『Identity』
□5.December
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12月に入って外は風が突き刺すように冷たい。外回りをする私には辛い時期だ。
今日も外回り。コートと手袋をして土方さんに続いた。するとなぜかビルの地下駐車場に行く土方さん。
土方さんがコートのポケットから何かを出した。すると、目の前の黒のセダンのハザードランプがチカチカした。
当たり前のように乗り込む土方さん。私はぼーっと見ていた。
「早く乗れ。苗字」
『えっ。あっ…はい』
私は慌てて助手席に乗り込んだ。その車の中は新車特有の匂いがしていた。
でも今日は酔い止めを飲んできたから大丈夫だ。私がシートベルトをしめると静かに車は発進した。
社用車には会社の名前のロゴが入ったものが数台あるのは知っていた。この車にはそれがない。
…って事は土方さんが買ったって事だ。
都内は渋滞もあるし営業には車は向かないんじゃないかと思う。でもどうして車にしたのだろう?
まさか私が電車に酔うから?毎日薬飲んでるから?
でもそんな事聞けなかった。だってすごい自惚れな気がするから…
“仕事の鬼”の土方さんが私の為にそんな事するとはとても思えなかった。
でも車の中には、土方さんと私の二人だけ。電車のように酔うこともなかった。
すぐに車の中は私にとって居心地がいい場所になっていった。
肘置きに置かれる土方さんの肘と私との距離を感じたり、右手だけで回されるハンドルとかを見てはどきどきしていた。
車を運転する土方さんを独り占めしていた。どんな仕草も様になる土方さん。
でもなぜか土方さんはナビを操作できなかった。こんなに仕事出来る人が?と思ったけど…
翌日行く営業先を事前に登録しておくのが私の日課になった。また一つ私だけの仕事ができた。
……嬉しかった