Novel
□金木犀
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金木犀
うだるように暑かった夏の暑さも、いつの間にかどこかへ行ってしまい、どことなく秋の気配が強まって来た頃。
少し肌寒い夕暮れの道を、僕は一人で下校していた。
空には、夕日で赤く染まった雲が薄く広がっており、時折そんな雲と同じ色をした一匹のトンボが、スーッと僕の目の前を通り過ぎる。
その様子を目で追いかけながら、思わず小さくため息を漏らしてしまった。
秋だから、というせいもあるかもしれないが。
なんだかじわりと、切ない気持ちが溢れてきてしまう。
今日一日の出来事を思い出すだけで、胸が小さく締め付けられるようだ。
原因は、同じ生徒会執行部のポニーテールが良く似合う彼女。
今日も上手く話せなかったな……、幻滅されてはいないだろうか、もう少し気の利いた言葉をかけてあげられたらよかった。
そんな後悔ばかりが、何回も頭の中をぐるぐると駆け巡る。
自分は彼女を好いているのだと自覚してしまってからというもの、どうにも意識し過ぎていつも空回りばかりしてしまう。
ここ数日で、何度自分が嫌になった事か。
なんだか、僕らしくないな。
自嘲の笑みが思わず零れた。
そんな時だった。
さらりとした涼しい秋風が、仄かに僕の前髪を揺らしたかと思うと、ふわっと甘い香りが鼻を掠めたのだ。
なんだ、この匂いは……。
ドキドキするように甘くて、けれども優しい香り。
「金木犀だな」
後ろから突然聞こえた落ち着いた声に、僕はびくりと身を縮めた。
ゆっくりと振り返ってみると、そこには。
「あ……浅雛」
凛とした眼差しをこちらに向けた浅雛が、無表情で立っていたのだった。
「ほら、あそこ」
驚いている僕を無視して、彼女はスッと細い腕を上げ右の方を指さす。
それを目で追ってみると、目線の先の住居の生垣に、一本の木が植えてあるのが見えた。
木には小さなオレンジ色の花が、いくつも咲いている。
「そうか……匂いの正体はあれだったか」
「あぁ。 この時期になると毎年花を咲かせる」
浅雛は淡々と説明すると、僕の方へと近づいて来た。
「椿くんは、金木犀の花言葉を知っているか」
そして隣に来た彼女は、いきなりそんな質問を僕に投げかけるのだった。
「いや、知らないな」
その手の知識には疎いので、思ったままの答えを静かに返した。
なんとか平然を装ってはいたが、内心は浅雛に会えたことでとても気持ちが高揚してしまっている。
それを悟られてしまわないように、出来るだけ無表情で受け答えに努めた。
僕の返事を聞いた彼女は、そうか、と一言呟くと生垣の金木犀をじっと見つめていた。
「金木犀の花言葉は……初恋、だ」
耳へ届いたその言葉に、ドキリと心臓が跳ねる。
なんて可愛いらしい花言葉だろうか。 この甘い匂いにぴったりだ。
そして浅雛はゆっくりと振り向くと、透き通った瞳を僕に向けながら問いかけたのだった。
「椿くんの初恋は、いつだ?」
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