『Identity』

□instability (1-5)
1ページ/10ページ


開かれた障子。12畳位はあるゆったりとした和室には“近藤様”と呼ばれた人だけだった。



「呼びたててすまない。座ってくれ」



そういわれ私は近藤社長と向かい合わせに用意された席に座った。



『近藤社長…経理の苗字です』


何をいったらいいかわからず挨拶をして頭をさげた。



「会社の外では社長なんて呼ばないでくれ…」


その言葉を聞いて土方さんに初めて同行した時の事を思いだした。



社長と呼ぶなという近藤さん…どこか土方さんに通じるものがあった。



初めて見た近藤さんは私が思っていたイメージと違っていた。



支店を何個も持つ大企業の社長。恐いイメージがあった。だけど目の前にいる近藤さんは温厚そうな人だった。



でもその醸し出す雰囲気はやはり凛としていた。上に立つ者の品格というか…



挨拶はしたものの自分からは話しかける事も出来ずただ黙っていた。




「失礼します」




そういってお茶が運ばれてきた。



「苗字君。お酒にするかね?食事にするかね?」



そういう近藤さんに頭を振って断った。



『すぐ失礼しますから…』



「そうか…わかった」



近藤さんはそう言うと私をしっかりと見据えた。



「トシと君が付き合っていたのは本当かい?」




いきなり核心をつかれた…




事実を伝えればいい。そう思うけど私の声は震えた。



『はい…土方さんが1月の本社出張の頃まで…でも今はもう…』




思い出せばやっぱり悲しい…だけど胸をしめつけるような苦しさはもうなかった。




私の答えを聞いた近藤さんが驚いた顔をした。私と土方さんの事は知っていたはずなのに…




私は近藤さんの言葉を待つしかなかった。




「トシは…別れる時、君に何か言ったかね?」



少し慌てたようにそう言われ私はまたバレンタインの時の事を思い出した。



やるせない思い…少し俯いた。



『いいえ…何も。でも雪村さんがいたからだと思いますけど…』




好きな人に別の女性がいたら…




そんな恋は本当の恋じゃないと思う…



「すまない…」



その言葉の意味がわからず私は顔を上げた。そこには私に頭を下げる近藤さん。




ドク…ドク…




私の心臓が嫌な大きさで鳴りはじめた…




どうして近藤さんが私に頭を下げるの?




私の知らない何かがある…


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ