
「名前は斎藤ってやつが好きなのか?」
平助の声は怒ってなかった。すぐに私は頭をぶんぶんと振って否定した。
『私が好きなのは平助だよ』
そう言うと体を離し私の涙をぺろっと舐めてくてた。優しい顔をした平助がそこにいて私の心は穏やかな陽だまりに包まれた。
「もう、斎藤って奴と二人にならないようにしねえと…会社じゃ…俺どうにもできねえから…」
心配そうにそういう平助…ちゃんと自分の考えを言ってくれた。私を受け止めてくれた事に前とは違う平助を感じた。
起きた事はもうどうにもできない。でも二人でそれを受け止めて二人で立ち向かっていける。それが嬉しかった。
一人ぼっちじゃない…
二人なんだって思える…
『…うん…そうする…』
「約束な」
そう言うとすっと体を引き寄せキスされた。優しく啄ばむような平助の唇を感じるだけで私は幸せ…
間違った選択をしてもいつも最後に行きつく先は平助を好きという事。それが私を支えてくれる…
でもそれは平助が私を好きでいてくれるから…平助が私を好きじゃなくなったら…
きっと私は一人じゃやっていけない気がする…