『Identity』
□Forsythia suspensa
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斎藤side
先月苗字が内藤部長に呼ばれてついていった。
戻ってくると机の上を片付け始めた。様子がおかしい。声を掛けた。
『うん…もう、会社来ないから…』
11月一杯は共に働けると思っていた…俺はその言葉に驚き聞いてしまった。
「何故?」
『……ん…色々あって』
だが答える苗字の瞳は海の底のように暗くそれ以上は聞けなかった。
まわりに声を掛ける事もなく出て行った…礼儀正しい苗字らしくない…
その姿が見えなくなると部長の声。
「苗字君は、急だが実家の都合で退職する事になった」
まわりの者は納得したようだったが俺はそんな話を信じなかった。近藤社長が何か手をまわしたのだ。
俺の隣にはぽっかりとあいた空間と主を失った机。
デスクマットには手書きのメモが挟まったまま…ちょっと席をはずしただけの様だが…
もうその席にすわるべき苗字はいない。
三日すると他の女子社員が苗字の机を片付けはじめた。
「苗字の私物は俺が届ける」
思わずそう言ってしまった。何も言わなければそのまま処分されてしまう。
苗字がここで俺と働いていた事すらなかった事にされてしまいそうな気がした。
「斎藤さん。じゃあ、よろしくお願いします」
片付けが終わると角2の封筒を手わたされた。これだけか…
その封筒を入れようと俺の机の引き出しを開けた。データや作った書類。それは俺がやった仕事ではあるが俺のものではない。
俺が辞めたとしても会社に俺という人間の痕跡など…残らない。
この苗字の私物のようにちっぽけにちがいない。
仕事を第一に考えて生きてきた俺が無意味に思えた。
苗字が辞めてしまった為、俺の仕事は増えた。元々俺の仕事をふっていたからな…
毎日残業が続いた。まだ苗字の私物は俺の机の中にいた。